23話
【23】
カーラ達と離れ、だいぶ走った。
初日の調査でテオが通り抜けた立てないほど狭い横道まで戻ったテオは、周囲が安全であることを確認し、その横穴の中にルーカスと共に避難した。ここならば出てくるカーラ達とすれ違うこともない。
狭い道の中テオは、膝を抱えてうずくまるルーカスを眺める。
膝に額をつけ、時折ぶつぶつとなにかを呟いていた。聞き返して互いに着火したら元も子もないとテオはできるだけその呟きから意識を逸している。
今こうして腰を落ち着けて休めば、テオも自分自身の冷静さに信用が置けなくなっていた。
先程三体のキラーアントが接近してきた際、テオは背中の鞄に手を伸ばした。そこには今まで四体のキラーアントを一撃で葬ってきた実績のある投擲散弾があるからだ。
しかしこの武器は準備に時間がかかるという欠点がある。取り出し、回転し、加速しきった状態で投擲して初めて起動に十分な衝撃が加わるからだ。そしてあの時、敵側最前列にいたテオにそれだけの時間はなかった。
だからあの時のテオはせめて、鞄ではなくナイフに手を伸ばすべきだった。その判断すら出来なくなっていた自分に歯噛みして、テオは首の後ろをがりがりと引っ掻く。
一度自分が冷静になれていないと気が付けば、どれだけそうあるように務めても限界があった。
けれど、そうしてテオが対話を避けようと、相手がそれを求めればその拒絶は意味をなさない。
「どうしてなんですか。あんな、あんなのってない」
呟くよりも強く、ルーカスの口から言葉が漏れる。
いつの間にか顔を上げ、その赤土の目がテオをまっすぐ見つめていた。まるで詰問されているようだ。
あの惨状に自分が関わったわけでもないというのに、とテオは眉を顰める。
「墓所だからな。あそこにあるのは状態の良い死体だ」
「寝台です、墓所じゃない! それにあれは聖骸だ。死体だなんて言わないでください! あれは、あれは主に返上された、主のもとに受け入れられた神聖なものなのに」
酷く震えた声だった。今にも泣きそうで、しかし決して涙は流さない。最後の意地なのだろうとテオは考える。
話すことで自分の心を整理したいのだろう。しかしそういうことは自分の意見を肯定してくれる相手に持ちかけるべきであるとテオは考える。
この件に関しては、ルーカスとテオは徹底的に相容れないだろう。それは酒場の件ではっきりしている。
「……どちらにせよ良い栄養になったんだろう。だからあそこまで数が増えた」
「魔物に食われる為に、彼らは身を捧げたんじゃない」
「何のためとか関係あるのか。崇高な祈りのためなら知性のない魔物共がそれを慮ってくれるとでも。どうせ巣が報告されれば討伐隊が組まれて奴らは全滅だ。報復も決まっている。だって言うのにそんな相手に喚き散らして意味があるのか」
「殺せればいいとか、そういう事を言ってるんじゃないッ!」
「だったらじゃあ何だってんだよ。それともあれか。あんたらにとっては聖骸ってだけで特別で、元が何だったとか関係ないのか。捧げたとかどうとかって言葉が最初に出てくるって事はそういう事だろ。自分たちの所持する資源かなんかだと思ってる。だから意思のない死体だろうと、そこにあったことすら忘れてようと、自分たちが思ってなかった方法で勝手に使われたのが不服なんだ」
ルーカスの言葉に触発されるように、テオも口が止まらなくなる。
こういうときスヴェンのように黙って聞いていればいいのに、テオはどうしてもそれが苦手だった。どうだっていいことは適当に流せるのに、この一点だけは譲れない。ルーカスもまた同じなのだ。
「意味が、意味がわからない! あなたの言っていることは、滅茶苦茶じゃないか! 貴方だって、貴方だってあの時怒っていたでしょう!」
「俺が腹立たしかったのは、人の命を奪っときながら、魔物にこんなことをさせる杜撰な管理の方にだよ。彼ら自身の願いとか役目とかはどうだっていい。いや。どうだって良くなくたって、あまりに報いが無さすぎると思わないか」
「それで怒っているのなら、貴方にだって分かるはずです! 彼らはああなる為に眠ったのではない!」
