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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第一章
21/144

21話

 

【21】




 薄暗い洞穴をルーカスの魔導光を頼りに進んでいた。テオはスヴェンと二人、道の先を警戒しつつカーラ達三人を誘導する。


 既に他二つのパーティは陽動のために横道まで撤退し、戦闘を開始していた。

 前日撤退した三又の分かれ道はとうの昔に通りすぎた。ここは既に未踏の暗闇だ。

 分かれ道を抜けたあとにも六匹の群れと遭遇したが、上手く陽動班が誘導してくれたため戦闘は回避できている。


 今まで通り一パーティで活動していれば、あれだけの群れと戦闘に入った場合、それを抜けても精々後二回戦えるかどうかだ。大きい群れなら撤退しながらの戦いになるので、その先へ進むことは難しくなる。

 だからこそ、初めの二戦をスルーできる合同作戦の効果は大きく感じられた。今までに無い早さで、これ程奥まで進めている。


「上り坂だ。少し急だが行けるか?」


 傾斜した地面に手を付かなければ上れないほどの坂を前に、スヴェンが後ろを振り向いて問いかける。

 心配しているのは手を着くことで、片手もしくは両手が使えなくなり、咄嗟に武器を抜けなくなるカーラとジャレッドのことだ。


「先に二人で上がってくれるかい。アタシらはその後ろを付いてくよ。敵がいたら飛び降りて平坦な場所で迎え撃とうか」


 カーラの指示に頷き、スヴェンとテオが半ば壁に近い坂を上る。

 先に登りきったスヴェンが安定した場所に辿り着く。首を伸ばしその向こう側を覗いたスヴェンが、目を見開いて息を飲んだ。遅れて辿り着いたテオに対し、声を出さないように目線と手振りで指示をする。


 巨大蟻がいたのかと警戒を強めたテオだったが、すぐにその規模が違っていた事を理解した。

 隣でスヴェンが下の仲間に手招きしている様子が視界の隅に入るが、テオには後ろを振り向く余裕は無くなっていた。眼下に広がる光景に目眩がする。


 深いすり鉢状に広がった空間がそこには広がっていた。辺りの床や壁には等間隔で配置されていたはずの、いくつもの石棺が散乱している。本来は白だったそれは、どれもそれも酷く汚れている。蓋の開いた棺が殆どで、固く口を閉ざしたものの方が少ない。


 その本来の用途から大きく掛け離れた姿になってしまったこの場所は、似た構造の別の場所であったが、テオも見覚えがある。

 直近で言えば、そう。今朝の悪夢で見た、白く眩い光を帯びたあの墓所だ。


 けれどもう、ここを墓所と呼ぶのは難しいかもしれない。

 遠目にも分かるほど蠢く巨大蟻の群れが、その場所を占拠していた。照らす灯りが無くとも、十分にその存在を感じ取れる程の威圧感が振り撒かれている。


 それは確かに巣だった。


 開いた棺から引きずり出された幾多もの遺体があちらこちらで食いちぎられ、食らいつく魔物の栄養として消費されている。


 三日前に道端で見たような、町を歩けば何処でもすれ違えそうな女性の遺体があった。

 腹を食い破られ、大きな頭を差し込まれている。食い進んだ先で肋にはまって抜けなくなったのだろう。

 腹を食っていた巨大蟻が頭を大きく振ったせいで、女性の体が乱雑に放り投げられた。転がる女性の体に別の巨大蟻が群がっていった。


 細身だが背が高い男性の遺体もあった。

 手足が先端から食いちぎられ、二匹の巨大蟻が取り合いを始めた。左肩に食いつく巨大蟻と、右腿を引き裂かんとする巨大蟻。

 その二匹の間を縫ったもう一匹が、横腹に噛みついた。反対に引かれる体の真ん中に切れ目ができてしまったせいで、男性の体が斜めに引きちぎれてばらけた。


 アイザックほどの年の子どもの遺体もある。

 小さい子どもの体でも巨大蟻の口には十分大きいらしい。丸のみにしようとして失敗した巨大蟻の口から、体の右半分を齧られた少年の姿がはみ出ていた。

 口の大きさに余る獲物を噛み砕こうと、何度も何度も細かく咀嚼される。遂に噛みきられてしまった胴が、ぼたりと地面に落ちた。


 すり鉢状の底、中心部に一回りも二回りも大きな個体が鎮座している。

 全く動こうとしないその巨体の前に、数匹のキラーアントが餌を運んでいた。それを奪うようにかじりつく様は暴食の限りを尽くす女王に甲斐甲斐しく食事を運ぶ配下達のようだ。

