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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
134/144

134話 開示3

 

【134】開示3




 王族から、聖骸が選ばれる。

 それは神の直接的な采配を預かったことにほかならない。


 それは聞こえがいいだろう。

 そして何よりも都合がいいのだろう。


 国の惨状を受け、どれだけその統治者へ不満の声が上がろうとも、それでも神は自分たちの中からすら遣いを選びたもうたと。その事実は宗教を骨格と据えた国において、あまりに大きな旗となる。


 なにせ、それさえ出てしまえば“自分たちとて犠牲を払った”証左として掲げられる。娘すらも神の遣いとして差し出さなければならず、それに心を砕きながらも耐えた王などという冠が出来上がる。

 そして何よりも、神こそがそれを望まれたと。酷く歪な言い訳は、しかし同時に盲目的な信仰を下支えするだろう。


 例えばこの後、何百年という未来、この国が存続できたとして。その頃に数多く生まれる歴史家たちは、この国の統治者を命の強奪者としてシンプルに指し示すことができなくなる。


 痛みは、誰しもが支払った。

 そんな、合意無き証拠だけが額縁として残り続けるのだろう。


「王族の血を引くものを、しかしおいそれとは殺せない。だから聖骸として捧ぐことは簡単ではない。しかしそんな栄光は欲しい。捧げ続ける言い訳が欲しい。神にすら選ばれたという、それに足る栄光が。自分たちも腹を切ったのだという、同情に足る言い訳が。そんな折り、必要としていなかった命がひとつ、都合良く条件に合致した」


 つい、とリオがテオから目をそらす。薄い唇が、まるでどこまでも他人事のように淡々と己の事情を漏らし続けた。


「いらないけど、でも、聖骸として選ばれる可能性があると。考えてもいなかった人間の定義、そのすれすれの枠組みに入る蓋然性は乏しくないと。だから、私という存在は、彼らにとって、あまりに都合が良くなった。厄介払いに手段を選ぶ、そのための理由ができてしまった」


 きつく握りしめられたレジーの左手をゆるゆると慰めるように解いたリオは、しかしそれでもその口を止めることはなかった。


「それから私は、ゆくゆくは聖骸として身を捧ぐものとして育てられました。知識を、常識を、礼節を、立ち居振る舞いを、彼らの持つ素晴らしいとされる全てを詰め込まれました。聖骸となる以上、見苦しくない程度、捧げ物として不足のない器として整えなければなりませんので」


 それはこの国特有の生贄の作り方だろうとアーニーは考える。記憶の中身を覗かれる前提の、まるで試験対策ノートを作成するかのような事前準備。彼らに求められたのはそういった生き字引としての下拵えであって、その心を切に何かに寄り添わせるような人間性ではなかった。


 たとえ子どもであったとしても、知識の下地が足りていればそれで構わない。

 命の線引きよりも、多種多様な器の種類をそろえることこそを重視された手法だ。


 そういう思想があったからこそ聖骸の選択の場に孤児院が選ばれ、リリーを含めた数多の子どもがその寝台で眠っていたのだ。今現在、自らの心臓に近しい無機質な核を包む肉の器の小ささを、アーニーとて意識しなかったわけではない。そういうものが立ち並んだ場所の残酷さから目を背けたところで、結局は見下ろした爪先の小ささを振り切ることはできなかった。


「そういうふうに、生きてきました。そういうふうに、生かされました」


 アーニーの沈みかけた思考をリオの声が遮る。しかしそれは、やはりどこまでも淡々と、あまりに色をなくした声音だった。


「でも。でも、命の使い方なんて、本当はひとつっきりじゃなかった」


 しかし次の瞬間、まるで布から油が滲み出るように緩やかに、しかし粗い目を押し広げるように確かに決壊した。


 細い喉がひとつ呼吸を吸い込んだ直後、金髪の髪を揺らしてまでも、リオは首を横に振る。微かにゆがめられた眉は、きっと初めて彼女の不快感を表出させた。


「……いいえ、いいえ。違うんだ。それは、別に、きっと、どうだってよかった。あの人たちにとっても、“同じようなもの”だった」


 それでも滲み出た感情を微かな呼吸ごと飲み込んだリオは、なおも口を開く。薄い爪がカーディガンの長い袖を掴んで、力んだ白い肌の下に薄らと血管が浮き上がった。


「私は、自分の命の使い方を自分で選べないことが嫌だったんだと思います。私にとっては、……私にしかない事実としては、それだけが全てでした」


 けれどその全てが十二分に並び立つ一人を動かしたのだろう。レジーの剣を振るうに困らない腕が、柔らかにその肩を抱き寄せた。


「それきりが、たった十八年程度しか我慢のできなかった、私の全てです」


 まるで少女のような姿で、彼女、ロサリオは最後にそう言葉を吐き出した。


「じゅ、はち? それは、君、十八歳って、こと?」


 その言葉に息を呑んだのはアーニーだった。さあ、と悪くさせた顔色で、途切れ途切れに口を開く。


「はい。恐らくついこの間、誕生日が来たはずなので十八歳で合っています。自分で言うのもおかしな話ですが、幼く見えるでしょう。全てというわけではありませんが、特異体質者に外見と実年齢の合致をあまり求めてはなりません。私たちにとってのそれは魔力の摂取量、その多寡に左右されるものですから。上という意味でも、下という意味でもそうです」


