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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
119/144

119話 変容3

 

【119】変容3




「う、ぐ、うううっ……」


 その光は暗い路地や夜中の屋根を駆け抜けてきたミンディが足を止めるには十分だった。暗闇に慣れた目が唐突な光の洪水に焼かれる。思わず目元を押さえて動きを止めたミンディの頭上へと、“それ”は飛来した。


「捕まえた」


 幾本もの槍を思わせる檻の形状を取って落下した“それ”は、その腕の中へとミンディを閉じ込めると、嫌に流暢な言葉遣いでそう言った。

 大人、子ども、老人。女も、男も。果ては獣の鳴き声すらも思わせる唸り。その全てを重ねたような“それ”の声音は、聞くものに背筋を逆撫でるような不快感を与えた。

 しかし同時にその声はどこまでも、その中心にたった一人の個人の存在を思わせてならない。それほどまでの強固な意志が、芯の輪郭を意識させた。


 形のない一人。

 その存在を定義するならばその言葉がふさわしいのだろう。


 物を溶かす流体の体が、ぽたり、ぽたりとミンディの鎧に滴り煙を上げる。そのうちの一滴がミンディの頬へと落ちて、柔らかな肌に焼け焦げた跡を残した。


「話す気になりましたか」


 魔術で作った水溜まりと手製のフラッシュバンでミンディの動きを阻害したリオが路地の暗闇から姿を現す。その腕にはレジーが持っていたはずの細剣が重たそうに抱えられていた。


「私たちは知りたいだけです。あなたがなぜ私たちのことを知り得たのか。あなたに情報を渡した人間は私たちのことをどうしたいのか」

「話すと思う?」

「話すまで粘る用意はあります。“エリー”」


 リオはそう言って、檻を象った“それ”を見上げた。ぐぶり、と身動ぎをするようにうねった“それ”は、その要請へと応じる。

 ぼたり、ぼたり、と降り注ぐ滴はやがてその体積を増していった。


 肩に、足に、腕に。

 鉄の装甲すらも溶かした“それ”の体液が降り注ぎ、鎧を穿ち、肉を焼く。ミンディは肌を撫でる熱を持たない火傷の痛みに歯噛みし、俯いた。


「“ロサリオ”、こいつ、どこまで溶かせばいい?」

「話したくなるまで」


 いくつもの音が混ざりつつも軽薄な声音の“それ”と、どこまでも淡々としたリオとのやり取り。それはまるでちぐはぐでいて、同時にどこまでも他人事のように怒りや苛立たしさを抱くことはなかった。


 ミンディはそれを知っている。

 “それ”にとって、拘束したミンディは取るに足らない弱者だと見下している。感情を逆撫でるに足らない羽虫だと、そう思っている。

 リオにとって、ミンディは本来、恐ろしい相手だったろう。その相手を捕縛できる武器を手にした今、その恐怖は油断なく押さえつけるための強固な警戒心へと変貌した。


 ぱさり、とミンディの琥珀を思わせる蜂蜜色の髪がひと房、溶けて落ちる。それが地面に溜まった体液に混ざり、同じ黒に溶けた時、ミンディは堪えられないと言わんばかりにその喉を鳴らした。


「ふふ、ははは」

「なんですか」

「戦ったことがないだろう、おまえたち」


 ミンディが言う。俯いたままの顔は上がらない。地面に着いたままの膝が水溜まりの泥に汚された。


 それでも。


「勝ちきれない相手と戦ったことないだろう。自分より弱いものとしか戦ったことないんだろう。そうだろう」


 ミンディは笑っていた。


 捕まえたつもりだったろう。屈服させたつもりだったろう。だからこそ、“殺すつもりが無い”のだろう。


「違いない、違いないわ」


 ミンディの脳裏にテオの顔が浮かぶ。弱くて、いじめられっ子で、泣き虫だと、ミンディは彼を例えたけれど。その根本として、ミンディはテオを愚かとはしなかった。


 敗者の屈服は勝者のトロフィーだ。

 目の前の“二人”は、命ある敵対者の服従も買えないままで得られる勝利が存在すると思っている。ただの喧嘩じゃあるまいし、ちゃんちゃらおかしな話だ。


 テオは違う。彼は分かってやっている。

 自分より弱いものと戦った経験があったって、それよりも重い強者からの敗北に慣れている。だからこそ、勝ちきることの重要性を肝に銘じるのと同じように、折りきらないことで生じる見極めの難しさを甘く見ないのだ。

 彼は勝ちきらない場面の危険性を意識し、一時の優位性を誇らない。その泥のようなしつこさを知っているからこそ、ミンディは思わずにはいられなかった。


 話したくなったら話してくれると。

 それまでは一方的に優位なままいられると。


 本当に?

 ねえ、本当にそう思った?