怒号に近いルーカスの声に、遂にテオはルーカスの赤土の目に向き合った。
確かに自分だって怒りを感じていると、テオは理解している。それを押し殺しきれず、今も黙って話を聞いてやれない程、冷静さなど微塵もない。
「怒りの矛先は同じだろうが、原因はずれてる。あんたは聖骸を奪ったから魔物が憎いんだろうが、俺が頭に来たのは同族の遺体が食い物にされた事だ。役目だなんだ、神聖だなんだって、聖骸だけが特別だってんなら、もっとちゃんと守っておけよ!」
「守られていたはずなんです! 落盤事故か洪水だ! あれのせいでその守りが壊されたんだ!」
「だから仕方ないってか。それが通るなら、魔物が人を襲うのだって仕方ないだろう! 奴らはそういうものなんだから!」
「仕方なくない! 自然現象と魔物をどうして比べられると! 奴らには知能も意思も存在する!」
「知能? 意思? 奴らにあるのは食って増えるだけの本能だろ! そんなもの外からどうにも変えられない! 崩れて流れる災害と同じだ!」
「そんな道理が通るものか!」
ルーカスの手がわなわなと揺れ、テオの上着の肩口を掴んだ。酒場でテオがルーカスにしたようなものよりも、あまりに非力で不慣れな掴みかかり具合だ。けれど確かに、ルーカスは己の怒りに乗っ取って、相手に掴みかかってしまった。
その様子を見たテオが、相対するルーカスの姿に顔を顰める。
聖職者として抱える怒りを聖職者がしてはならないと教えられた形でぶつけたのか。自分が否定したいと怒鳴る相手と同じ形で感情を表してしまったのか。
せめて堂々としていれば良かったんだ。巷に出れば肯定されるのはルーカスの方であって、自分の方では無いのだから。
そこまで考えたテオは、段々と苦くなる口の中を誤魔化すように、再度口を開いた。
「結局何が言いたいんだ。あんなのってない、だっけ? ああ、そうだな。俺だってそう思う。あんなのってない」
テオの口から零れ落ちた言葉は、思っていた以上に弱々しかった。その様子に驚いたルーカスが、掴んでいたテオの上着を手放そうとする。
その手を逆に掴み返し、テオはルーカスの目を見た。テオの灰色の目が、暗く、しかしどこまでも鋭く向かい合う相手を睨める。普段から重たい武器を振り回すテオの手は、例え本人が強く力を込めたつもりでなくとも十分に非力なルーカスの動きを拘束した。
「だったら、じゃあ何だったんだ。川と岩が守りを壊したのは仕方なくて、魔物が彼らを食い荒らすのは仕方なくないんなら。ただ許したくないだけなんじゃないか。ただ恨めしいだけなんじゃないか。自分たちが間違ってないって思いたいから、別の何かのせいにしたいだけなんじゃないのか」
「ち、ちがう」
「違う違うそうじゃないってばかりだけど、じゃあ何なんだよ」
疲れたように力を抜いたテオの手から、ルーカスの腕が零れ落ちる。途端に狼狽え始めたルーカスの姿を見たテオが、溜息を吐いて壁へと寄りかかった。
ルーカスの言葉を待ちながらテオは考える。
別に許せなくたっていいし、恨んだっていいと思う。だって仕方ないことだろう。自分が大切にしているものを尊重して貰えないことは腹立たしいし、何より悲しい。
けれどルーカスはそれらの怒りを全て、聖骸には役目があるから、相手が魔物だったから、という理由で済ませようとしているように思えた。
だが今回のこれに似たような事は、そこらの村でも起きている賊の略奪と変わらないのでは無いかとテオは考えている。
人間同士だってそうなる。生きててもそうなる。役目なんてあってもなくてもそうなる。
実直なルーカスの性格を考えればそういった略奪にだって怒りを覚えるだろうに、聖骸はそれだけで特別であるような言い方だ。
いや、少し違う。テオが飲み込み難いのは、ルーカスのそういう、聖骸が聖骸であるがゆえに惜しまれているとでも言わんばかりな部分だ。彼らは聖骸である前に人では無かったのか。聖骸でない彼らには価値がないとでも言うのか。
テオは姉リリーの件にはある程度折り合いをつけて来れたと思っている。