 あれがキラーアントが増殖するための母体であるマザーアントだと、容易に想像が付いた。


 ルーカスが考えていた通りだった。巨大蟻は確かに同胞以外の餌を得ていた。

 巨大蟻があちらこちらで人間の食べ放題コースを繰り広げているこの場所は、聖教が管理する墓場の残骸だ。寝台と名称されるそこには、信仰の名のもとに命を失った人間の死体が保管されている。聖骸と呼ばれる彼らは、役目を背負ってこの寝台で必要とされるその時を待っていたはずだった。


 テオが幼少期に姉と育ったあの辺鄙な村。その教会の地下にも寝台があり、そしてそこには今もまだリリーが眠っている事だろう。

 穏やかなまま、あの青い布に包まれて。


 けれど目の前に繰り広げられている光景は、その役目とは大きくかけ離れてしまっていた。


 元々はルーカスの話していた、洪水被害にあった開拓予定地に立つ教会の地下寝台だったのだろう。

 この聖骸の数を見れば教会が立ってからの年数が短いとも思えない。もしかしたら開拓のかの字も上がらない時代から、この場所にあったのだろう。

 けれどその存在は、濁流によって人々の記憶からも記録からも消し去られた。しかし、地下への出入口だけは、塞がれずに残っていたのかもしれない。

 その出入口から巨大蟻が寝台へと侵入し繁殖したが、この度の落盤で残っていた出入口すら閉じ、坑道と巨大蟻が掘り進んだ道が繋がったのだ。


 ここにあるのは特殊な魔術で腐ることを知らず保管されていた、身体に欠陥のない人間の死体だ。聖骸に選ばれるのは健康な人間だけなので栄養価もいいだろう。

 そんなものを抵抗も妨害もなく食い荒らせるのだから、ここまで数が増えたのも頷けた。


 今まで散々、テオ達のような人間の冒険者が巨大蟻を殺してきたのだから、その逆をされたとて文句の言いようはないのかもしれない。

 例えどれだけこの惨状に怒りを抱こうとも、巨大蟻には理解できないことだろう。何せここにあるのは死んだ体だけだ。巨大蟻はここに攻めてきた人間と違い、命を奪った訳ではない。


 それでも、だからと言って。

 この光景を肯定することなどテオには到底出来なかった。ごうごうと頭に血が上る音がする。止まりかけていた呼吸が細く再開された。

 きっと後五秒あればテオはあの中心へと突撃し、暴食の限りを尽くすマザーアントの顔面へと背負った鞄の中身をあるだけ突き立てた事だろう。けれども、それが実行に移されることは無かった。


「なん、ですか、これ」


 背後から震える声が、鞄の背負い紐に手をかけたテオの耳に微かに届いた。

 弾けるように振り向いたテオは、目を見開き顔を真っ青にしたルーカスの問いかけの続きを聞いた。


「なんなんですか、これは」


 蚊の鳴くような声だった。声と言うよりも吐息に近い問いかけ。テオはその問に答えられなかった。

 ルーカスの視線は真っ直ぐに荒らされた寝台へと向けられ、逸らされる事は無い。きっと声を掛けられる前の自分も同じだったのだろうと、ルーカスの様子を見たテオは他人事の様に考える。


 恐らく、ルーカスとテオの心の中には、とても似た形の壁があるとテオは感じていた。けれどそれを防壁とするか、牢獄とするか、解釈があまりにも正反対に向いてしまっている。


