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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
127/144

127話 花冠4

 

【127】花冠4




「そんなこと、したら、あんたが埋まる。リリーの、体、なん、だから」


 ずず、と鼻をすすったテオの言葉に、アーニーは微かに目を見開いた。

 自分は埋葬されたくないとか、そういうことではなかった。ただ、リリーの話をすることをテオが否定しなかったことに驚いたのだ。


「そりゃあ、いつか、俺だって。いつかはリリーを弔いたい。でも、だからって、あんたに死ねって言いたいわけじゃない」


 息を詰めたアーニーの驚愕を察したのか、テオはその灰色の目で真っ直ぐに少女を見つめてそう言った。


「いいの?」

「なにが」

「僕たち、このまま生きててもいいの?」


 いつの間にか土に膝を着いていたアーニーが問う。それに気が付いたテオはおもむろに上着を脱いで地面へと広げた。


「俺は」

「うん」

「俺は、何も悪くないあんたらが、そういうことを気にしなくちゃいけないのも、嫌だ」


 手足を脱力させたアーニーの脇に手を通し、小さな体を敷いた上着の上に座らせたテオが答える。

 そっか、と少女の口が小さくこぼした。


「生きたいなら生きたいだけ生きてほしい。それを邪魔するのは嫌だ。あんたを殺してリリーの墓を作ったって、どんな顔をして手を合わせろって言うんだ」


 そう言って、テオはぐしぐしと乱暴に目元を擦った。残っていた涙の膜は最初から無かったみたいに姿を消した。


「……テオ」


 まだがらがらの声で話すテオに縋るように、アーニーはその名前を呼んだ。

 その膝を守るように敷かれた濃い緑色の上着はテオの体をもってしても大きいものだ。

 所詮それは貰い物で、テオのために拵えたものでもなければ、テオが自分で選んだものでもない。


 それでもその上に座り込んだ少女と見比べて、その上着はあまりにも大きく見えた。成長を止めてしまった聖骸リリーと、成長期が終わるまで生き延びたテオ。

 体だけじゃなく、心だって長らえた。ならば、せめてそう見えるように振る舞いたいとテオは精一杯に丸々背中を伸ばしてみせる。


「もう生きちゃったんだから仕方ないだろ。あんたらが生きてること自体が悪いだなんて、そんな話はないじゃないか。だから好きにしていいんだ。俺のこともリリーのことも、本当ならあんたは、知ったこっちゃねえって投げ出したってよかったんだ。そしたらもっと安全に、ずっと長く生きられる。それは、今から、だって、遅くは……」

「そんなのことするもんか」


 しかし最後には及び腰になって俯いたテオの言葉をアーニーが遮る。睨むような強い目が、ぎらりとテオの弱腰を射抜いていた。


「君が教えたくせに! 後悔するならやってしまえって、君がついさっき言ったくせに! なんだよ! 舌の根も乾かないうちに今度は尻尾巻いて内地に逃げてろって言うのか! 僕をこれ以上の臆病者にするつもりか!」


 がばり、と少女が立ち上がる。多分、アーニーはこの時になって初めて心から怒ったのだろう。擬態された白金の髪が根元から橙に染まる。夕暮れのような瞳が強くテオを睨みつけていた。


 その足元で、親切心で敷かれた上着は踏み潰された。


 でも、そうだ。

 それは初めから、求められたものですらなかった。その少女は初めから、自分の足で立っていた。


「そりゃあ早死にするのは嫌だけど、一人っきりで死なないだけなのだって同じくらい嫌だね! もともと、残りの五人が許すなら、いつかどっか気分のいい所でおやすみするつもりだったんだ! そんなにしたいことしろってばっかり言うんなら、黙って僕の枕にくらいなったらどうだ! 言ってる意味が分かるか! 僕の気が変わんなかったら、君の元で死んでやるって言ってんだ! だから、それまで僕たちのこと甘やかさなくていいから、これからの君の人生に少しは混ぜてよ!」


 アーニーの細い両手がテオの胸ぐらを掴みあげる。非力な腕ではテオを立たせることはできなかったが、それでも沈みがちだった灰色の目を強く惹き付けた。


「……そうか」

「うん、そうだよ」

「死にたくないわけじゃ、なかったのか」

「命に永遠なんて求めてない。僕はそれに耐えられる精神構造をしてないし、だからって自己犠牲で死地に向かえるほど生真面目でもない。首吊りよりはましな死に方を選べるうちに探していただけさ。だから、いつか、そうだね。君より先に、眠るんだろうね」


