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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
105/144

105話 少年少女2

 

【105】少年少女2




「うん。知ってるよ」


 自らが聖骸である事が露呈してはならない。

 そして同時に、相手に喜ばれる活動を心掛けることで人間と敵対しないように心掛けなければならない。記憶に基づいた善と悪の判断ができたとして、それに意味を見いだせない六分の一。それがソフィアだった。

 あの人よりはこの人が大事、この人よりはあの人がいらない。好き嫌いを排除したようなそんな曖昧な感性は、しかしそれより先の判断に幕をかけたように、感情を働かせることが苦手であった。それを早い段階で察知したアーニーは、その危険性を危ぶみ、善と悪を排除した他者の喜怒哀楽に瞬間的な判断を定めた。

 相対するものが喜ぶなら取りあえずはその場において正しいとし、同じように、それが怒りや悲しみをたたえるなら根本的な善悪は後回しにした上で、その場においての誤りとした。

 最終的に帳尻を合わせる役目はソフィアでなくてもよい。アーニーの判断は、現在に至るまでソフィアにより忠実に守られ、やはりこの場においても友好的な態度でリオへと返答することへとつながった。


 ただの少女を装ったベルは、年相応より聡明なリオにとって、非常に飲み込みの良い聞き役だった。少女ベルとしてリオと接したアーニーもソフィアも、リオのその喋りたがりを都合良く感じている。十二歳の少女として疑問を口に出すことが難しい話題でも、それとなく漏らせばリオは都度拾ってくれるからだ。


 多少の人見知りの気があるらしいリオは、形式ぶった挨拶を除き、テオやミンディと言った慣れない相手の前では口をつぐみがちだった。

 同じ年頃の子ども同士に見える少女ベルですら、顔を合わせた初日に天真爛漫なアイザックが仲を取り持ってくれなければ、こうもリオと時間を共にすることは難しかったかもしれない。

 奥ゆかしいと言うには臆病に近く、警戒心が高いと言うにはどこか幼い。それがリオと時間を共にしたアーニーとソフィアが抱く印象だった。


 その遠慮がちなリオの懐に、ここ五日を掛けて潜り込んだ成果は上々だ。リオによりもたらされた知りそびれていた知識の量は少なくない。

 少なくとも、リオは少女ベルの前ではその饒舌な口を必要以上に塞ぐつもりは無いらしい。それはまるで、少女ベルが求めるものを提供し続けることで、必死にこの関係を続けようとしているようにも見えた。


「聖骸なら魔法を使えるの?」

「うん。聖骸ってね、神様が下さった素晴らしい力を持っているんだ。権能って言うんだけどね」

「権能は知ってる。それは魔法なの?」

「権能はね、技術を超越した法則そのもの。だから、聖骸が持っている権能は魔法なんだ。そっちは神様の力、こっちは人間の技術。こうして火を灯す。それは術を与えられ、技としてそれを実現した人間の灯火だ。しかし、この火は話さない。口もない、目玉もない。火とはそういうものだからね。でもね、こんな火にさえも清らかな歌を歌わせて、床を焦がさないように跳ねては踊らせられる。それが魔法。この火をそういうものとする、そう定められる法則の使い方」


 リオはただ淡々と語った。まるでそれこそが歌うように留まることなく流れる言葉であり、ソフィアにはそれが、彼が初めてその話を誰かに話したとは思えなかった。何か、別の誰かに話したことをなぞるような滑らかさだ。


「だからね、魔術を魔法とごちゃまぜにして気軽にそう呼んでしまうのは、ほんの少しね、あんまりね、良くないんだ。自分達人間が思い上がった力を持ってるって、そう言っている風に捉える人もいる」


 そう言って床に着いた手の埃を払ったリオは、その眉尻を僅かに下げた。

 その様子は、どこかそう言った言葉で言い寄られた経験があるようにも見える。くすんだ色の髪よりもずっと澄んだ色の瞳が、板張りの床の合わせをなぞって沈んだ。

 下に向いた視線と同様に、その肩をも落としたリオの背中を摩ったベルが口を開く。


「そうなんだ、知らなかった。でも、じゃあ、それなら聖骸が魔術を使うことは無いの?」


 生徒役のベルが投げかけた質問に、教師役を担ったリオは顔を上げる。

 柔らかに目元を緩めて笑うその表情は、年相応とも、大人びているとも言えた。背伸びをしている、というのが正解なのかもしれない。


「使えるよ。聖骸が魔術を使うこともある。ただ、人間の尺度に態々合わせる意味があんまりないんだ。聖骸の持つ権能の方が、人間が使える魔術よりもよっぽど凄いものだから。一個の魔力からコップ一杯の水を生み出すのが魔術。でも魔法なら同じだけの魔力で人を溺れさせたりする。本当ならダウンサイジングするだけ無駄なんだろうね。それに、魔法だったら指を曲げるみたく感覚で使えるのに、魔術は技術だからって体系立てて覚えなくちゃ使えない。魔法が使える聖骸からすれば、魔術って何をするにも遠回りだ。それに、ほら、魔術を覚えて使えたところで、それは“ごっこ遊び”と変わらないだろうから」


 そう言って、開いた本のページを見下ろしたリオは、くるくると回すようにそのうちの一行を指さした。


「例えばさっきの火の話はこれ、巨人の如き炎の魔人と踊った女。この聖骸が持っていた権能は詰まるところ炎なんだけどね。ただの発火現象であれば、通常の人間が使う魔術でも可能なんだけど……」


 不自然に途切れたリオの言葉は、続けられることは無かった。

 ベルがそれを不思議に思うこともなかった。彼の言葉を遮るように、酷く重い何かが木を叩いた音が二人きりの部屋に響いたからだ。がちり、がちり、と音を殺す気配もないそれは、二人の子どもが談笑していた部屋へと侵入した。


 開け放たれた窓から吹き込んだ風が、その蜂蜜色の髪を巻き上げる。手足を包む重苦しい雰囲気の金属鎧のその中心、腹部が大きくさらされた不格好な装甲。紅茶のように茶色く滲んだ目玉がひやりとした温度を灯して細められた。


「物知りね、リオ君は」


 ミンディだ。


 それはブーツ型の装甲を纏った両足を窓枠に掛け、今、まさに侵入を果たした女が表情のない顔でそこに立っていた。唯一開かれていた窓から屋根を伝って入ったのだろう、緩慢な動きで腕を組んだミンディは背後の窓から差し込む陽光を背負っていた。


 リオとベルの二人が談笑していたこの部屋は窓から日差しがよく入り、ランプをつけなくとも日暮れまでは最低限の明るさを確保できる。その唯一の光源を遮ったミンディの体が、呆然と床に座り込んだままの二人の顔を覆うように影を落とした。


「テオが帰ってくる前に終わらせたいの。協力してくれるわよね、リオ君?」


 ミンディの煮詰めた紅茶色の瞳が、ただ一人、リオだけを見つめていた。




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