115話 タイムオーバー2
【115】タイムオーバー2
「スト、ス、ストップ!」
もみ合うミンディとホゾキの間に飛び込んだその声に、二人はぴたりと動きを止めた。
「続けるなら外! やめるならあっちで手当て! ここ使う人がいるから撤収! 文句があるなら俺が聞くので!」
そう言って、テオがミンディに跨ったままのホゾキの脇に手を通し、引き摺るように退かす。
床に倒れたままテオの顔を見上げたミンディは、口をへの字に曲げて顔を覆った。
「はん! タイムオーバー! ざ、ざまあみろ!」
テオの手により床に投げ出されたホゾキがミンディを指さして勝ち誇る。
いつも気だるそうにしているくせして、どうしてかホゾキはミンディのこととなると少々、当たりが強かった。
「くたばれ! 屁理屈ビビり野郎!」
「相手に直接言わない!」
それを知っているミンディとテオが上と下から吐き捨てるように言い返す。最後っ屁と言わんばかりに繰り出されたミンディの蹴りがホゾキの太ももにヒットし、ホゾキはあまりの痛みにもんどり打った。
「いっだい!」
「言い返すからやり返されるんです。ミンディのことはもう初手で抑え込めなかった時点で諦めてくださいよ」
「僕はね。これに負ける訳には、い、いかないんだ。勝てなくっても、べ、別にいいんだけど」
そう言って、ホゾキは蹴られた足を引き摺りながら立ち上がる。随分と痛めたらしい。ぶつくさと文句を垂れながらも、割れた鉢の隣にしゃがみこみ、零れた土をかき集め始めようとするので、テオはその腕を掴んで引き止めた。
ホゾキの額に滲んだ脂汗が室内灯に反射する。元々から顔色の悪い細いホゾキは、普段以上に背中を丸くした。引き止めるテオの腕に強く反抗することはなかった。
「片付けなら俺がしますから休んでてください。具合悪いんでしょう」
「……すまないね」
「いいんですよ、別に」
そう言ってテオがホゾキの背中をさすると、ホゾキは小さく首を振った。
ホゾキのような吸引体質者は周囲の魔力を吸い上げ、時としてそれを術に相手を無力化する。
そして同時にミンディのような放出体質者は肉体を強化し続け、余剰となった魔力を体外に放出し、周囲を威圧する。
正反対のようなそれらの体質は、それ故に拮抗することがある。
吸引体質者がどれだけ相手の魔力を吸いあげようと、そもそも底の見えない壺を相手に魔力の枯渇は叶わない。
放出体質者がどれだけ肉体を強化し撒き散らした魔力で相手を威圧しようと、常人と一線を画す力の根源である魔力は、端から飲まれて消えていく。
無力化できない相手と圧倒できない相手。
それが吸引体質者と放出体質者の関係だ。
両者の条件が同じであれば拮抗し、ただの人間とただの人間の喧嘩になる。しかしそれは互いの体質、その深度が同じ程度であればの話だ。
吸い尽くし、奪い取る力が優れば枯渇に手が届く。
放ち、支える力が優れば氾濫を押し付ける。
努力や技量という枠組みを凌駕して、より才能のある方が相手を押し退けるのが特異体質者同士の争いだ。
才能という言葉を体質に当てはめることが正しいかどうかを置いておいても、特異体質者同士の競い合いとは、そういったどうにもできない前提に基づいていることが多かった。
そしてこの場合、ホゾキとミンディ、どちらがより“強い”か。それはミンディであった。
過度な吸引のため、過度に溢れた魔力がホゾキの血中に溢れる。魔力とは本来、総量が大きく変わらないものである。
砂糖ですらも取り過ぎれば毒のなるように、許容量を超えて取り込めば魔力ですらも体を蝕む。
「う、うう、う、き、気持ち悪くなってきた」
「吐きますか? バケツ持ってきましょうか」
「い、いらない」
口元に手を当ててきつく目を閉じるホゾキが首を横に振る。眩しいものを見るように目を瞬かせると、ホゾキは受付カウンターの影へと手を伸ばす。
そこに片付けられていた箒とちりとりを持ち出したホゾキは、ぞんざいにテオへと放り投げた。
「じゃあ、わ、悪いけど片付けは頼むよ。ちょ、ちゃ、ちょ、休む、ぎー、む、無理」
がしがしと頭をかいたホゾキはそう言い残して、受付カウンター裏の事務室へと引っ込んだ。
それを見送ったテオが受け取った箒とちりとりを持って振り向く。そこには床の上に寝転んだまま顔を隠したミンディがいた。
「床、冷たくない?」
「……冷たい」
「起きよう。破片もあって危ないよ」
「うん」
テオの提案に、ミンディは小さく頷いてその手を伸ばした。起こしてほしいということらしい。
ミンディの無言の催促を理解したテオは、箒とちりとりを一度床に置き、倒れたまま伸ばされたミンディの甘えを受け取った。
