107話 少年少女4
【107】少年少女4
「やんちゃのついでに無断外泊するのは構わないし、あなた達の家出も見限りも、大差なく私にはどうだっていいけれど。テオのそばにはいてほしくないのよ」
微かに眉を寄せたミンディのその言葉は、しかしその険しい表情とは裏腹に、どこか心細げに揺れていた。それは怒りをこらえた吐息に似ていて、同時に寒さに震えたように頼りない。
身を固くし、警戒を前面に押し出したリオと異なり、やはりソフィアにはそれが焦りを少々飛び越えた不安に思えて仕方がなかった。
「だって、ねえ、誰だってよかったんじゃないの。助けてくれるんだったら、テオじゃなくてもよかったんじゃないの。都合がよかっただけなんでしょう。なら、テオより強い私が代わりになってあげる。テオより上手くやれる人を代わりに見つけてあげる。だから、テオはやめてよ。あの人はやめて。私、あの人の、あの人らしいところが好きなの。あの人の、“そういう”もののせいでゆがんだみたいに強張ってる、どうにもならないところが、ええ……きっと、嫌なのよ。だから、お願い。私の可愛くって憎らしい想い人、返してくれない?」
膝の上で頬杖をついた手のひらに頬を擦りつけるミンディは、酷く色のない瞳でリオを睨んで言い放った。甘い色の瞳が突き刺す硬さを持つことで抑え込んだであろう感情は、微かに乱れるその吐息の裏には隠れ切れていない。
「と、取ったつもりなんかない。僕たちは……僕とレジーは、目的があってここに来たけど、それでテオさんをどうこうする気なんてないんです。あと一週間もすればここを発つって言ったじゃないですか。何もしない、これ以上の何かをしてもらおうとも思ってない、言われなくてもちゃんとどこかへ行く。そ、それではいけないんですか」
それでも、恐怖をこらえるように自らの左腕を握りしめるリオが、その背中にかばったベルにぴたりと張り付きながらも口を開く。目の前の不明瞭な女にどれだけ怯えようとも、そこに沈黙の選択肢を持ち込まないリオの姿勢に、ソフィアはどうしてか目を離すことが出来なかった。
「時間を取らないでちょうだい。私のじゃなくてあの人の時間。私より弱いくせに逃げ出すっていう選択肢がないあの人の時間。強くなってもらわなくちゃいけないのよ。次の冬のその先も、あの人が生きている未来が欲しい私のために強くなってほしいの。オルトロス程度でぎゃんぎゃん言ってられちゃ困んのよ。種よ。あの人の目的はそれなのよ。魔物で死ぬ程度なら殺せないものなんでしょう。だからずっとずっと今よりももっと強くなってもらわなくちゃいけないの。あんな引っ込んだ場所でちくちく雑魚を突いてる程度じゃ届かない場所に立ちたいって言ってんだから、そうできるように振舞ってもらわなくちゃ嫌なのよ。“生きられる”って思ってほしいの、私は、あの人に」
そう言ってミンディは一度、言葉を切った。
ひん曲がった言葉だ。威嚇したように振り回された切っ先の付いた言葉だ。ソフィアはそう思わずにはいられなかった。何にしたって遠回りで、不必要なまでにとげとげしいそれは、けれど以前あった“元の”自分の一端にもあったのだろう。ミンディの迂遠で悪辣ぶったその言葉に、ソフィアはアーニーの存在を重ねてしまった。
ただ好きだと思うもののそばにいたいのなら、初めからそれだけを言えばいいのに。要らない言葉を吐いた時間も、それがもたらす重みも、目的へ繋がる一直線の道においては障害になるかもしれない。
その結果として達成がはばかられることは、ソフィアにとって許容しがたいことだ。自らに与えられた目標があるのなら、それは自らの手で勝ち取るもの。その迂遠な言葉を手放せない二人の不器用さは、時として目標の達成を自分の手で遠ざける。
それを分かっていたとしても手放せない棘ならば、それはもう手首に当てられた剃刀と何か違いがあるのだろうか。それを持っていたのはソフィアではない。その棘を抱えるのは、もう自分とは別の人間となってしまった。だからこそ、その答えはもう、ソフィアの中から掘り返せない。
「だってのに、あなたたちが来てから、あの人ったら何にもしなくなっちゃった。気が散ってんのよ、あなたたちにかまけてるから。だからさっさとどっかに行って。一週間後なんてって言ってんじゃないわよ。今、ここで、すぐに、どっかへ消えろ。要らないものばかり持ち込みやがって。あなたたちを追って、この街に何が来たのかも気が付いてないわけ?」
ミンディは腹の底に溜まった何某かを捨てるように大きくため息を吐き出す。熱を持った重い吐息だ。目に見えないそれが部屋の温度までも上げてしまうようだった。
「来たって、何が」
それでも、リオはそう問いかけた。砂金色の瞳でしっかりと目の前のミンディを見つめている。その問いかけは決して詰問の類ではなかったが、全くの心当たりがないものに対するほどの疑問を抱えてはいなかった。
確認がしたい。確信に変えなければならない。そのような動機が透けて見える固さをはらんでいる。
「……全部、言うつもりとかなかったんだけど、駄目ね。私、口が上手くないし、気も長くないわ」
リオの問いかけに一瞬ひるんだミンディが頭を振る。数秒、その飴色より暗い色の瞳が戸惑ったようにベルへと向けられ、逸らされた。
ミンディの高い体温を表すように赤い唇が開かれる。
「聖骸」
彼女の喉から放たれたのは牙をむく獣のように喉を開いた低い声だ。寸前までの揺れを消したミンディの目がリオを射抜いている。
吐き捨てるようなミンディの言葉に、ぴくりとリオの肩が跳ねた。その背後でソフィアは自らの頬を押し込むように指先で撫で上げる。少女独特の柔らかい肌触りが指先に伝わる。ひくり、と引きつる頬を隠すには十分だった。
「これ以上、人間に関わるな、聖骸。お前が何をしなくとも、あの人も、他の人間達も、きちんと戦ってくれるでしょう。自らの無力に死を理解して、何もその手に持たないまま死に逝くことだって尊ぶでしょう。その歴史書の厚みよりもっと上等な量の命を捨てようが、それでもそれを選び続けてきたでしょう。だから、ねえ、お願いよ。そこに至るまでの道のりを、これ以上あんな感情で汚染するのはやめてちょうだい。そうなるまでの時間も心も、本当ならその後だって、全部、全部、私が欲しくてたまらないものなの」
声は荒げられなかった。それでもそこには明確な敵意が存在した。吐き捨てられた。そう言っていいほどに乱雑な言葉だったが、それを害意と呼ぶにはあまりに願いが過ぎた。
相手を叩き出すための害意ならば、初めから言葉を使う必要などない。数多の魔物の命を刈り取ったその腕で暴力をふるえばいい。それでもミンディは、言葉を用いた要求の姿勢を選んでいる。ちぐはぐな姿だ。威嚇と懇願が同居している。
それでも、そうか。
聖骸がいると分かっていてもなお、彼女は一人でここへ挑んだのか。
ソフィアはただ静かに息をのんだ。
「世界単位のよそ者のくせに、邪魔なのよ、あんたらは」
ベッドに腰掛けた膝の上でミンディの手が強く握られる。その強い視線は次第に床板の上へと落とされ、しかしたったの一呼吸を置いて再度、目の前のリオへと向けられた。