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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
100/144

100話 外野4

 

【100】外野4




 肌を泡立てるような声だ。体を固めたレジーはコート越しに腕を摩る。目の前に立ちはだかった聖騎士の男は、まるで知己にでも出会ったかのように腕を広げてレジーへと近づいた。それはまるで歓迎を体現していた。しかし、レジーは近づかれた距離だけじりじりと後退する。


「人違いじゃないですかね。私の名前はレジーです。どなたかとお間違えでは?」


 そう言葉を吐き出したレジーとの距離が縮まらないことに気が付いた指揮官の男は、一瞬だけ怪訝を表情に表した。しかしすぐに先程と同じ笑顔を張り付け、やはりどこまでも親しみを込めた丸い声を吐き出す。それはオルトロス討伐作戦の前に見た男の様子とあまりに乖離し、レジーに酷く強い警戒心を抱かせた。


「いいや、ケイレブ。君ほどの魔術師を間違えるはずもないだろう。ああ、いや、今となっては“魔術師”などと呼んでは失礼だったかな。君の活躍は聞き及んでいるよ。私も嬉しく思う」


 その言葉を聞いて、レジーは内心で舌打ちをした。聞きたくない言葉だ。こういう人間に出会わないで済めば良いと願っていようと、“この顔”はそういった相手を引き寄せてならないらしい。ここにテオがいないことがレジーにとって不幸中の幸いであった。


 いずれ話さなければならないと思っていたし、それを吐き出せる勇気を付けるまでの五日間だった。祭りも近くなり、何をするにせよ、そろそろが期限なのだろうとも考えていた。

 初めにテオに促された言葉に、そのうちに話すと誤魔化しの言葉を答えてから、実際にこの五日間ただひたすらに深入りも焦らしもせずに待ち続けてくれたテオにはレジーだって頭が上がらない。しかしそれでも、打ち明けるべき身の上話のボーダーラインを引き損ねていたのも事実だ。

 自分がこの手で取った人間の命を、その手が抱いた尊厳を、大事にしたいと思い過ぎた慎重さが、この日までレジーに二の足を踏ませていた。


「ご両親は息災かな? あの方々には本当にお世話になったもので、この戦線へも多額の支援をしてくださって……」

「聞く気はない。どいて」


 話し続ける男の言葉を遮ってその横を通り抜けようとしたレジーだったが、行く手を遮るように男が腕を伸ばした。それが自分に近づくことを嫌い、反射的にレジーは仰け反りながら後退る。

 それはまるで先程の再現であり、親しみを込めて話しかけた相手から示された二度目の拒絶に、男はついに不信感を前面に押し出すように眉を顰めた。


 目の前の男に迎合するには、オルトロス討伐作戦の囮役にテオを任命した際の態度をレジーは受け入れることが出来なかった。自分が想う者の人命を軽視する人間に対してまでへつらう顔など持ち合わせていない。少なくともそこに無関心すら抱かない他者からの害意は、レジーにとって許容範囲外のものだった。


「そう急ぐことはないだろう。少し話をしようじゃないか。人払いがいるなら用意もある。場所を変えて……」

「んな暇ねえんです。さっさとテオさん達を引き上げに行かないと」

「そんなことか。代わりの人間を送ればいい。君がわざわざ出向く必要はないさ。そのロープは預かろう」


 そう言ってレジーが手にしたロープに手を伸ばした男から更に逃げるようにレジーが下がる。ロープを取り上げられないように肩に回し、両腕で抱え込んだ。威嚇するように歯を剥いたレジーが、精一杯顔をしかめて口を開く。


「余計なお世話です。これは自分で持っていきます」

「……そうか。まあ、それもいい。またこの後、時間を取れるかな。積もる話もある」

「私はちっともねえんですわ。お一人で壁にでも話してらっしゃればいいのではないですかね、耄碌爺」

「……君もそうしていると弟君とそっくりだ。確か……イーヴァ君、だったかな。最近は見なくなったが、まだ反抗期の盛りかね」


 レジーの態度に、ついに嫌悪感を隠し切れなくなったのか、男は首を横に振りながらそう吐き捨てた。それでも眼前の人間を直接的に指定して悪い言葉を吐かないところが嫌らしいとレジーは内心で舌打ちをする。

 悪口や陰口をコミュニケーションのツールとして使うことはレジーの好むところではないし、そもそも相手を選ぶべきだと考える。


「さっきのあれもそうだ。テオドールと言ったか。まったく、せめてオルトロスに喰われていれば、こちらも話が簡単だったというのに。ミダスの弟子が死亡するほど戦場がひっ迫していると報告できれば、私が何度も唱えた全面攻勢の案も通りやすくなるだろう。なにせ、天下の英雄様などと担がれて付けあがっているケネスと同じミダスの弟子だ。目障りな背信者も消えて一石二鳥ではないか。だのにあれはいつも意地汚く生きて帰ってくる。せめて死んで役に立てというのが分からんか」


 べらべらと述べる男を前に、レジーは強く拳を握った。目の裏が白い色を帯び、力を入れ過ぎた顎の裏が固まる。それが怒りからくる体の反応であることを、レジーは理性的に理解していた。自らの感情が憤怒に染まることを理解したうえで、その感情を抑え込まないという選択肢が脳裏に存在することを自覚している。


 ぎぎぎと歯を食いしばるレジーの様子にも気が付かず、男はさらに口を開こうとする。それはまるでミダスの弟子に対してレジーも同じように反感を持っていることを疑ってもいないようだった。


「この砦に固執することにどれだけの意味がある。消耗を抱えて前線を固定するよりも、まだ物資も潤沢なうちにとっとと攻め込むべきとは思わないか。それをケネスが留めるせいで、一向に戦況が回復しない。せめてその判断ミスの清算くらいは内輪の命で償ってもらいたいものだ」


 苛立った仕草で爪先を鳴らす男は、そう言って、最後には得意げに細めた目でレジーを見た。その時になって初めて、男はレジーが固く握りしめた拳を肩口まで振り上げたことに気が付く。動揺に目を見開き、体を固めた男が慌てたようにさらに口を開く。


「な、何を、君のような人が、この話が分からないはずがないだろう! そうだろう、ケイレブ! 君も“聖騎士”であるのなら!」


 その言葉を耳にしたレジーは振り上げた拳を振り切ることなく停止する。それを見て、固めた体を安心したように解いた男は、しかしレジーの剣呑な光を帯びた瞳を見て、驚愕の表情を張り付けた。ぎくぎくと身を固め直した男へと、レジーは酷く低い声音で吐き捨てる。


「人違いだと言っている話すら聞いていないのか。どうしても命を手段に使いたいなら、自分のものを使えばいい。今すぐここでくたばれよ、クソ野郎」


 それは言葉を吐いたレジーですら、自分自身の声帯がこれほどまでに低く地を這う音を鳴らすことができるのかと驚くほどの声だった。


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