120話 帰路1
【120】帰路1
すっかり暗くなった帰り道、ぼんやりとしたランプ石の街灯を辿るように、テオと少女ベルことソフィアは宿へ向けて歩いていた。ソフィアの権能である操作から解放されたテオは、体の感覚を確かめるように肩を回している。
背後には建物の壁に消えるギルドが見えていた。街灯に照らされたその姿を名残惜しく眺めたテオは、しかし直ぐに隣を歩く少女へと意識を戻す。
「大丈夫だったか」
「何がですか?」
「ミンディが、その、悪かったな」
「私は特に何もされていません。ギルドに逃げ込んで子どもらしく助けを求めたところ、ミンディさんが癇癪を起こして地団駄を踏んだ挙句に床板を踏み抜いたせいかホゾキさんとの口論に発展してしまったので、そのあとは外から観戦してただけです。そもそも、彼女の目的はリオだったようですから、やはり私にはあまり関係がありません」
「ミンディがリオに?」
ソフィアの言葉に、テオは小さく首を傾げて隣を歩く小柄な少女を見下ろした。前半部分のミンディとホゾキの諍いについてはよくある事なので気にしていない。
深く被ったフードの下に薄緑色の髪を隠したソフィアが、同じ色の瞳でテオを見上げる。
「それを私に聞かれるのは困ります。リオ達のことはテオには言わないでね、とアーニーより言い含められていますので」
それ、俺に言っても良かったのだろうか。テオは思わず閉口した。しかしその続きを聞こうと再び口を開いたテオが言葉を発する前にソフィアは首を横に振った。
これ以上は聞くなということらしい。その無言の制止を受け取ったテオは、言葉を飲み込む。
リオとレジー。その二人との関係はそもそもアーニーからの要請で成り立っている。その本人が止めたのだ。アーニー本人を直接聞きただすならまだしも、口止めをされているソフィアに対して自分の好奇心でこれ以上踏み荒らすことは躊躇われた。
「それより、私、テオさんに言いたいことがあったんです」
テオの気弱な躊躇いを察したソフィアは、話題を変えることにしたらしい。そもそも彼女がそれをテオに漏らさなければ気にすることもなかったのだが、ソフィアは先のそれを話した選択自体を後悔している様子ではなかった。
「笛を買っていただいて、ありがとうございました」
「あー……君は何を選んだんだったか」
「いいえ。私は選んでません」
「え、じゃあ、どうして」
三つの笛を買ったのはもう一週間前になる。テオも誰が何を選んだのか曖昧だった。馬の細工の笛。青い鳥の水笛。花を模した縦笛。選ばれたそれらは未だに宿の部屋に放置されている。
テオの問いかけに、しかしソフィアは問いかけの主が思った以上に困惑した顔を見せた。こてり、と首を傾げて顎にこめかみを指さす様子は幼げだ。
「どうして……ううん、どうして」
しかし、当のソフィアは困ったように眉尻を下げて首を傾げてしまった。
「施しには感謝をするのが当然だと、そう思っていたので。違いましたか」
「違うことはないと思うが、それなら俺は君に何もしてないじゃないか。笛のことならなおさら。……欲しいなら今から探しに行くか?」
「いらないです」
テオの提案をずばりとソフィアが切り捨てる。そうですか、と肩を落としたテオを見かねたのか、ソフィアは慌てて口を開いた。
「じゃあ、キャロルのかわりです」
「キャロルのかわり?」
「あの子は口がきけません。言葉を言葉と認識するだけの機能がないんです。たった一人の人間を六分割もすればそれくらいの不備は出るでしょうし、無理もないんだと思います。だから“ありがとう”の感情を“ありがとう”のまま口に出せないキャロルの代わりに、私が言いました」
そう言ってソフィアは被ったままだったフードを下ろした。白金のそれへと戻った髪は、もう既に彼女が臨戦態勢ではないことを示している。
こうしてみると、本当に他の人格と見分けがつかない。そう思ったテオは、しかし自分とよく接していた三つの人格のそれぞれを思い出して首を振った。
アーニーのように高圧的でもなく、ニーナのように浮ついた雰囲気でもない。遠慮のないという意味では酷く近い距離、それでいて壁を作るように丁寧な言葉を選ぶ少女、それがソフィアなのだろう。
少なくとも、テオは目の前の少女がソフィアであることを確信していた。
「あの子はそれ以上にも欠陥を抱えています。でも、歌を歌うのは好きそうですよ。歌う側も聞く側も、それに向き合っている間は少なからず悪感情から遠い場所にいるという認識があるらしいですから」
そう言って、ソフィアはゆらゆらと体を揺らした。子守唄に乗るような緩やかなその動きは、落ち着きがないというには静か過ぎる。
