103話 外野7
【103】外野7
「テオさん! レジーさんも! 入れ違いにならなくてよかった」
常であればギルドの木壁の中で見るメリルは、道を歩くレジーとテオの二人に気がつくと、大きく手を振りながら駆け寄って来た。
「メリル、どうしたの。そんなに慌てて」
テオがそう問いかけると、隣に並ぶレジーも同じく頷いた。
「二人とも一緒にいてくれて良かったです! 急ぎギルドへ来てください! ミンディさんが大暴れです!」
「は、え、ミンディ? なんで?」
「えっと、えっとですね」
「落ち着いて、大丈夫、ゆっくり教えて」
普段から着ているギルドの制服姿のままのメリルは、焦っているのか、それとも走ったためか、額に薄らと滲んだ汗を手の甲で拭いながら、パニックになったように上手く言葉を吐き出せずにいた。
それを見たレジーは慌ててコートのポケットを探し、ハンカチを取り出してメリルへと手渡した。
「良かったらこれ、どうぞ」
「ありがとうございます。ひ、久しぶりに走りました」
レジーから受けとったハンカチで汗を拭ったメリルは、熱を冷ますために、はたはたと手のひらで顔を仰いだ。
「ええとですね、ミンディさんが床板を割ったのでホゾキさんが怒ってしまって、今、ギルドで取っ組み合いになってます! 私が最後に見た時はホゾキさんが若干の差で優勢でした!」
「そっか。あの人も、そういうところ、うん、あるよね、たまにね。ミンディもね、対人戦はね、あんまり得意じゃないみたいだしね」
容易に想像できた二人の姿に、テオは苦く笑った。引き攣ったというに近い表情を横目に見たレジーが不思議そうに首を傾げる。それと同じくして、メリルも困ったように眉尻を下げながらもへらりと笑って言った。
「テオさんが見てない所でも結構あるので、たまにっていうには、その、少し、なんというか」
「うん、いいよ別に俺に気を使わなくて。俺もギルド関係以上にホゾキさんに気負うところある訳じゃないし、ミンディも元気な分にはもう何も言わないから。二人には感謝はしてるけどそれはそれで別というかね」
「か、活気があっていいと思いますよ!」
「うん……うん、うん。それは、うん、いいや。それで、どうしてそんなことになってるの?」
メリルの見当違いの励ましに、やはり酷く疲れた顔で頷いたテオは、いくつか脳裏に浮かんだ言葉を飲み込んでメリルに先を促した。促されたメリルも、気を取り直したように背筋を正して先を話し始める。
「はじめは、あの子、“テオドールさんはいませんかちゃん”がギルドに来たんです。ミンディさんはそれを追って来たみたいで」
「ベルが、ギルドに?」
メリルの言う“テオドールさんはいませんかちゃん”という名前に聞き覚えがあったテオは、反射的に聞き返した。
それはおよそ一週間前、鉱山でテオがずたぼろにされる直前に、ギルドでメリルが呼んでいた呼称だ。
「あの子、ベルちゃんって言うんですか?」
テオの呟きを聞いたメリルが首を傾げる。
そういえば、ベルに関しての説明を彼女にはしていなかったとテオは遅れながらも気が付いた。単純に忘れていたということではあったが、それ以上にギルドという、言葉を選ばなければ野蛮な類の人間の集まる場所を、ベルと結びつけることが、何となく、本当に何となく、嫌だったのだ。
その背を戦場に押しやりたくないと思う恐怖が、何となしにあの場所に彼女の存在を認識させることを拒絶したのかもしれない。
「今、俺が預かってるんだ、知り合いの子で」
「そうなんですね」
「まさか、ベル一人でギルドに行ったの?」
少しずつ嫌な予感が頭をもたげてきたテオは、恐る恐る尋ねた。
宿で大人しくリオと二人で待っていると思っていた相手が、ギルドという穏やかとは程遠い場所にいるというだけで驚愕を禁じ得ない。だのに、この話は元々、ミンディがそこで暴れているという話から始まっている。