 テオですらこの光景には怒りを覚えている。今もぐらぐらと煮えたぎる頭や腹と違って、手が、指が、背が酷く冷たい。

 それでも、突撃した場合繁殖の要であるマザーアントを確実に狙い殺すくらいの理性は残っていた。


 けれどルーカスは違う。今目の前で起こっている惨状を理解することすら拒んでいる。胸に渦巻く感情が怒りであることすら理解できていないのかもしれない。短く繰り返される呼吸は半ば過呼吸に近かった。


 ここでテオが口を開けば、次に胸ぐらを掴み、喚き散らすのはルーカスの方であるとテオには理解出来た。そしてそれは、共にここまで上がって来た他の三人の仲間も同様に察していた。


 今、ルーカスを刺激してはならない。そしていち早く彼をここから離さなければならないだろう。この光景はそれほどまでに、聖教を愛したルーカスという人間には毒だった。


「引こう」


 動いたのはジャレッドだった。ルーカスの鼻ごと口を塞ぎ、その体を後ろから抱き抱える。

 びくりと一度体を揺らしたルーカスだが、自らを拘束した腕の持ち主がジャレッドであることを理解して、少し落ち着いたようだった。

 ジャレッドとルーカス、彼らの関係は父と子のようとも、師と教え子ようとも言えた。その信頼が、今ルーカスの心に荒れ狂う怒りを抑えている。


「ああ。行くよ」


 カーラが指示を出し、素早く坂を滑り降りた。ルーカスを抱えたジャレッドがそれに続く。

 一拍反応が遅れたテオの肩を、黙ったままのスヴェンが握った。鋭い目がテオを捉える。その目に写るテオの顔色も、ルーカスほどではないにせよ酷いものだった。


「……大丈夫。大丈夫だ」


 沈黙が伝える気遣いにテオが頷く。三人を追いかけてテオとスヴェンも坂を降りた。

 俯いて佇むルーカスを、カーラとジャレッドが支えている。両手で杖を抱えて、ローブに泥を付けたままのルーカスの顔は見えない。


 スヴェンとテオが降りてきたことを確認し、カーラが再度撤退を指示した。

 正確には撤退ではない。求めていた巣の情報を得たのだ。勝利条件は満たしていた。だと言うのに空気は重い。あの惨状を見た後では、仕方の無い事だった。


 全員が口を閉じたまま、出口に向けて来た道を引き返す。

 スヴェンが前方を、テオが後方を、それぞれ警戒しつつ道を進んで行った。ぐらぐらと揺れる思考に集中力が乱されながらも、テオは必死に辺りの気配を探る。

 身体強化の魔術で研ぎ澄まされたテオの感覚が、巣の方角から近付く巨大蟻の気配を捉えた。


「ッ、後ろから三体、来ている」


 テオが四人に存在を知らせて数秒後、光度を落としたルーカスの魔導光がその姿を捉えた。

 三体のキラーアント。今まで相手にした中では比較的小さな群れだ。

 急いで背中の鞄に手を伸ばしたテオにカーラが叫ぶ。


「テオ! ルーカスを連れて撤退しろ! こいつらはアタシらで片付ける!」


 下されるカーラの指示に、驚いたルーカスが否やを言う暇もなかった。

 巨大蟻に一番近い位置に立っていたテオの体が、ジャレッドの手によって後方へと放り投げられる。

 とっさに体勢を整えたので転ぶことはなかったが数歩後ろによろめいたテオに、スヴェンによって押し付けられたルーカスの体が突っ込んだ。


「ッぐ」

「待ってください! どうして、どうして僕だけ!」

「……ああ! もう! いいから行くぞ!」


 抗議しこの場に残ろうと踏ん張るルーカスを、テオは腰から抱え上げた。

 口ではああ言ったものの、少なからずルーカスも今の精神状態では役に立てない自覚があったのだろう。それ以上暴れることはなく、固まった体がテオに担がれ運ばれる。


 後方で剣を抜き、盾を叩く音が響く。

 それを置き去りにし、テオとルーカスの二人はその場を走り去った。





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