実に十年と少しの年月がかかった。彼女が眠るのが寝台だと思うから、彼女がなったものが聖骸だと思うから、やるせなくなることが多かった。
だから、リリーは聖骸である以前に人として死んで、寝台なんて呼ばれている墓所に眠っていると、そう考えると楽になった。
今回の件でテオが怒りを覚えているのは、被害にあった対象が聖骸であることに関係しない。ただ預けられた墓所を暴かれてしまった事に怒りを覚えているだけだ。
だからこそ、ルーカスの言い方では頷けない。聖骸であることを理由にする限り、テオはその言葉に賛同できない。だからそう主張した。
息を吸って吐く。疲れたように壁から体を起こしたテオに、ルーカスが震える声で言葉を吐き出した。答えなどまとまってなどいなかったのに、動き出したテオを引き留めようと必死であるかのようだ。
「か、彼らは、人々を守るために、命を捧げたんだ、だから、だから、あんな為じゃ、あんな、魔物の糧にされるためじゃない……」
「守ったじゃないか。あそこで蟻共の餌になってくれたお陰で足止めになってる。市街地まであの群れが出てきてないのはその為だろ」
言い過ぎだ。テオもそれを自覚しているのに、一度蓋を開けたら閉めたところで漏れ出た中の腐臭は消せない。億劫そうに頭を掻くテオに、虚ろな目を揺らすルーカスが手を伸ばす。
また掴みかかる気かとテオは身構えたが、ルーカスのその手は空をかいて落ちた。
ぽたりぽたりと、水滴が布を打つ音がテオの耳に入る。音の場所を辿ってルーカスの膝を見たテオが、水が滴り落ちる原因を探そうとそこから上へと視線を上げ、そこにあるルーカスの顔を見て肝を冷やした。
「ちがう、ちがう。こんな、こんなのって」
赤土色の瞳からぼろぼろと涙がこぼれている。ルーカスが泣いていた。
泣かせてしまった。人の慰め方など知らないテオは、大慌てで周囲を探るが誰も来ない。
巨大蟻は三匹であったから、カーラ達だけでも問題なく対処できるだろうと考えていたが、もしや苦戦しているのだろうか。
そうでないなら、できる限りいち早く迅速に来てほしい。テオは必死に願った。
「……少し頭を冷やしなよ。俺もそうするから」
「だって、どうして、ぼくは」
「わかった、言い過ぎたって。言い方が悪かったよ、泣かないでくれ。ごめんって」
ルーカスが地面に踞る。泥に汚れることも構わず、土と岩の地に額を擦り付けて嗚咽を漏らしていた。
昔自分がこうして泣いていたところを、リリーや兄弟子はどうやって慰めてくれたのだったか。テオは必死に、おぼろげな姉の記憶と、やや強烈な兄弟子の記憶を探った。
「ええと。君はいい人だよ。怖いこと言って悪かった。大丈夫、もう言わないから」
選ばれたのは姉風の慰め方だったが、相手の主張を認めたがらない感情がその表現を歪ませる。ぽすぽすと、背中を叩いてみたが涙が止まる様子はなかった。
「……れ…も」
ぼそりと腹の方から聞こえる呟きに、テオは耳を寄せて聞き耳を立てた。
「それでも、認めない。あんなこと。僕は、僕たちだけは、認めちゃいけない。だめなんだ。それだけは、絶対に、絶対に」
呟くように誰に向けたものでもないのに、どうしても飲み込みきれなかったような確かな言葉。この発露の仕方をテオは知っている。
どうしようも無いものに、どうしようもないほどの怒りが向いてしまった時の苦しみだ。
テオは心の底からその怒りを理解できるのに、どうしてもその主張だけを肯定してやれない。
それでも、今ルーカスの吐き出したこの言葉だけは否定できないことも確かな事実だった。
「……うん、それは同意するよ。心の底から、そう思う」
ルーカスの背中に触れたテオの手元から伝わる嗚咽が止まらない。
テオは思う。いつかの自分も、信じられる人がいなければ、きっとずっとずっと泣いたままだっただろう。早くカーラ達が戻って来てくれれば良い。今目の前の青年に必要なのは、自分ではなく彼らのような仲間なのだから。
引くつく喉元を撫でながら、テオはルーカスの仲間たちが帰ってくるのを待っていた。
明日朝の分を本日夜に更新させていただきます。




