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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
142/144

142話 険路1


【142】険路1




 そこから、エレノアがロサリオに入れ込むまでは早かった。


 人間の姿に戻れなくなる。

 そんな権能の暴走は、たった一回きりでは済まなかった。その度に恐慌状態に陥ったエレノアは、助けを求めて塔へと登る。

 ロサリオはその度に、決して人の言葉を話さない何がしかの生き物を、人へと戻して救い続けた。


 そんなことが片手の指で数える回数を通り越した頃には、ロサリオさえいれば自分は元通りの人間になれるのだと、エレノアはすっかりと気を許してしまっていた。


「ねえ、エリーって呼んでもいい?」


 そんな日々の中、ロサリオがエレノアへと問い掛けた。それは愛着を求めて縮めた呼び名であったが、エレノアは何度となく訪れたその塔の中、初めて聞くそれに目を瞬かせた。


「エリーって、私のこと?」

「そうだよ。エレノアだから、エリー。嫌だった?」

「嫌じゃない! ただ、ちょっと……初めて、だったから」


 エレノアはそう言って、頬をかいた。長い金髪を肩に垂らしたロサリオが、その照れた顔を見て微笑む。そうして柔らかく笑う少女を見て、エレノアは釣られるように目を細めた。


 線引きのようで嬉しかった。

 エレノアを、聖骸という存在を、そうして親しく扱うものなどいなかったから。様付けで呼ばれる引き離した距離感よりも、たった数文字だけでも引き付けてくれる人のほうが愛おしかった。


 同じような関係は、転生者同士、その間にはには存在するのかもしれない。しかし生まれた場所が同じだというだけの同族意識よりも、ロサリオに向けられたその親愛の方がよほど、自分のための愛情のような気がしてたまらなかった。


「私、友達がいないの。だからエリーとそうなれたら嬉しい」

「そりゃあ、私もだよ。もうロサリオにはたくさん助けてもらってるし。……この間なんか、ネズミの格好で驚かせちゃったしね」

「ふふ、あれはびっくりした。雨の中、ずぶ濡れで飛び込んでくるんだから。頑張って登ってきたんでしょう? でも、いきなりベッドに来るのは冷たかった」

「ごめんって」


 ロサリオの軽口に、エレノアが口を尖らせる。そんな軽い態度の謝罪で許されるのだと分かるくらい、エレノアはこれまでの日々で散々ロサリオに受け止められていた。


「いいの。それで、その前は鳥で、その前が蜘蛛で。そうだ、猫! また猫に触りたい! あの赤と黒の混じったの、かわいかったなあ」

「いいけど、今度はすぐに戻してよね。前は撫で回してばっかりで全然離してくれなかったじゃん。中身が私だったのは気付いてたんでしょ?」

「猫は初めて触ったから感動しちゃって、もっともっとって思ったら止まらなくて。柔らかくて、温かくて、気持ちよかったなあ」

「もしかしてモフるのに必死で私だって気付いてないんじゃないかって、本当にドキドキしたんだから」

「ごめんね。でも安心して。私、もうすっかりあなたを覚えてしまった。次にどんな姿で来てもエリーのことは分かるから」

「そこは、まあ、もう疑っちゃいないけどさ」


 その言葉の通り、エレノアはロサリオのことを疑ってはいない。同じ姿であることのほうが少ないくらい、この塔へと訪れるエレノアは様々な姿に変わっては戻れなくなっていた。だがそれでもロサリオは、その来訪者の中身を獣と間違えることはなかった。


 どうして見分けられるのかと問いかけたのはまた数日前のことで、ロサリオはエレノアのその問い掛けに、“私は魔力を食べるから”と、ただそれだけを答えたことを覚えている。


「ね、エリー」

「なに?」

「今度、今度ね、本物の猫を見てみたい」


 ロサリオはそう言って、エレノアの指先を握った。きっと、理由は何でもよかった。そんな投げやりなお飾りばかりの欲求じみた言葉が、栄養不足でやせ細り、凹んだ爪とともに微かにエレノアの指先をくすぐる。

 途切れ途切れになる言葉に釣られるように俯いたロサリオ。そのつむじを眺めたエレノアが、あっけらかんと口を開いた。


「いつ行く?」

「いい、の?」

「いいよ! ふふん! むしろ、このエレノアさんのお気に入りスポット、全部紹介しちゃるから覚悟しな! 伊達にサイズ変化の感覚掴むために小動物に化けまくってないもんね! 街への抜け道から、魚の美味い川まで、何だって知ってるんだから!」


