111話 少年少女8
【111】少年少女8
一歩ずつ踏みしめるようにミンディがリオへと詰め寄ると、しかし近付いた距離の分だけ離れるように、ソフィアはリオの手を引いて後ろに下がった。
じりじりと後退するソフィアを見て眉を顰めたミンディが、おずおずと手を上げてソフィアを引き留めようと口を開く。
「ちょっと、あなた」
「ミンディさん、嫌だ。怖い、来ないで」
「……っそ、れは」
リオの手をしっかりとつかみ、身を寄せるようにしてその腕に抱きついたソフィアの言葉に、ミンディは怯えるように息を詰めた。引き留めようと浮かせた手が、まるで装具の重みに負けるように振り子を振る。
その様子を確認したソフィアは、掴んだままだったリオの手を引き、大通りへの道をふさがれた路地裏を駆けだした。眼前の最短ルートが塞がれた以上、別の道を探さなければならなかった。
「わ、わわ、ベル、待って」
「待ってもいいけど追いつかれるよ。ねえ、リオ、私ね、実は道が分かんない。ギルドってどっちかな」
「右! 右に曲がって!」
「こっちね」
ソフィアに手を引かれながら走るリオが指さす先へと走る。角を曲がる直前、駆ける足を止めないままソフィアが後ろを振り向けば、顔色を青くしたミンディが迷ったように立ちすくむ姿が見えた。冷たい金属の指先で口を覆って俯いた頭を振っている。
彼女の姿が建物の影に隠れる寸前、しかしミンディが意を決したように顔を上げた様子を見て、追跡はすぐに再開されるとソフィアは悟った。
しかし。
案外、素直に傷付くのか。
子どもらしく繕って吐いた拒絶の言葉は、その通りミンディの行動を阻害する一助になればいいと吐き出したものだった。事実、ミンディはその言葉に動揺し、わずかな時間とは言え、その足を止めた。
あの粗暴な言葉遣いと振る舞いでは、怖がられることに慣れていないわけではないはずだ。なのに、中身を度外視して一見"子ども"らしく見えるものに怯えた言葉を上げられるのは堪えたらしい。随分とちぐはぐだ。そう思わずにはいられなかった。
リオと少女ベルを比べ、その外見の違いはそう大したものでもないだろう。それでも彼女の中でそれらを異なったものとさせた、聖骸という認識。それがもたらした感情の揺れ幅に、ソフィアは空笑いを浮かべた。
皮肉だ。分かっている。こっちはもう子どもじゃないのだ。
「ベル、次はあそこを左に曲がって!」
「ここ?」
「そう! ここ!」
リオのナビゲートをもとに二人は走る。あと一つ角を曲がれば大通りへと出るだろう。それを伝えようとリオが前方を指さした瞬間、一人の男がその角から路地裏に入るよう通りがかった。
冒険者だろうと、リオは当たりを付ける。腰に差したククリナイフと軽さと消音性を重視した軽装。恐らくは斥候の類だ。
仕事終わりなのか、薄汚れた姿で歩くその男は大あくびを噛み殺した直後、走る二人の子ども、その片方を見て驚いたように目を見開いた。
「ふあー、んえ? 嬢ちゃん、この間のテオの……、って、ミンディ!? 待て、待て待て待て!」
男が驚いたように声を上げる。ミンディという名前につられて後ろを振り向いたリオの視界に、睨むようにしてこちらに駆けてくるミンディの姿が映った。
しかし、声を上げた男の顔を見たソフィアは、何を思ったのか、リオの手を引き、その背中に隠れるように飛び込んだ。
「ちょ、おま、何! 何!?」
「あの人が追いかけてくるの。怖い、助けて」
ソフィアはそう言って、斥候の男――スヴェンへと縋りついた。その隣では、スヴェンと面識がなく、現状を飲み込めていないリオが肩で息をしている。もともと体力のないリオでは、この距離を一息に駆けたのは堪えたらしい。
ぴたりとスヴェンの足にしがみつき、恐怖を訴えるソフィア。決してソフィアの手を離さないよう強く握りながらも、混乱を隠し切れない微かにうるんだ瞳でスヴェンを見上げるリオ。それは一見して、怖い冒険者のお姉さんに追い掛け回された可哀想な子どもであった。
