114話 タイムオーバー1
【114】タイムオーバー1
「リオ!」
全力疾走でギルドへと向かっていたレジーが、声を上げて飛び上がる。その視線の先には数人の冒険者に遠巻きにされつつ、ギルドの中を覗いているリオがいた。その隣にはフードを深く被り、同じように中を覗きこんでいる少女、ベルがいる。
レジーの声に気が付いたリオが振り向く。その砂金色の瞳にレジーの姿を映したリオは、それまでの緊張した面持ちを吹き飛ばし、安心しきった顔で笑った。
「レジー! 待ってた!」
「リオ、よかった、無事!? 大丈夫!? 何もされてない!?」
「大丈夫、大丈夫だから。一度落ち着いて、ね、レジー」
走っていた勢いのそのままにリオを抱き上げたレジーを宥めようと、リオの手が上下する。同じように駆けつけたテオは、ギルドの中に集中したままのベルの肩を叩いた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。それより、あれ」
フード越しにテオを一瞥したベルがギルドの中を指さす。微かに新緑に染まった瞳を見て、現在の彼女がソフィアであることをテオは察し、彼女の指す方向へと目を向ける。
「あ、あわ」
瞬間、テオは思わず情けない声と共に顔を覆った。
テオが目を向けた先、ギルドの屋内。その中でも掲示板の前辺りの、複数の人間がたむろすることを前提に広く取られている空間。
そこには、くんずほぐれつの取っ組み合いを繰り広げているミンディとホゾキの姿があった。
「離せってんだろーが!! 細枝野郎に用は無いっつってんのよ!」
「僕だってねえ! 床を壊す人間に、よ、用なんてないんだよ! へったくそな猫被りひっさげてさ、と、とっとと出てってくれないかな! が、げ、痛ッ! なぐ、な、殴るのをやめなさい!」
メリルが言っていた通り、確かにホゾキが若干の優勢だ。割れた床板に片足を突っ込んで身動きが取れなくなったミンディの首を抑え込むように膝と腕で絡みついている。
相手がミンディでなければ、ともすれば首をへし折って殺せる姿勢だ。ホゾキの吸引体質で無力化されることを考えれば、テオなら十秒と経たずにノックアウトされても不思議ではなかった。
細身ではあっても決して少なくない筋肉があり、さらには長身のホゾキでは体重もあるだろう。はまった穴から決して逃さんと言わんばかりに、ホゾキはその長細い手足を駆使してミンディを地べたへと押さえつけていた。
しかし、ミンディも負けじと、テクニックを度外視したその怪力で、のらくらと軟体動物のように力を逃すホゾキの襟首をつかんで引きはがさんとする。ホゾキの着古した黒いシャツが限界まで引き延ばされ、骨ばった背中があらわにされている。そこにいくつか赤黒く散った痣が、ミンディの抵抗の一部分を物語っていた。
ミンディの力の強さを知っているテオは、その殴打跡を見て顔を青くした。
何だあれ、とんでもなく痛かったろうに。自分だったら多分、声も上げられずに床を転げまわって半泣きになっているかもしれない。可哀想。
声にならない悲鳴を上げたテオが、想像上の痛みに耐えるように二の腕をさすった。
「この、このう、い、今に見てろよ! テオ君、よ、呼んで来てるんだからね! お淑やか振らなくても、い、良いのかい!」
「はあ!? 良いわけないでしょ! 何のために今日を狙ったと! ちょ、どこ触ってんの!」
「触られたくないなら、あ、暴れるのをやめなさい! あああ!! 蹴るな! やめてやめて、そ、そそ、その鉢、ひ、ひっくり返さないでえ! あ、あえ、え、え、ええええ! 高かったのに、そ、それ、それ高かったのに!」
じたばたと暴れるミンディがホゾキのホールドから抜けようと首を視点に腰を上げ、脚をふるう。その拍子に、観賞用に置かれた鉢が蹴り倒され、植えられた植物を中の土ごとぶちまけた。
