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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
122/144

122話 帰路3

 

【122】帰路3




「どうだろう。ただ、今の話を聞いて」

「ええ」

「君の不安が埋まったらいいな、とは思った」

「私の不安ですか」

「決められないことを恥じている。それって、決められることを、そういう人を、凄いことだと思っている。合っているかな」

「ええ、そうですね。それができるのは凄いことだと思います」


 テオの言葉にソフィアは素直に頷いた。柔らかな白金の髪が揺れる。それを視界の端で追いかけながらもテオは続きを口にした。


「でも、君はもう、ものを決められていると思うよ」

「決めている? 何をですか」

「自分は笛がいらないと決めた。決められる人を凄いと思うことを決めた。それをそう思えたのは、君がそれをそういうものだと自分で決めたからじゃないかな」


 テオはそこで一度、言葉を区切った。これ以上を聞きたくないというのなら、話す気はなかった。


「……続きが聞きたいです。話してください」


 けれどもソフィアは続きを促した。真っ直ぐにテオを見上げる白金の目が揺れている。


「本当に何も決められないなら、コンプレックスの暴露なんて提案しないだろう。そんな恥ずかしいこと、しなくて済むならしないほうがいい」

「テオさんは話したのに?」

「……聞きたいのかと思って。いや、違くて」


 そうでないなら好き好んで話すもんか。口をついて出そうになった言葉を飲み込んだテオは、一度、頭を振って話を戻した。


「君がその提案をしたのは、人の恥を聞けば不安も楽になるという話からだった。それをそう思い、そういうものだと決めた君自身が君の中にあるんじゃないのか。今だってそうだ。俺の話を聞くことを君が決めた」

「だって、そういうものじゃないんですか。私は何か間違ったことを言ったでしょうか」

「さあ、それ自体が正しいかどうかは俺にも分からないよ。弱みを晒したときにつけ込まれる相手が多かったから、俺自身、そういう話題とは積極的に仲良くして来なかった」


 たった一年だ。その短い期間でパーティに所属した結果、その顔を殴り飛ばした人数が少なかったとは口が裂けても言えない。


 一人一人の顔も名前も記憶に残して来なかったから、それこそ彼らのほとんどとの出来事は、何かしらの親しみを帯びた経験とはならなかった。ただ一部、そうでなかったものもあった。けれどそんなほんの一部の彼らとの認識は、もう確かめようのないものとなった。冒険者として働くのはそういうことで、テオはそんな彼らを結局のところ守れなかったのだ。


「でも、何を信じるかを決めるのも自分だ。他人の恥が不安を埋めるという言葉を昔の君が聞いた時、君は少なからずそれを肯定したんじゃないかな。そうでなければ、きっとそういうものだなんて言って、今こうして使いやしないだろう。だって、それはもう君の言葉になっている」

「私の言葉ですか」

「ああ。その話、俺といた時に聞いた話じゃないだろう」

「そうですね。これを聞いたのは私が一人として生きていた頃、こちらの世界に来る前です」


 ぼんやりとテオを見つめる白金の目が揺れる。ほんの十秒に満たない沈黙が落ちた後、ソフィアは、はっと息を呑んだ。


「ああ、なるほど。これは“私”しか知らない話で、あなたは知らない話だった」

「そうだね」

「私が覚えて、私が選んで、私が持ち出した、あなたのものではないお話」

「ああ、君がそれを決めた」


 そう言ってテオは頷いた。自分にも覚えがある話だった。


 例えば、テオがその愛称を認めたのはほんの四年前の話だ。初めに入った二つのパーティで手始めにと押し付けられたその略称を渋ったことを覚えている。


 テオドールからテオへと、たった三文字減らしたくらいで何の距離を縮めたつもりだ。それ以外の部分で爪弾きにしておいて、名前の欠片を奪うアンバランスな距離感は気持ちが悪いとへそを曲げた。


 けれど、三つ目のパーティは違った。彼らはその死に際までテオを端へと追いやることは無かった。必要があったゆえに聖職者を迎え入れることになったが、それを代償にしてテオへの親しみが薄れたわけではなかった。

 それでも、曲げたへそは簡単には戻らなくて、好きに呼んだらいいんだとぶっきらぼうにいた自分を、彼らはずっと三文字分の距離を詰めて接してくれたから。


 あれは心地が良かったんだと、やっと腹に落ちたのは、全部がなくなった後だった。


 結局、やはり自分には名称の短さに親しみを込める感性がないらしいことに気が付いたものの、それを持つ誰かしらを遠ざけることにも意味が無いことを理解した。

 だから、今のテオはたった三文字分の親しみに意味を見出すことを否定しないし、それを面倒に扱う前に、一度は提案して様子をみるようになった。


 慣れと言われればそれまでだとしても、その慣れを拒否しないことを選んだのは自分だ。


「だから、大丈夫だよ。君は君が思うほど、君の定義する恥に当てはまっていない」


 目の前の少女へと意識を戻したテオがそう締めると、ソフィアは静かに瞬きをした。頷くでもなく、返事をするでもなく、ソフィアはただ黙りこくってテオを見つめている。


「えっと、だから、その」


 無表情で自分を見上げ、何も言わなくなったソフィアにテオは思わず焦ってしまった。落ち着きなく手を握り、言葉を探すテオだったが、しかしその緊張はすぐに霧散した。


「ふふ、ふ、はは」

「……ソフィア、大丈夫か?」

「んふ、大丈夫、大丈夫ですよ。ふふ、ふふふ」


 くすくすとソフィアが口元を隠して笑っている。ぱたぱたと羽ばたくように肩を揺らし、目元に涙まで溜めて笑うものだから、テオは思わず目を白黒させた。


「ごめんなさい、もう大丈夫です」


 一通り笑ってすっきりしたのか、目元の涙を拭ったソフィアが言う。柔らかに口角を持ち上げた自然な微笑みが印象的だった。


「私は今のテオさんの言葉を肯定することに決めます。少し、楽になりました。ありがとうございます」

「なら、良かったけど」

「だから私、ちゃんとテオさんの味方もしますね」


 するり、とソフィアの小さな手がテオの手を取る。権能で操作されず、無関心の乱暴さもないその手は、嫌に力なくテオの手のひらに触れた。玩具を振り回す子どもとは違う、慈しみ慮る不慣れな手つきだ。


「それは、ありがとう」

「いえ。さっきのこともそうですが、この間は鉱山の中で勝手に操作してしまってごめんなさい。怪我もしていたし、お辛かったでしょう? あのとき私、あなたのことがどうでもよかったんです。いつぞやに頭をなでられたときも、何か心地いいことをしてくれる木か何かみたいに思ってました」

「え……、あ、はい」


 薄々そうなんじゃないかと感じていたテオであったが、ソフィアの歯に衣着せぬ暴露に思わずぎこちない返事をする。


 初めに彼女が言った通り、テオはソフィアのそういった軽視を警戒していた。自主的に護衛をすることは構わなくとも、強制的に肉盾にされるとなると話は違うのだ。それを可能とする力を持つ相手が自分の存在を軽んじている。本能的にそれを察したテオは、正直、ソフィアと接するのが怖かった。


 おかしな緊張から手汗をかいたテオの手のひらを、ソフィアの細い指先がくすぐる。びくり、とテオの肩が驚愕に揺れた。


「これからは、どうでもよく思わないので」

「う、うん」

「怖がらなくて、いいですよ。ちゃんとあなたも大事にします」

「…………は、はい、よろしくおねがいします」


 テオの消え入りそうな返事を聞いたソフィアの笑い声が、静かな宿町の風景に混ざって消えていった。





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