ミンディの手にはめられた手甲の上を滑るようになぞり、その向こう、手首より奥、肘より手前を掴む。装甲に守られていない柔らかな肌がテオのまめだらけの皮膚に当たった。
余程、必死に抵抗したのだろう。汗ばんだ腕が滑る。それなのに、ぐたりと力の抜けたミンディの腕は、嫌に冷たくテオの指に身をゆだねた。
「俺の手はあったかいですか」
「あったかい」
「おなかは空きましたか」
「すいた」
脱力したミンディの腕を引いて、床に座らせる。テオの手が離された途端、オーバーサイズの上着ごとその腰に抱きついたミンディの目の前に、テオは上着のポケットから取り出した小袋を吊るした。
「ビスケットあるよ、食べる?」
「……食べる」
「どうぞ」
上着から手を離したミンディは緩慢な動作でテオの手からビスケットの袋を受け取った。不貞腐れたように俯くミンディのつむじを隠すように二回撫でたテオが、箒を拾って片付けを始める。その後ろ姿を睨むようにミンディが口を開いた。
「オルトロスはどうしたのよ」
「殺したよ。色んな人がいたから、早く終わった。凄いんだよ。レジーが魔術で地面に大穴を開けて」
「一人でやったんじゃないのね」
テオの返事を遮るように重ねられたミンディの言葉に、テオは思わず苦笑いをこぼした。
「そうだね」
「……あっそ」
集めた鉢の破片をまとめるためにしゃがみ込んだテオの背中にミンディが寄りかかる。我が物顔で椅子にあぐらをかくようでいて、縋り付くような弱々しさがそこにはあった。
「もっと強くなってよ、テオ」
「うん、頑張る」
「あんな犬くらい、一人で何とかしてよ、テオ」
「うん、いつか一人でも殺してみせる」
「……はやくしてよ」
「うん。待っていてくれてありがとう、ミンディ」
首筋になついたミンディのこめかみを押し返す様に額を合わせたテオが答える。
ふと視線を逸らした先、スイングドアの前で様子を窺っていたソフィアと目が合い、やはりテオは苦く笑った。
その苦笑いを向けられたソフィアは小さく首を振る。気にしなくていい、ということらしい。テオはその温情に甘えて首を下げる。腰に巻き付いたミンディの腕の力が強くなった。
「テオは私より弱いから」
「そうだね」
「いじめられっ子だから」
「え、いじめ?」
「泣き虫だから」
「泣かない、ここ最近は泣いてない。いてっ……叩いた……」
口ごたえするテオを叱るように頭を叩いたミンディが鼻をすする。叩かれた頭を押さえながらもテオが拭うものを探そうと上着のポケットに手を突っ込んだところで、ミンディは自然と逃げたテオの額を追いかけて、自らの額を押し付けた。
「だからね、テオ」
ほとんど距離のない視線が絡む。テオの灰色の目と、それよりも濃いミンディの紅茶色の目が噛み合った。
「泣きたくなったら来ていいよ。私が守ってあげるから」
満面の笑みだ。いつか飯を食って別れた時の向日葵とは違う、けれど許されたような、そんな笑みをミンディは浮かべていた。
「ありがとう。でも、俺は大丈夫だよ」
小さく息を吐いたテオは、そう答えると同時に立ち上がった。片付け終えた鉢の残骸と土をまとめて近くのゴミ箱に捨てる。その隣に箒とチリトリを立てかけると、テオは再度、ミンディの側へと戻ってきた。
それ見上げたミンディは、へらりと笑って首を搔くテオの表情を見て、口をへの字に曲げた。
「うそばっかり」
「嘘じゃないよ。困ったら愚痴だって聞いてくれるだろ。もう十分に頼ってる。だから大丈夫。それ以上は贅沢になってしまうよ」
「もっと太ってから言えば?」
け、とあからさまに拗ねたミンディの態度をテオは甘んじて受け止めた。甘やかされている自覚はあるのだ。
「ははは。まあ、なんだ。俺のことは俺が頑張ってみる。だから、情けないけど、もう少しだけ見守っててくれないか。それで今度は、君の話を聞かせてくれよ」
「……分かった。でも、約束ね。やめるときも、負けるときも、必ず私を呼んで」
「頑張るよ」
「……待ってる」
俯くミンディが呟くように答える。床の上に座り込んだままのミンディを助け起こすように、テオが手を差し伸べたその時だった。
「もういいですか」
それは嫌に平坦な声だった。冷たいと言うには熱を隠されたそれは、ここ数日でテオの聞きなれた声だ。
くるり、とテオが振り返る。ミンディも俯けていた顔を上げて声の主を見上げていた。
「レジー」
「もういいなら、その女をよこせ。話がある」
鉛色の瞳と同じ色の髪。人懐こく細められていた印象の多いその目元は釣り上げられ、その声音とは裏腹に、怒りの感情を表している。
柔らかな物腰が印象的だったその男の面影は、今ここに、影も形もなかった。