 アーニーはそう言って、テオの胸を掴んでいた手を離した。乱れたシャツを払って直すと、薄い布越しに体温で温まった鎖の感触する。

 冒険者の識別票。それを提げる個人の要素を記し、死体となった後も残すもの。テオが以前にそれを墓標だと話していたことをアーニーは思い出した。


 アーニーの目が真っ直ぐにテオの首元を見つめる。それに気が付いたテオは、タグを繋ぐ細い鎖を襟首の中に隠しながら口を開いた。


「それも、なんだか寂しいな」

「じゃあ、君がうんと長生きして、やっぱりそれでもまだ寂しいんだったら、リリーの墓参りのついでにでも通える場所に僕のお墓も作ってよ。中身は空でいいからさ」

「分かった」

「もしも万が一に君が僕より先に死んじゃったら君のお墓は僕が作ろうか。首のやつよりは立派なのを立ててあげるよ」


 そう言って、その場にどかりとあぐらをかいたアーニーがテオの首元を指さす。鎖骨の少し下、心臓あたりに隠されたタグを示しているとテオは気が付いた。


「……いや、それは」


 からかうように笑ったアーニーに対して、しかしテオは気まずそうに言い淀んだ。それに対して片眉をはね上げたアーニーが自分の膝の上で頬杖をつく。


「どうしたの?」

「それは、ミンディがいるから、大丈夫」

「はっはーん、そうだった、そうだった。君にはミンディっていう怖ーい門番がいるんだった。じゃあ君がミンディより後に死んだら僕が作ろう」

「俺が、ミンディより、後に? ……随分と縁起が悪いことを言うな」

「なら君はミンディにとってずっと縁起が悪いことをしてるよ。昨日の話を聞いた限りじゃあ、彼女、君のことを自殺志願者か何かみたいに思ってるんじゃないの? ちょっとは自覚しないとそのうち愛想尽かされちまうぜ、唐変木」


 分かりやすく呆れ顔を作ったアーニーの言葉に、ぎくり、とテオは固まった。日に焼けた頬にたらたらと冷や汗を流し始める。


「気、を付け、ます」

「そこ割と真剣に焦るんだね」


 ふー、と大きく溜息を吐いたアーニーが言うと、テオはその大きな手で自らの顔をおおった。その向こうで喋ろうとした言葉が、ふがふがと濁る。


「……まあ、それなりに」

「ほほう、それなりに? それなりに何と?」

「いじわるするな、ばか」


 開いた指の隙間からアーニーを睨んだテオが言っても、もうアーニーには効かなかった。組んだあぐらを解して足を伸ばしたアーニーが、木々の間から覗く空を仰いで言う。


「そういうこと言うとそれなりに気にする、だっけ?」

「お前、本当、急に、なんだ、面倒くさい。は?」

「だあってえ、なんだかおかしくってさあ」


 くつくつと笑ってからかいの言葉を吐くアーニーに呆然としたテオは、顔を隠した手を剥がし、指をわななかせる。はくはくと口を開いては閉じ、閉じては開きを繰り返すと、テオはやがてがくりと肩を落とした。


「好きにしろ、もう……」

「やったあ、言質取ったぞ!」


 テオのギブアップに、アーニーは諸手を上げた。ひっくり返るように上体を後ろに倒し、起き上がり小法師の要領で立ち上がる。

 それをジト目で眺めるテオにへらりと笑ったアーニーは、ピクニックシートの代わりにと差し出されていたテオの上着を大漁旗のように振りかざしてくるくると回った。


「ふっふーん、じゃあ手始めにこれは僕のものだあ! 宿に帰るまで返してやんないぜ!」

「そんなボロ、欲しいならやるよ、もう……」

「いらなーい」

「さいですか」


 うわ、草だらけ、と呟いて、アーニーは手にした上着に着いた葉を払った。そんなアーニーに、テオは投げやりな返事をしながらも小さく笑う。

 その目に映る少女は、この一週間の中で一番楽しそうに笑っていた。多分、お互いに水面下で気を使いあって、緊張しっぱなしだったのだ。それも話してみれば案外、向き合えたものだから、気が抜けるのも仕方ない。


 でも、だからこそ。

 ちゃんと伝えなくてはならないことがある。


 テオは一つ深く息を吸うと、意を決して口を開いた。


「……アーニー」

「なんだい?」

「さっきは、……怒鳴って悪かった。この間の坑道でもそうだ。ごめん」

「いいんだよ。僕は別に君のことは怖くないから」


 ふわりと広げたテオの上着を背負い込んだアーニーが答える。中身のない腕に守られているかのような姿だ。


 アーニーの柔らかな視線がテオを見つめる。言葉の通り、その目に恐怖の色は欠片もなかった。アーニーにとって本当に、テオは怖がる必要のある相手ではないのだろう。少なくとも、今の二人にとってそれは疑うべくもない事実だ。


 でも、彼は。

 レジーはテオを怖いと言っていたから。

 だからテオは、その続きを口にした。


「あんたが、よければ」

「うん」

「教えてくれ。どうしてレジー達を受け入れた。あいつは、レジーは、一体、何なんだ」


 鉛色の髪と瞳。魔術適正の高い体質と、剣を携えて走り回るだけの持久力を持つ男。それだけなら、きっとテオもレジーのことを努力を重ねた人間くらいには見ることができた。


 けれど、きっとそうじゃない。

 そう思ったのは、そこにアーニーという異質が関わっていたからだ。


「そうだね。僕もその話をして来なかったことは反省してる。つい昨日もソフィアにケツをぶっ叩かれてしまったしね」


 そりゃあ僕はチキンだけど、あの子は少し短気が過ぎるんだよ。そう言って誤魔化すように笑ったアーニーは、すたすたとテオの前へと歩み寄った。


 少女の柔らかな手が肩に羽織った大きな上着の袖を掴む。土よりも赤みのある橙の瞳が、真っ直ぐにテオを捉えていた。光を透かしてもなお橙の中に暗がりを感じさせる夕暮れの瞳が微かに細められる。


「あの子は、レジーはね」


 少女の小さな口が息を吸い込む。やがて語られた言葉に、テオはただ静かに息を呑んだ。


「僕たちと同じ転生者、つまりは聖骸だよ」




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