冷や汗を流すテオの隣で、レジーもまた同様のことを思ったのか、酷く顔を強ばらせていた。宿で待っているのはベルだけではない。リオもまた、そこにいたはずなのだ。食事の場で“リオは先生みたいだ”という言葉がベルから出てくるほどに、二人は親密な関係を築いていたように思える。
「一人ではなかったです。金髪の、後ろで括ってる、同じくらいの年頃の子と一緒でした」
「リオ! リオだ! ねえ、大丈夫なの!? 怪我してない!? 怖がってたりとか!」
メリルの返答を聞いたレジーは、声を裏返して反応する。
「け、怪我はしてなさそうでしたよ。でもミンディさんと、少し言い合いになってました。でも、ああいう時、ミンディさん、怖いから……」
「ああ、そうか、そう言えばミンディは」
言い淀むメリルの言葉に、テオは思い出したように顔を上げた。それに対し、やはり言いづらそうに言葉を濁すメリルが小さく頷く。
その隣で、メリルの怪我はないというその言葉を聞き、一瞬だけ胸を撫で下ろしたレジーだったが、すぐに気を持ち直し、隣に立つテオの背中を引っぱたいた。
「痛い!」
「迎えに行きます! はよ、はよ! 行きますよ! ほら、はよう!」
「分かった、分かったから! だから叩くな! 痛いんだって!」
声を荒らげる度に何度も背中を引っぱたくレジーにテオが訴える。しかし、テオが言い終わるより早く、レジーは駆けだしてしまった。強化術式を展開しているのか、異様に早く遠ざかっていくその後ろ姿に、テオは焦りを覚えて声を裏返した。
「メリル、悪いけど俺たち行く、呼びに来てくれてありがとう、それじゃ!」
テオが片手を上げてそうまくしたてると、レジーの背中を目を丸くして見送っていたメリルはこくこくと頷いた。がつがつと足元で土を殴る踵を軸に、テオは身体強化を自らの体に施すと、すぐさまレジーの後を追って走り出した。
「け、健闘を祈ります!」
走り去るテオとレジーの背中にメリルの声がかかる。街中で突如全力疾走を始めた二人の冒険者は、しかしこの最前線の街では物珍しいと呼ぶには希少度が足りず、人混みが自然と道を開ける程度の事で済んでいた。
出遅れた分、ぐんぐんと離されていたテオとレジーとの距離は、しかしものの数秒で埋まった。例えレジーが身体能力に長けた魔術師であったとしても、生粋の前衛であるテオの足には敵わない。
すぐさま隣に立つ並び立ったテオに驚いた様子のレジーは、しかしすぐに小さく頭を振って前を向いた。
「何でミンディさんがリオ達といるんです。しかも暴れてるなんて」
「分からない。だけど、ミンディも酷いことは、しないと思う」
ミンディとの付き合いが短くないテオは、どうしても彼女が子どもを相手にして暴力を振るうとは思えなかった。それは微かな希望のようであったし、しかし確かな事実としてテオの中に存在する認識でもある。
「そんなん、信じたいですけど、信じきれません。申し訳ないけど、リオに何かあれば、私は冷静になれない」
しかし、この場においてテオのその感覚が希望的観測の域をはずれることはなく、共通認識としては浸透できずにいた。レジーからすれば、どうしたってミンディはテオ越しに見た他人でしかない。そんな程度の赤の他人を信じられるのならば、きっとレジーとて初めから“聖教嫌いのテオ”を探しにあの宿まで来ることはなかった。
「あなたとベルちゃんのこと、私も今はちゃんと聞かない。それでも、なあなあにしとくんだとしても、あなたがどっちの味方をするかっていうのは、決めとかなくちゃいけないと思います」
ギルドへの道を猛スピードで走りながら言うレジーは、なにより、と言葉を続けた。
「そこを決められない人間が、私はこの世で最も嫌いです。自分で首を掻っ切って、さっさとそこで死んでしまえと思ったことすらある」
地を這うように低いレジーの言葉に、テオは息を飲む。背中を伝う汗は、全力で走っているためか、嫌に重く感じる緊張のためか、分からなかった。
「……肝に命じておく」
「どうか、お願いしますね。私も、あなたまでを呪うのは嫌だ」
鉛色の瞳を酷く釣り上げたレジーに、テオは黙って頷くしか出来なかった。