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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
118/144

118話 変容2

 

【118】変容2




 英雄ケネス。


 聖骸ミダスの弟子であり、四度に渡る狙撃で種の進行を遅延させた男。この国を延命せしめたその功績は、やがてその男に英雄の名を冠する形で認められた。


 聖教と袂を分けたため城壁の外で活動する聖骸ミダスと異なり、ケネスは現在、王都を拠点の中心として教会のそばで活動している。とはいうものの、やはり教会との折り合いは良くないとの噂だ。


 私兵を持ち、派閥としての力も付けつつあるケネスは聖教にとって目の上のこぶなのだろう。事実、ケネスの発言権は種への大攻勢を留めるまでに及んでいる。

 現在、城壁の防衛戦を指揮する男が全面攻勢を何度となく唱えても、それを却下し続けられるほどの権力。ケネスは自らの功績を持って、それを掴んでいた。


「名前くらいは知ってるけど、そんなに詳しくはないわ」


 その男の存在を思い浮かべたミンディは次こそ素直に答えた。面識のない男だ。顔もよく知らない。

 けれども、どれだけ人付き合いの少ないソロであろうとも、その噂を耳にせず生きることは困難だ。英雄という名はそれほどまでに広く深くに根を張っていた。


「あなたが私たちに接触したのは彼からの指示ではないのですか」

「違うわよ。会ったこともない」

「本人じゃなくともです。彼の部下でもない?」

「ない。私は冒険者、しかもソロよ。本来、私に対する直接の指揮権限はホゾキしか持ってない。本当に奴の言うこと聞くかどうかは別にしてもね」

「そうですか」


 ミンディの言葉に上の空のような返事をしたリオは、短く束ねた自らの髪を、くるりくるりと指先に巻き付ける。


「私たちに危害を加える気はありますか」

「それこそ“話し合い”の着地点次第よ」


 そう言って肩を竦めたミンディに、リオは小さく頷いた。小さな口が息を吸い、吐く。砂金色の瞳が、つい、とミンディを真っ直ぐに見つめた。


「全て吐け、と言っても従わないのでしょう」

「当然」

「じゃあ、話したくなったら言ってください。私たちは聞く耳を持っています」


 リオの小さな手が上がる。それを合図として、今まで二人のやり取りを静観していたレジーが一歩前へと踏み出した。


「“エリー”、もういいよ。お願い」

「任せて、“ロサリオ”」


 そして、それは姿を表した。




 ──────────




 路地裏を走る、走る、走る。

 ミンディは背後から追い縋る何者かを振り切るよう、必死に真っ暗な路地を駆け抜けていた。


「ふざ、け、んなッ!」


 壁を這う黒い触手、不定形の泥のようなそれが、ミンディを捕まえようと襲いかかる。それを踏みつけにしたミンディは、その勢いのまま建物の壁を跳ね上がり、屋根へと登った。


「聖なる骸って言うんなら、せめてもっと清くいるもんでしょうが!」


 ずるり、ずるり。

 そう形容してしまうには素早い動きで迫るそれは、砂鉄を集めたように、うねっては伸び、流れては集まった。


 泥の化物だ。


 ミンディはそれをそう形容する。オルトロスのように厚い毛皮や筋肉を纏うでもなく、鋭い爪や牙、太い骨すらも持たない。それでもそれは、化物と呼ぶに足る存在だとミンディは認識する。一見して泥のような体は黒く、ぬらぬらとした体表に月明りを反射させている。


 液状化した体を持つ“それ”は、壁を舐めるように駆け抜け、ムササビの飛膜のように空を滑空し、なおも逃げるミンディを追跡し続けた。


 取り込んだものを溶かす性質を持っているらしく、初撃で捕まった右足の靴は欠片もなくなった。

 振り払うのに使った左腕の装甲は辛うじて原型を留めているものの、鋭かったはずのその爪先はどろりと溶けて丸く削られた。薬指と小指の装甲に至っては先端が全て融解し、その下の指先があらわになっている。

