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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
102/144

102話 外野6

 

【102】外野6




 頭から浴びた血を落としたテオは、レジーと共に濡れた服を乾かした後、夕暮れが終わる頃の街を歩いていた。

 モニカはオルトロスの解剖のために残り、エイダンはジルの手により診療所へと連れていかれた。穴から脱出する際に落下して傷をこさえたテオは、ジルにより頭をはたかれるように癒術を施され、多少の擦り傷が残るものの、大きな怪我の類は残さずに帰路に着くことが出来た。


「すっかり遅くなっちゃいましたね」


 土汚れが付いたコートの裾をなびかせながら、テオと並んで歩くレジーが言う。布に包まれた大薙刀を抱えたテオは、暖色の街灯が灯り始めた街の通りを歩きながら、眠たげに瞼を擦り頷いた。それを横目に見たレジーは、口元に手を当ててくすくすと笑う。


「ふふ、眠いんですか」

「少し」

「早く帰って休みましょう。リオ達も待ってます」

「そうだね、悪いことをした。急ごうか」


 テオの言葉に対し、レジーはこくりとひとつ頷いた。二人は言葉の通り足早に街灯の照らす通りを歩き、自分達が泊まるエイの宿がある宿町を目指す。その途中、レジーは何度かテオの顔を見上げては目を逸らした。言葉はなくとも雄弁にものを伝えるレジーの態度に、テオはそちらを一瞥する。口を開きかけたテオだったが、しかし決意したように顔を上げたレジーが話す方が早かった。


「あの、テオさん」

「ん、どうしたの」


 レジーの呼びかけに、テオは問いかけを返した。急ぎ足で道を歩いていた二人は、どちらともなく足を止める。温かみを帯びた街灯の明かりが、二人の頭上から注いでいた。


「話がしたいんです。明日、時間をくれませんか」

「明日でいいの」

「は、はい。明日、明日、お願いします」

「分かった。俺も、時間がもらえるなら、そのほうがいいんだ。夜でもいいか」

「はい。明日、夜に」

「分かった。行こうか」


 テオは短く、そうとだけ答えて、止まっていた歩みを再開した。その隣に、置いて行かれないようにと駆け足でレジーが並ぶと、テオは少しだけ歩く速度を落とした。


 タイムリミットは明確だった。祭りの終わった後、この街を発つ。その言葉を述べたのはレジーではなくリオであったものの、二人のその方針のことを、テオは確かに知っていた。それを聞き出したのはミンディだったが、ろくに顔を合わせていないその相手への返答だったからこそ、酒場のテーブルでなく述べられた別れの期限に嘘はないのだろうと思う。隠すつもりがないのだ。去る日を変えるつもりはなく、そもそもがその日のためにこの街へ来た。


 あと一週間ほどの未来だ。この五日間、平気な顔でしらばっくれていられたならば、祭りまで折り返しの一週間など大して変わらないことだっただろうに。すくなくともテオは、そう思えるだけの無関心と沈黙を守ることに徹していた。それでもレジーは、なあなあのままで、沈黙に甘えることをやめることを選んだ。それは同時に、テオが自分自身に許した沈黙の終わりも意味する。


 きちんと聞かせてくれるなら。

 自分の話も、やはりきちんとしなければならないのだ。


 それは五日前、テオが自らの言葉で述べたことに他ならない。もう五年前の世間知らずではないのだ。伝え方が拙いままでもいられない。

 そして、そうであるからこそ、テオは今、レジーの他に向き合いたいと願う人間がいた。人のことは言えないと、テオだって自覚をしていたのだ。


 なあなあのままで、掘り下げをしないという装われた無関心に甘えたのは、レジーだけではない。

 あの日の坑道で、小さな体躯に怒鳴り声を浴びせた自分自身もまた、アーニーを筆頭にした聖骸リリーに甘えていた。

 自分の中にある感情を露呈させなければ、それだけで何事もない他人のようにいられるのならば。その方が居心地が良かったのだと。喉を締め付け、眼球の裏を白く焼くような、あの慟哭に向き合うことをしなくてもよいのだと。そういった甘えを、自分自身に許していた。


 だから、きっと。

 ここが、自分にとってもタイムリミットだったのだろう。


 アーニーが求めなければ決してテオが拾うことのなかったレジーが話をしたいというのなら、なぜ求められたのかを、知っていなければならない。そうでなければ、きっと自分はレジーの話すら満足に理解してやれないのだろうとテオは考える。皆の話が難しいと、そう言った言葉に嘘はない。分かるだけの努力をしてこなかったと言われて、否定もできない。でもそれが、これからの自分が、そんな分からず屋のままでいることの言い訳にはならない。


 だから、話そう。話さなければならないという義務感以上に、自分自身の芯に近い願いの部分が、話をしたいと訴える。だから、話そう。きっと、今ならば話せるはずだ。

 一人分のベッドで共に眠ることが、許されているみたいだと言ったニーナの言葉を信じてもいいのなら。六人分の人格の宿る小さな体と、六つの夜を超えた今、自分の中にある怒り以外の感情すら、言葉にできると思えた。これ以上を逃げることで、今以上の何かを嫌いになることが怖かった。それを怖いと思えるうちに、怖がらなくていい未来が欲しいのだ。


「はー……、こっわい」


 目を伏せて考えるテオの思考を遮ったのは、微かに震えたレジーの言葉だった。鉛色の瞳を微かに逸らして、テオの思考を読んだかのような呟きを吐いたレジーに、隣を歩くテオが問いかける。


「何が」

「だってテオさん、すっごい怒りそう」

「……怒らない、ようにする。やっぱり、そんなに怖いか、俺、怒ると」


 そう言って眉尻を下げたテオがレジーの顔色を伺うものだから、レジーは思わず小さく笑ってしまった。

 隣を歩くこの男は、やっぱり、こういう風に、怒るようなことを言うなと言わない。そういう所が、レジーには快く思えて仕方がないのだ。他人が人間らしく思う通りにいかないことを、面白く思わない人間をよく知っている。


「逆に聞きますけど、怖くないと思いますか。ドアに頭突きして怒ってる大の男の人。宿で初めて会ったとき、本当は凄く怖かったんですよ、私」

「え、うそ」


 レジーの言葉に、テオは思わず反射的に言葉をこぼした。テオの記憶では、初対面のレジーは食えない優男、もしくは人に嫌われる天才のように思えるほど、神経を逆なでしてならなかった。それでいて、苛立ちを隠せなかったテオの態度にも、終始怯えた顔を見せず、最後まで押せ押せの姿勢を崩さなかったように思う。


 なのに。けれど。そうか、怖かったのか。

 隠すことが上手いことが、何も思わないわけではないということを、テオは改めて認識させられた。出ていってしまった言葉の後を追うように自らの口を片手でふさいだテオに、レジーが微かに笑いかける。


「本当ですよ。成人男性に苛々した態度、真正面からぶつけられる機会なんて、そんなになかったもん」

「そ、そう。なんていうか、悪かった」

「その悪かったがごめんって意味ならいらないです。怒らせたっていう自覚はあるんで」

「そう」

「そうですよ。だから、いいの」


 レジーはそう言って、この話は終わりだと言わんばかりに肩をすくめた。テオもそれ以上を言うのは違う気がして黙り込むと、二人の間には再びの沈黙が下りる。それに気まずさを感じる直前、二人の歩く道の向こう側から、見慣れた姿が駆けてくることに気が付いた。


 お下げにされた栗色の髪、同じ色の丸い瞳と、小柄な背丈。メリルだ。




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