「“舐めやがって”」


 誰の弱さにあぐらをかいているつもりだ。


 思い通りにできるのは、甘やかされていたからだ。その命の線引きを尊ばれていたからだ。


 私は彼と違って、“慮るつもりはない”と言っただろうが。面と向かって言ってやっただろうが。


「待ってりゃ自分の都合のいい世界になると思ってんなら大間違いよ! 握り潰す気概もないくせに、強者振ってちんたらしてんじゃない!」


 慟哭と共に、その檻の中、捕らえられた女の魔力が爆裂した。




 ──────────




 崩れた家屋の破片が土埃に塗れて横たわる。持ち主のいない民家二棟を壊したミンディの抵抗は、彼女の逃亡という結果で終わりを迎えた。


「ごめん、逃げられちゃった」


 そう言って、レジーはリオの手から細剣を受け取った。すっかりと慣れてしまった手つきでそれを腰に差すと、体の調子を確かめるように肩を回す。傷一つない体は未だに落ち着かない土煙に汚れているだけだ。


「大丈夫。あれだけ痛い目に合わせたなら、もう安易に襲おうとは思わないでしょう。怖がらせられたら十分だから」


 そう言って、リオは目の前の男、レジーを見上げた。鉛色の髪と同じ色の瞳。すらりと高いものの長身と呼ぶにはいまいち足りない背丈。それもまた、ここ最近で見慣れた姿だ。


「あの人、本当に人間? 生身の人間相手に逃げられるの初めてなんだけど」

「人間だよ。でも、そうだね。冒険者って私たちが思ってたより凄い人達なのかもしれない。これからはもっと気をつけていこう、“レジー”」

「だね。私ももっと気張らなきゃだなあ」


 長いコートの裾に着いた砂埃を払いながらレジーが笑う。へらへらとした顔つきと反して、その目は真剣そのものだった。


「あ、そうだ。ごめん、“リオ”。テオさんのことなんだけど」

「どうかしたの?」

「私たちのこと、ちゃんとあの人に話したい」


 そう言って、真っ直ぐに自分を見つめたレジーに、リオは静かに頷いた。リオにはその言葉を無下にすることはできなかった。それほどまでに、テオという人間に対して侵略し過ぎている自覚があったのだ。


 ミンディが出てきたのがいい例だろう。彼女が言ったことが全て本当なら、ミンディの目的の本質はリオ達ではない。彼女は想い人のガードに来たに過ぎないのだ。

 “守らねばならない段階に踏み込まれている”と認識させるほどに、他者から見た自分たちの存在は軽くなかった。


 “自分のことを自分で決めたいから”。

 宿でミンディへと言った言葉は本当だった。だからこそ、たとえテオが全てを知っていたとしても、自分たちからこれ以上の要求を口に出さないまま、その寛容さに甘え続ける不誠実は許してはならない。


「うん。私も話さなくちゃって思う。それに、テオさん、あれじゃあ何も分からないみたい」

「本当にね。あんまり嘘つくの上手そうに見えないのに、意外だったなあ」


 そう言って、レジーは大きく伸びをした。その言葉に小さく頷いたリオは、テオの言葉を思い出す。彼に投げかけた“僕達は邪魔ですか”という質問。体裁だけで構わなかった。聞くと啖呵をきった手前、聞かなければならなかった。ただ、それだけのつもりだった。


「“怖い思いをさせてごめん”、か」


 本当に怖い思いをしたのは誰だろう。その責任を押し付けられたと、のたまっていいのは誰だろう。本当は守られるはずだったのは誰だろう。


 聖骸は、人の死体がなくては作れない。命の宿る温かな肉体を、そうでないものに変容させなければ出来上がらない。

 きっと、彼らにも家族がいた。未来があった。夢を見た。それを奪われて、悲しんだのは誰だろう。


 リオは少なくとも、その立場にいるのは自分ではないのだと思った。だからこそ、テオの言葉が脳裏に引っかかって仕方がない。


 本当に謝らないといけないのは誰なんだろうか。誰が一番悪いんだろうか。誰かが悪ければ終わる話だったんだろうか。

 果たしてこれは本当に、そういうものから始まったのだろうか。始まりがそうだったとして、終わりまでそれは変わらないのだろうか。


「リオ」


 俯き、呟いたリオの小さな声をレジーは聞き逃さなかった。心配そうな顔で名前を呼び、自分を見下ろすレジーを見上げたリオは、かすかに笑う。作り笑いでも強がりでもない、心からの笑顔だった。


「大丈夫。レジーが守ってくれるんでしょう」

「もちろん。私がリオの白馬の王子様だよ! ひひん!」

「ふふふ。頼りにしてるよ、私の王子様。じゃあ、帰ろうか、宿に」


 そう言って伸ばされたリオの手をレジーの手がとる。扇状の手のひら、五つの指、丸い爪といくつものシワ。


 何も変わらない。人と人の手だ。




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― 新着の感想 ―
[一言] この話のレジーとリオに対する嫌悪感がやばいわ・・・なんでだろう?チート転生系なろう主人公みたいなムーブだからかな。なんか急に嫌いになってしまった。
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