手探りならぬ足探りで床板を踏んだミンディが脱出せんと踏ん張る。その靴底が踏みつけたひっくり返された植物が無残につぶれた。
「なんてことを、この、この、や、野蛮人!」
「うっさいわ! 野蛮なの知ってて十年以上も飼ってるんだから自業自得でしょ! へんくつじじい!」
「じじい!? 言うに事欠いて、じ、じじいだって!? 僕はまだ三十路だっての!」
「サバ読んでんじゃないわよ!」
「うっさい! この、四半世紀生きた程度の小娘ごときが、ち、調子にのりやがって!」
そう叫んで、ホゾキは両足をミンディの首に巻き付けた状態で、長い腕をミンディの腰へと伸ばした。床に空いた穴にミンディの頭を突っ込ませるように体勢を変えたホゾキが、あけっぴろげにされているミンディの腹部を抱えるように固定する。ちょうどホゾキの腹とミンディの背中が密着する形だ。
完全に逆さに固定されたミンディが両足を振ってあがくも、ホゾキはランダムなその蹴りをのらくらとかわし続けた。
「は、なぁあせぇええええ!!」
しかし、ミンディの抵抗も甘くはなかった。ホールドしたホゾキ本体への攻撃を諦めたミンディは、素早く伸ばした足を床へとつっぱり、床の穴から抜け出した手を床板に付くようにして体を持ち上げた。首と腹を固めていたホゾキの体ごと持ち上げて、ミンディの頭が穴の中から脱出する。その勢いをそのままに、ミンディは自分の背中にへばりついたホゾキを下敷きにするように転がった。
「馬鹿力め!」
「黙って潰れろ! 針金野郎!」
しかし、すんでのところでミンディを拘束していた手足を解いて、ホゾキが脱出する。一瞬、互いの体から離れた両者がにらみ合う。体勢を立て直そうと床板の上に足を滑らせたミンディの隙をホゾキは見逃さなかった。
「に、逃がすわけないだろう!」
「来るな! 触るんじゃないわよ! この!」
タックルの要領でミンディの腰に長い腕でかぶりついたホゾキは、やはり長い足でミンディの足を払い、転ばせた。強かに背中を打ち付けたミンディが息を詰める。
しかし、上から抑え込もうとするホゾキの腰へと、ミンディの足が巻き付いた。一見して筋肉質に見えない太ももが挟んだホゾキの体に向けて万力のように締められる。
「いで、いでででで!」
「内臓吐き出したくなければ、どけっての! この、ぎゃ!」
腹部を絞めるミンディの力が、その悲鳴と同時に緩んだ。ホゾキが左腕を畳むようにして肘を突き出し、ミンディの喉を狙ったからだ。喉を潰される寸前、ミンディの手がホゾキの肘を受け止める。
だが、体格差から生まれるリーチの問題もあり、決して軽くないホゾキの体重を乗せられた一撃を押し返すまではいかなかった。ホゾキの吸引体質により吸われ続ける魔力が体の感覚を奪うこともあり、普段通りの力が出ないこともあるのだろう。
喉を狙うホゾキの肘と、腹を圧迫するミンディの足が拮抗する。
そうして、一進一退の攻防が絶えず繰り広げられる。力とテクニックのある者同士、不毛な足の引っ張り合いと表現してもよい光景となっていた。
それを目にし、生娘のような声を上げて顔を隠したテオの心情は計り知れない。
片や、なまじ同じ師についたと周囲に知られているホゾキ。片や、ソロという意味でも、それ以外でも、何かと一線を画してそばにいたミンディ。
テオにとってどっちの方が心に近いかと問われれば圧倒的にミンディではあったが、どちらにせよ、この騒ぎの影響と互いにぶつけ合っているダメージを考えると、いたたまれなくて仕方がなかった。
「……あ、あのう」
スイングドア越しにギルドの中を覗き込んだテオの更に後方。テオとレジーが到着する前から遠巻きにしていた冒険者の一団から、一人の剣士がテオへと近付き、声をかけた。