「スヴェン! どけ!」
「いや、いやいやいやいや、待て待て待て待て!」
助けを求める二人の子どもと、それを見下ろして目を白黒するスヴェンのもとへとミンディが追いついてくる。冒険者として活動の長いスヴェンは怒髪天の勢いで駆けてきたミンディを見て、顔を白くした。テオと付き合いがあるだけあり、スヴェンはミンディのことはよく知っていた。あの細腕でどれだけのものを吹き飛ばせるかも知っているし、障害物の少ない平野を恐ろしい速度で駆け巡るのも見ている。つまり、逃げ出したくて仕方がなかった。
だがしかし、子どもを置いて逃げるわけにもいかない。特にその片方はテオを探していた少女だということは、以前、メリルから愚痴を巻かれたスヴェンも気が付いていた。その後の経過を全く持ってテオから聞かされていないスヴェンだったが、それでも見捨てることはできないと腹をくくる。
「どうした、どうした、腹減ってんのか? いったん、落ち着こう? 子ども苛めちゃ駄目だぜ、落ち着こう、な?」
「いじめって、この、お前! テオの友達じゃなかったらぶん殴ってるわよ! どけって言ってんの!」
「し、深呼吸しろ、深呼吸! 言っちゃなんだが、怖すぎて吐きそう! ひっこめろ、それ! 俺はテオほど耐性ないんだよ!」
必死に説得を試みるスヴェンの言葉に、ミンディは、はっと息をのんだ。それでも湧き上がるものがあるのか、唇を噛んでスヴェンを睨み上げる。
そこに来て始めて、リオはミンディの体表に蜃気楼のように沸き立つ魔力がまとわれていることに気が付いた。汗が放出されるように、留まることない魔力が、本来であればそうそう目にしないほどの濃度をもって、ミンディの体にまとわりついている。
「う、……この、ううう! こんの!」
「ミンディ、ほら、息詰めんな、力込めんな、怖いって。ほら、吸ってえ、吐いてえ、また吸ってえ、吐いてえ」
なだめるような手つきでスヴェンがミンディに深呼吸を促す。堪えることなく地団太を踏んだミンディの足元がほんの少し、その足の形をかたどってへこんだ。
それを見たリオは、ミンディの体質に自らの知識の中から一つの当たりを付けた。
おかしなまでの怪力。
先日の食事の際に魔術を使わないと言っていた戦闘法。
それでいて自分よりも強いと言っていたらしいテオの言葉。
そして何よりも、感情の高ぶりによって撒き散らされる魔力。
ホゾキの持つ吸引体質とは真逆とされる体質がある。
放出体質と呼ばれるそれは、その名の通り、体内にあるはずの魔力を無尽蔵に撒き散らす体質だ。体表に近いほど濃く、離れるほどに薄くなる。グラデーションのような魔力は、決して自然界では目にしないほどの濃度をほこる。放出体質者の体外に撒かれた魔力は、他者からすれば、その放出の根源を意識させられ、時として強い恐怖心を煽った。
それは町で狼を遭遇する感覚に似ている。肉を剥ぐ牙と爪、それを魔力という不可視でありながらも、常に意識できる感覚的な脅威として認識するのだ。
当然、放出する魔力はその体内から生成される。無から有を生み出すことはできない。そのため、放出体質者は吐き出す魔力を体内で生成するために大食らいになる傾向があった。
吸引体質者が魔力を吸い取る量を調節できるように、放出体質者も自分である程度、放出量を調整できる。しかし吸引体質者と同様、扱いに慣れない内や、過度な感情の高ぶりに応じて、その作用は大きく変化するものだ。完全にないものとできないからこそ、それらの体質は体質として、純然な能力とは別の扱いを受けてきた。
周囲の魔力を“食っている”とも捉えられ、魔力を奪われたもの自体を無力化する吸引体質者。
濃厚な魔力を撒き散らして周囲を威嚇しては、体内から放たれたために欠乏する魔力を補うために異常な量を食らう放出体質者。
やがてそれらは鬼の名を冠するようになった。
人の体内にある魔力を奪い、あまつさえ人間さえ食らわんとするもの。
彼らは、吸血鬼と呼ばれた。