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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
143/144

143話 険路2


【143】険路2




 オリビアの言葉に、すっかりと肩を落としたセオドアを見かねて、エレノアが口を開く。


「あー……気にすんなって言ったらあれだけど」

「うん」

「次からは気を付けましょーね」


 そう言って、エレノアがすっかりと背中を丸めて落ち込んでしまったセオドアの肩を叩いた。そんな二人の元に、立ち合いの聖職者が一人、聖騎士が二人、駆けつけてくる。


 確か聖職者のほうは結構なお偉いさんだったな。エレノアはぼんやり考えて息を吐いた。思うのはこの状況を何とかしてくれるおべっかをさっさと吐いてくれることだけだった。


「セ、セオドア様。そうお気になさらず! 大丈夫ですよ。あそこに村人はおりません。聖騎士が総出で確認しましたゆえ」

「ほ、本当?」

「ええ、本当ですとも! 大変素晴らしいお手並みでした。あれほどのキラーアントの群れを一太刀で蹴散らすとは! これは前途洋洋ですね!」


 必死にセオドアを励ます聖職者の後ろで、案山子のように真っ直ぐ立ったままの聖騎士が二人そろってこくこくと頷く。茶髪緑眼の背高のっぽと、鉛色の髪目のいつ見ても疲労困憊そうな顔色をした男のペアだ。

 聖骸の近辺を護衛する聖騎士は数少ない精鋭から選ばれるので、その二人はエレノアも見知った顔だった。


「……あんた、ケイレブだったっけ? 悪いけど、あと頼むわ」

「は。畏まりました」


 鉛色の髪の聖騎士、ケイレブの肩を叩いたエレノアは、そう言い残してオリビアの待つ馬車へと乗り込んだ。


 馬車の中に体を滑り込ませるのと同時に扉を閉めて鍵をかける。オリビアとエレノア、二人だけになった馬車の中は日差しが遮られており、ほんの少しひんやりとした空気が留まっていた。


「オリビア。ケネスさんの所、転生者のお抱え枠あと一つくらい空かない?」

「これ以上は教会からの睨みが厳しいと。ただでさえせ私を私兵として抱え込んでいるのに、これ以上ケネス様に力が片寄り過ぎると身動きが取れなくなる。せめてあと一人、転生者が増えたらおいで」


 オリビアの向かいに腰掛けたエレノアは、その言葉に頭を抱えた。こういった売り込みも一度目ではない。初めて話をもちかけたのはロサリオと出会ったばかりの頃の話だ。


「そう言って、もう随分経つじゃん。気のなげえ話」

「四ヶ月にあなたが目覚めてから次の転生者が降りていない。記録と比べても一代の聖骸が三人では数も少ないし、あまりにも時間が開き過ぎている。あと五人、……いいえ、あと六人程度は増えていたっておかしくない時期のはず。そのせいで、神は下界を見捨てたもうたと、よくない噂がたっているみたい」

「悲惨だね」

「警戒しておいたほうがいいわ。それと、セオドアを甘やかすのもほどほどに。あれの権能は厄介だけれど、それを扱う中身が幼過ぎる。戦いに参加するつもりなら、もう少し成長してもらわないと困るわ」


 指先で持ち上げたカーテンの隙間から外を覗いたオリビアが言う。それに倣って外を覗いたエレノアの目に、三人がかりで励まされている様子のセオドアが映った。


「そればっかりは性格とか個性のことだし、気に病んで落ち込まれても可哀想でしょ。仕事してるのは本当だし。オリビアこそもうちょっと優しくしてあげたら?」

「嫌。あれのせいで今日、ケネス様が来られなかった」

「あー、後始末」


 思い当たる節のあったエレノアは苦い顔で天井を仰いだ。セオドアが建物を壊すのは初めてではないのだ。つい先日、ド派手に建築物を壊しやがったせいで英雄様直々に後始末に追われている。それは聖骸に悪い印象を持たないようにさせるため、使ったプロパガンダといったほうが意味合い的には近いのだろう。


「あれにはできることならもう少し権能を細かく使ってほしいくらいよ。大雑把が過ぎる。巻き込まれてはたまらない」

「まあ、その件を言ったらさ。建物を壊したのはセオドアだけど、それ分かってて守らなかったのはオリビアでしょ。私もそばにはいられなかったし。そんなに拗ねてばっかりいないでよ」

「……だって、あのときは眠かったから」

「そだね」

「少し、ぼおっとしていたのよ。……悪かったわね。次からは態度を改めるわ」


 エレノアの視線に降参と言わんばかりに両手を上げたオリビアが肩を竦める。それを見たエレノアは、ようやく背中を伸ばし始めたセオドアを窓から一瞥し、口を開いた。


「あれで私らの中で一番強いんだから酷いよね。“見えない”ってところはオリビアも同じなのに」

「……壁と剣じゃあ役割が違うから。あなたの権能だってそうでしょう。みな、力の方向性が違うだけ」

「そっかあ。現実くらいはジャンケンみたいに単純だったらよかったのになあ」

「……そうね。命はどれも重たくて、嫌になる」


 オリビアは掠れて消えてしまいそうな声でそう呟いた。全てではないにせよ、彼女自身に起きた話を聞かされていたエレノアは、それを横目に小さく溜息を吐く。


 不可視の防壁。

 そして、人喰いの聖女。


 それが聖骸オリビアに付けられた二つ名だ。

 とんだ嫌味だ。何のために、誰のせいで、そういう言葉を吐き捨てないオリビアに一目を置いてしまうくらいには、エレノアはオリビアの我慢強さを尊敬していた。


 けれど、その耐久性は永遠ではなかった。担がれた聖女は飯も喉を通らぬ程に疲れ切り、ただいま英雄のお膝元で休息中だ。

 件の英雄様の防御陣は固く、セオドアからオリビアへのアタックを完璧に防いでくれたおかげで、そのとばっちりをエレノアが一身に受ける羽目になっている気もする。すべては自分が目覚める前の話だ。所詮途中参加のプレイヤーには立ち入れない話もあった。