それはまるで胸に抱いた赤子をあやすさまに似ていた。
「感情の名前すらも曖昧ですが、それでもあなたはキャロルがあの笛を欲しいと願った希望を叶えてくれたので。だから、ありがとうございました」
「それは、どういたしまして」
真っ直ぐにテオを見つめたソフィアの言葉に、テオはぎこちなく頭を下げた。
二人の間に不自然な沈黙が降りる。夕飯時が少し過ぎた頃だったが、それでも通りを歩けば騒がしさからは遠くなく、静寂と言うには賑やかな場所だ。
しかし、かえってその賑やかさが二人の沈黙を際立たせる。
普段であれば会話がないことに気まずさを感じない質のテオだったが、この時ばかりは、えもしれぬざわつきが胸を焚き付けてならなかった。
ミンディの話も、レジーの話も、アーニーの話も、誰の話も聞けていない。そんな中で自分が何を成せたかと言えば、恐らく、それは何もしていないと言う他ないのではないかとすらテオは思う。
助けにはなれていない。だって、彼らがどうしてほしいかも分からない。それを聞き出すことすらも、黙ることを選んだ相手に対して求めることはしたくない。
役に立ちたいという願望と、邪魔になりたくないという矜恃は時として相反するものだ。そんな中で、こうありたいと望む自分と、損害にだけはなりたくないと願う自分とが、天秤の両端で綱引きをしている。
多分、自我が薄くなっている。
テオは自省を込めて溜息を吐いた。人に自分の理由を求めるのは止めなければならない。だというのに、どうしてもそれが楽だから立ち上がりたくないのだ。そのくせそれが恥ずかしくて仕方ないのだから、質が悪いと自虐する。
駄目だ、駄目だ。
もっと、ちゃんと。
テオが声にならない唸り声とともに頭を振る。思考の空回りが止まらないのもここ最近の悩みの一つだ。
すると、沈黙とともに一人で意気消沈しているテオを見かねたのか、ソフィアが口を開いた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、平気」
「気分が悪そうですけど」
「問題ない。気にしなくていいよ。ありがとう」
心配するソフィアに、テオはやはり首を振って答えた。咄嗟に愛想笑いを貼り付けたテオを見て、ソフィアが少し考え込む。やがてどうでも良くなったのか、テオから視線を外したソフィアが口を開いた。
「私は笑ったほうがいいですか? 子どもが笑っているの、私は好きだからそうしてましたけど、あなたは少し困っているようなので」
「困ってるかな」
「だってテオさん、私の事、少し怖いでしょう」
「そんな、こと」
あっけらかんと言い放ったソフィアの言葉にテオが固まる。宿へと向かう道すがら、止まりかけた足を叱咤して何事もないように装ったテオに、しかしソフィアは言葉を吐くのをやめなかった。
「言い方を変えます。私から見たテオさんは、私のことが苦手です。だから、私が笑ってるのが嫌なのか、もしくは笑ってないと悪いのか、聞きたいんです」
そう言って、ソフィアはにこりともしていない顔をテオへと向けた。ソフィアと初めて出会った鉱山の中、キラーアントを虐殺しながら笑っていた幼げな彼女とは似ても似つかないその姿にテオは息を呑む。
六分の一だのなんだのと言っておいて、その実、彼らはその一人一人が木の葉のような平面の成り立ちで収まらない。どこまでも立体的に内面と外面を使い分ける目の前の少女のように、やはり彼らも紛うことなき一人一人の人間なのだと改めて自覚した。
「……無理に笑えとは言わないけど」
「けど?」
「けど、君は笑いたくて笑ってたんじゃないのか?」
だからこそだろうか。テオはソフィアの質問に質問で答えてしまった。気になったのだ。アーニーのように迂遠に誤魔化すでもなく、ニーナのように掴みどころのないことも言わない彼女なら、何かを教えてくれるのではないかと。
「愛想笑いって言うじゃないですか。笑いたいと思ったんだと思ったなら、私だって多分、笑いますよ。今のはそういう話じゃなくて、テオさんをなだめたい時、私がどうすればいいかを聞きたいんです」
テオの期待に応えるように、ソフィアはまるで飾られない本音を吐き出した。
もしそれが遠回しな表現だと仮定して、より悪く解釈するのであれば。お前の態度が鬱陶しい。そう訳せてしまう言葉でさえも、ソフィアがそう言わないのなら、それが伝えたいことの本質ではないことが伺えた。
出会ってから一週間。付き合いはあまりに短い。けれどもテオは何となしに思った。
恐らく、ソフィアとは本来そういう人間だった。元からその根幹に幼さを持っていたとしても、それを朗らかに見えるよう飾ったのは彼女とは違う誰かだ。