その後ろで彼の仲間と思われる冒険者が数人、応援するように腕を振るでもなく祈りの手を組んでいるので、多分、自主的に前に出たわけでは無さそうだ。真新しい鎧と剣が冒険者としての歴の浅さを示している。
「あれ、あの、あれなんだけど」
「……ああ、あれ」
それまで顔を覆って情けのない声を上げていたテオが、しゃきり、と背筋を伸ばし、剣士へと向き合った。無意識に丸めていた背中が伸びることで自然と視線が高くなる。
「何とか、してくれませんか。あのままだと、オレ達も中に入れなくて」
「はい、ごめんなさい、すいません、うちのが、本当」
しかし、申し訳なさそうな表情とともに掛けられた剣士の言葉に、テオの背中は再び低く丸められた。
割合、喧嘩腰で挑まれることが癖になっていたために、謙虚な態度の剣士の言葉に、テオの罪悪感がかさむ。
乱暴な言葉と態度で食ってかかられれば、かちんときた感情に任せ“うるせえ、ホゾキのほうは俺の知ったこっちゃねえやい”くらいには突っぱねられるようになってきたテオだったが、これは駄目だった。剣士の真摯な態度にそれを返すには、さすがに横暴が過ぎる。
しおしおと肩を丸めたテオを見て、どうしてか同じく申し訳なさそうに背中を丸めた剣士の後ろから、重戦士の男が声を上げる。恐らくは剣士のパーティの人間だ。経験は長いのだろう。傷だらけの盾がその片手に携えられていた。
「頼む! あれに関してはお前だけが頼りだ! いけ! テオ! やれ!」
「いつもいつも、皆さまには大変なご迷惑をおかけいたしまして」
「ミンディが迷惑なのはお前が来る前から変わらん! 止められるだけ上々だ! 頼む! 頼むから何とかしてくれ! ホゾキに寝込まれると明日の仕事に響く! あれを止められるのはお前しかいないんだ! 頼む!」
「本当にごめんなさい、本当にすいません。少々、お待ちください、何とかします、どうにかします」
重戦士の言葉に、今度こそしっぽを巻いたテオがギルドのスイングドアを押し開けて中へと突貫して行った。
それを黙って見送ったソフィアの隣で剣士の男が後方の仲間を振り返る。その視線の先では、先程の重戦士の男が、同じく仲間であろう魔術師の女と顔を合わせ、ほっとしたように息を吐いた。
「よかった、今回は素直に行ってくれたわね」
「たまに“元気でいいじゃん”とか言いやがるからな、あいつ」
呆れたようにそう言った重戦士の男が、首のこりを解すように肩を回す。ひと仕事終えたと言わんばかりのその態度に、剣士の男が眉尻を下げて口を開く。
「よかったんですか、一人で行かせて」
「いいんだよ。使える時には使っておけ。奴だって普段から十分に厄介なんだ。こんな時には役に立ってもらわにゃならん」
「でも、あんなのを一人でなんて」
溜息を吐きながら答えた重戦士と、その隣で頷く魔術師を見比べながらも剣士が渋る。この剣士に比べて、重戦士と魔術師の二人は経験も長いのだろうとソフィアは当たりをつけた。使い古した装備と、気を抜いてなお油断ない足取りが告げている。
「ある特定の物事に対して、酷く鈍い人間というのはいるものよ。どういう環境で育てばああなるのかは知らないけどね」
「鈍感もあそこまで行けば鎧と変わらねえ。目敏いくせに鼻の鈍い奴だ」
年若い剣士に言い聞かせるような魔術師と重戦士の言葉にソフィアは耳を傾けながらも、テオが押し開けたことによって揺れて閉まるスイングドアに手をかける。その背中を追うでもなく、重戦士の低い声が続いた。
「見ておけよ。ミンディのことに限っちゃ、あいつの影に隠れるのが正解だ。惚れた男の前じゃあ人食い虎も猫に化ける」
そんな重戦士の言葉を最後に、ソフィアは体を使って押し開けたスイングドアの向こう、ギルドの中へと足を踏み入れる。
いつでも権能の使用ができるよう緑に染った髪を隠すためのフードが、深く、その目元までを覆っていた。
レジーとリオがその後に着いて来ることはなかった。