 溶けて固まった関節部のせいで手を握り込むことすらできない。それでも左手の装具を外すことは躊躇う。鉄すらも溶かす体だ。素手で触るのは避けなければならない。肉を溶かされるのはごめんだ。


 屋根の上へと逃げたミンディを追いかけようと、今もなお“それ”は液状化した体を壁に貼り付け、逆流する雨水のように登ってきている。


「しつこいわね!」


 “それ”に追いつかれる前に屋根を駆け出したミンディは吐き捨てるように悪態をついた。


 ここら一帯は既にゴーストタウンとなっている。かつて鉱山を収入源として集まった人々は、ここ一年でぐんと減ってしまった。残り一年の寿命もない街だ。仕方のない話だった。しかし今回ばかりはそれも都合がいい。

 空の住居の上でちょっとやそっと暴れようと、住人がいないのだから文句の出ようもないだろう。雨はしばらく降っていない。乾いた屋根の板はミンディにとって十分にルート足り得た。


 軽やかな足取りで屋根を駆けるミンディは、木板で出来た足場を踏み抜かないよう慎重に、しかし追ってくる“それ”に追い付かれないよう素早く、三つ先の棟へ飛び移った。

 食われたせいで靴を失い、むき出しになった裸足の指が滑り止めのように足場を掴むと同時に、焦りからくる汗が滑って足をすくおうとした。


「くそッ、モニカ、モニカ! あいつ、あの女! “嘘をついた”わね!」


 道を挟むことにより屋根が途切れる。ミンディはなおも後方から迫る“それ”を確認し、吐き捨てた。“それ”の体が引き延ばされ、まるで触手のような腕を伸ばす。その指先が触れる寸前、ミンディは二メートルはあろうかという道向こうの屋根を目掛けて跳躍した。


 着地の瞬間、ミンディは器用にも体を翻し、ステップを踏むように伸ばした足先で建物の壁を捉える。だん、と壁を蹴ったミンディはその勢いを殺さぬよう、水平方向へと走り出した。僅かな板の合わせですら、驚異的な身体能力を誇るミンディにとっては十二分な足場となる。


 背後から迫っていた“それ”は、ミンディが真っ直ぐ飛べば着地するはずだった屋根のひさしに激突し、べたりと地面へ落ちていった。


 それを確認したミンディは自らも落下しないうちに屋根を掴み、再度、建物の上へと登る。路地の間、夜の暗闇に落ちたはずの“それ”は、しかしその黒に紛れることなく暗澹とした存在感を放っていた。


 ぐたり、と。

 ぶちり、と。


 “それ”は黒くうねる腕をミンディへと伸ばした。壁を這い、戸へ張り付き、まるで生者を求めるアンデッドのように、“それ”はミンディを諦めることはしない。

 その姿を睨んだミンディは、地団太を踏むように足を鳴らした。


「引っぱたいてやる! モニカ! あいつ、人のことを“餌”にしやがって! あの派手な頭を引っぱたいて色付きの目玉を飛ばしてやる!」


 悪態をつくミンディは“それ”から逃げるため、建物を挟んだ隣の通りを目指して屋根から飛び降りる。しかし、靴のない右足をかばい、先んじて着地した左足が水溜まりを踏んで、ずるりと滑った。


「なッ!?」


 水溜まりを踏んだのだと気が付いたのは、すっかり体勢を崩した後だった。“雨はしばらく降っていない”はずだった。だから油断していたのだ。

 あるはずの無い水溜まりに足を取られて崩した体勢を、しかし持ち前の反射神経で咄嗟に立て直したミンディの目の前に、一つの小瓶が投げ込まれた。


 ミンディはそれに見覚えがあった。リオが宿で披露した、あのフラッシュバンだ。

 転びかけた体勢では既に回避は間に合わない。


 ぱきり、とそれが割れる。

 瞬間、その路地に太陽が落ちた。




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