「じゃあ、私はそろそろ」

「……討ち漏らしがいる」


 帰ろうかと腰を上げたエレノアを引き留めるように、オリビアが呟いた。その視線の向こう、一匹の巨大蟻が腹を地面に擦り付けるように這いずっている。足が二本は吹き飛んでいるので、恐らくはセオドアの斬撃の生き残りだろう。

 外にいるセオドアがそれに気が付く様子はない。その代わり、周囲警戒をしていた背の高いほうの聖騎士が跳ねるように顔を上げた。


「私がやる」


 聖騎士の男が反応する前、エレノアは馬車の窓越し声を掛けた。振り返る背高のっぽと鉛色の髪の聖騎士をよそ眼に、エレノアは馬車から身を乗り出して左腕をかざす。

 その腕が脅威に対して怯えたように痙攣する様子に、オリビアはそのときになって初めて気が付いた。


「エレノア、無理は」

「平気。それより、こいつで終わりだよね?」


 オリビアの言葉を遮ったエレノアが腕を振るう。

 鉛色の髪、同じ色の瞳。指先から解けるようにエレノアは“他人”へと変容する。選んだのは先程声を掛けたケイレブという聖騎士だ。

 聖骸に随行できるほどのその人間は、巨大蟻一匹を殺すのには十分過ぎる実力を持っている。


 瓜二つの姿に化けたエレノアの手が他人の経験を再現して出現させたのは、火球の魔術だった。その火球が、オリビアにより発見された巨大蟻に被弾し、その甲殻に覆われた肉を蒸し焼きにする。

 

 目の前のちょうどいい魔術師がいたからそれを選んだに過ぎなかったが、どうやら随分と具合がいい。よほど才能があるのだろう。そうでなければ随分と努力したのだろう。

 鉛色の髪を魔力に溶かし、元の姿へと戻ったエレノアは馬車外から自らを振り返った聖騎士の姿を見て小さく息を吐いた。鉛色の瞳が動揺したように馬車の中のエレノアを見上げている。


「悪かったって。驚かせたね」

「……いえ」


 エレノアの言葉に対し、姿を借りられた鉛色の髪の聖騎士、ケイレブは小さく首を振った。


 そのさらに奥、ぎくり、ぎくりと痙攣する巨大蟻は、やがて絶命したのだろう。完全にその動きを止めた。それを見届けたエレノアが窓を開けて外へと声を掛ける。堪えるようにさすった左腕が、酷く冷たく感じた。


「セオドア、他に残ってないか見てきてよ。疲れちゃった」

「わ、分かった!」


 小気味よく頷くセオドアが駆けていく背中を見送って、馬車の中へと身を戻したエレノアにオリビアが口を開く。その顔は何かを窺うように心配の色が浮き出ていた。


「エレノア。あなた、体調が悪いんじゃ」

「少しね」


 オリビアの問いかけに言葉少なに答えたエレノアが顔を逸らす。聖骸エレノア本来の黒い髪に隠れたその顔色は、オリビアからはもう伺えない。それでもオリビアは、まるで詰問するかのようにエレノアを見つめ続けた。


「エレノア」

「平気だってば」

「……魔力の欠乏は末端から自覚症状が出るの。だんだんと痺れて動かなくなる。これは経験者の忠告よ」

「分かってるよ。私だって、意味なく死にたいわけじゃないっての。縄はいらないって言ったでしょ」

「……そう。なら、いいけれど」


 遠く、先行したセオドアが戻ってくる様子が見える。セオドアは腰にさげた剣を揺らしては、きょろきょろと辺りを見渡している。

 ふと、その視線が馬車の中から様子を伺うエレノアの姿を捉えた。先程剣を振るったばかりのセオドアの腕が、エレノアに向けて大きく振られる。


 それに応えるように右腕を振り返したエレノアが、しかし隣のオリビアにだけ聞こえるように声を潜めて言葉を続けた。


「どうせ死ぬなら、欲しいものを手に入れてからにする。もう先送りになんてするもんか」

「……死んでいるのよ、エレノア。私たち聖骸は、もう」


 オリビアの言葉に、エレノアはそれでも頷くことはできなかった。動く体がある。感じる心がある。エレノアにとっては、それだけが全てであり、十二分に足る真実であった。


「死んでるかどうかは、私が決める」


 たとえ自らの体が死体と成り果てても。人間らしくあることまでもやめたわけではないのだと。自分であることを投げ出したわけではないのだと。


 取り返しのつかないこの異世界で。

 確証のない“いつか”を期待できなくなったことを理解している。

 ならば、もう二度と、不確かな“きっと”など待ち続けない。


 エレノアはただ一人、それを心に決めていた。


 それでも、心にぽっかりと空いた穴が埋まらない。後悔とも罪悪感ともつかない感情が、足にまとわりついてやまない。それを自覚してなお、振り切れずにいるのはどうしてだろうか。


 俯いたエレノアのうつろな横顔を、オリビアだけが眺めていた。



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