 リオはそう言って、椅子の上で小さく身動ぎをする。精々が十を過ぎた程度にしか見えない体格と、幼さを保ったままのほのかに丸みを帯びた顔付き。到底思春期を過ぎた容姿ではないその姿をアーニーは観察する。


 十八歳。

 思ったよりも大きかったその年齢の数字は、しかし同時に彼女が今しがた語ったばかりの飼い殺しの期間の長さを物語った。


 惨たらしいなんてものではない。

 もっと、もっと酷い。

 人間という生き物が、人格を形成し、趣味嗜好を立ち上げ、自らの今後の生き方に夢想する。そんな、人間としての心を形作るために最も重要な十八年。それを奪われたのだ。


 特殊体質者が聖骸に選ばれたのがおおよそ十年前だと話していた。ならば、それは。


 初めの八年では、早く死んでくれないものかと望まれて。

 残りの十年では、美しき死に様と死後の在りようを押し付けられた。


 そういうことには、ならないか。


 そんな一人の人間の、本来たった一回きりしかない人生において重要な期間を。それを、アイデンティティやイデオロギーなどと言えば聞こえのいい、お仕着せのエゴしか許されなかったなどと、そんなこと。


 どれだけを恨んだって。どこまでを見限ったって。それでもまだ許される余地のある、純然たる呪いじゃないか。


 顔を青くしたアーニーが口を開こうとした寸前、リオはまるでそれを遮るかのように言葉を吐き出した。きっと示されたであろう憐れみを、彼女は必要とはしなかった。


「先程の話ですが。家出と言われれば、そうなのかもしれません。でも、私は」


 逡巡したように一度言葉を区切ったリオを、しかし誰も止めようとはしなかった。アーニーの吐き出しかけた同情のような糾弾すら、リオは存在することを拒絶したのだ。


 その代わりと、持ち上げられた砂金の視線が真っ直ぐと白金の髪の少女を射抜く。


「私は、死んであげることに、納得ができなくなってしまった。だから……」

「だから、私がロサリオを奪った」


 それでも言い淀んでしまったリオの言葉を遮って、レジーが立ち上がる。それを見上げたテオとアーニーは、沈黙を守ることでその続きを促した。


「あそこにはロサリオを殺す人間しかいなかった。だから私が連れ去った。あいつらを人間だなんてもう思ってないし、一人残らず火の海に沈む未来を願っている」

「レジー……」

「私は今でも本当にそう思ってる。それくらい、まだ、怒ってるんだ」


 レジーはそう言って、握ったままのリオの手を酷く大事そうに両手で包み込んだ。関節の丸みですらも愛おしいと言うように、男の大きな手がリオの手を撫でる。


「許せない。許すもんか。あなたがよいと言ったなら、私はいつでもあそこを燃やしに戻るのに」

「駄目だよ、レジー。私はあなたに、それだけはしてほしくない。あの人たちとのことは、あなたとの“これから”に一片だって必要ない。私はもう捨てた。あなたも捨てていいの、レジー」

「……分かってる。分かってるけど、ずっと、ずっと腹が立ったまんまなんだ。ほんの少しを思い出すだけで、苛立たしくて仕方がない」


 俯いたレジーの鉛色の瞳が、酷く暗い色をして細められた。落ち着いた口調と反して、怒りに震える目元が痙攣する。


「レジー、君は」


 アーニーが言いかけた言葉は、しかし途中で途切れた。握った手を離したレジーが一歩踏み出したからだ。


「自己紹介、途中だったよね」


 腰に差した細剣をリオへと預けたレジーは、丈の長いコートをおもむろに脱ぎ始めた。受け取った細剣を胸に抱いたリオが、ほんの少しだけ後ろに身を引く。


「あらためまして。私は聖骸エレノア。前世の名前は浅川祐希(あさかわ ゆうき)。死因は交通事故、だと思う。歳は十四。中学三年生でした」


 長いコートを眼前に掲げたレジーが言う。幕のように垂れたコートは、しかし次の瞬間に床へと落とされた。


「権能は変容」


 落ちたコートの向こう側。そこには一人の女が立っていた。


 肩まで伸びた癖のある黒い髪。同じ色の瞳の下にはそばかすが目立つ。

 背丈は百六十センチにぎりぎり届かないくらいか。痩せぎすという程でもなく、肉が付き過ぎているかといえばそうでもない。中肉中背という言葉の似合う体型だ。

 悪く言えば没個性的。大衆に混ざれば、埋まり、薄れる。そんな女性だった。


 けれど、その女は確かに異質であった。


 見せつけるようにかざした右腕が、泥のように溶けて、また固まる。


 鱗、羽、鱗粉、皮膚。

 きっと、たくさんのなにものかが、その根幹には混ざりこんでいた。


「竜擬きから神話の獣、不定形の怪異などなど、なんでもござれ。化物になるのが得意です。どうぞ、あらためてよろしく」


 そうして、彼らの開示は始まった。




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