 今度、魚の丸焼きを食わせてあげる。そう言って笑うエレノアに、ロサリオは胸のときめきを浮かべるように、その砂金色の瞳を輝かせた。




 ――――




 聖骸としてのエレノアに課されている仕事はいくつかあった。


 日帰りで行ける範囲の農村に出た三十匹程の巨大蟻の群れ。閉所ならともかく、農地確保のために広く取られた空間において、巨大蟻はそう大きな驚異ではない。

 聖騎士が部隊を組めば対応出来る程度の薄い障害に対し、聖骸が三人も派遣されたのは、やがて来たる実戦に向けての訓練を兼ねていた。


 ポーロウニアという鉱山を抱えた城壁都市。王都の真南に存在するその前線基地に配置される前に、せめて魔物殺しの経験を積ませようと企画された予行演習だ。

 ポーロウニアへの凱旋、その本番は二カ月後に予定されており、教会はそれまで三名の聖骸への詰め込み学習で必死だった。


「えい、や!」


 しかし、そんなソフトランディングを意識した事前学習のための“かかし”も、聖骸セオドアの一太刀で全てが死滅した。


 住人の避難は済んでいるという従者の言葉を聞いた途端、遠目に砂粒程度の大きさに見えた巨大蟻に向けて剣を振るったからだ。

 セオドアの権能による斬撃が、民家諸共、巨大蟻の群れを真っ二つに引き裂き、臓物を真昼の太陽の下にぶちまけた。


 セオドアの権能である不可視の斬撃。

 距離を詰める必要はなく、絨毯爆撃のごとき射程範囲を誇る肉眼に映ることない魔力の斬撃は、並の相手ならばその肉が断ち切れるまで認識することすら適わないだろう。事実、そこにあるのは既に物言わぬ死体だ。


 それにしたって気が早いにも程がある。大好きな“みんな”が確かめたから逃げ遅れなんてあるはずないと思ってやがるな、こいつ。

 エレノアは降りたばかりの馬車の壁に身を預けながら唾を吐きたい気持ちを抑えた。


「……派手にやったね、セオドア」

「えへへ、どうかな? 僕、みんなの役に立ってるでしょ、エレノアちゃん」

「あー、うん。すごい、すごい。……センパイ、メッチャ、スバラシイヤァ。スッゲェ、カッケェ、タヨリニナルゥ。……でもさあ、セオドア。目的理解してた?」


 気色の悪さと呆れを顔に隠せないエレノアが、心のこもらない賞賛をクッションにして問いかける。そんなエレノアの枕詞の誉め言葉に浮かれていたセオドアは、その言葉にきょとりとしながら口を開いた。


「えっと、キラーアントの群れが農村を襲ったから、みんなに言われてその退治を」

「そだねえ。もし逃げ遅れた住民とかがいたら、あんた人殺しにジョブチェンジだったけど、それでもそうだねえ。ただ討伐するだけなら教会の聖騎士部隊で足りるのに、わざわざ私ら聖骸が呼ばれたのは“本番”に向けての経験を積むためだけど、それ抜きにしたらそうだったねえ」

「あ、そ、か……」

「お兄ちゃん、一人で食べたEXPおいしい?」

「……ごめんなさい」

「別に悪いばっかじゃないけどさあ……。ちょっとさすがにさあ……」


 落ち込んで俯いたセオドアにそれ以上を言えなくなったエレノアが口の中で言葉を咀嚼する。


 そもそも聖骸はそれぞれ単騎での魔物討伐には困らない。それが出来る程度には、権能という力は恵まれている。それでもなお訓練が必要だと判断されたのは、聖骸間の連携の問題があったからだ。


 三人の聖骸、その権能は様々だ。セオドアのように攻撃に特化したものがいれば、エレノアのように柔軟な対応を得意とするものもいる。

 それぞれの権能は素晴らしく、単体での行動を得意としていても、実戦において他の聖骸との連携が取れなければその脅威は減衰することだろう。

 仲間内への誤射など論外だし、特にセオドアとオリビアの権能は性質上“競合”する。これはそれを擦り合わせるための予行演習だった。


 それを知っているはずのセオドアが先走ったのは、ある意味、攻撃特化型の自分が前に、という思考に基づいた行動だろう。とはいえ、善意であるだけの独断専行に、エレノアは苦い顔をこらえられなかった。


「見なよ。オリビアなんか馬車から降りてもいないじゃん」


 そう言って、エレノアは自らが背中を預けた馬車の窓を指さした。そこにはエレノアの指摘の通り、馬車の椅子から立ち上がりすらしなかったオリビアが一部始終を見守っていた。感情の伺えない濃灰色の瞳で、遠くの崩れた家屋を眺めている。


「あ、あの、オリビアさん、その、ごめんなさ」

「魔物、殺すのはいいけど」


 謝罪を口にしようとしたセオドアを遮り、オリビアが淡々とした様子で口を開く。


「あそこに住んでいた人達は“みんな”、もう自分の家で眠れなくなった」

「……っ、は、い」

「かわいそうだね」


 ひう、と呼吸を狭めたセオドアに、しかしオリビアは興味もないらしく、馬車の窓に備え付けられたカーテンを閉めてしまった。




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