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生地キャベ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやは、小さいころの自分の癖とか覚えているか?

 指しゃぶりなんか、よくある例だろう。それなりに大きくなってからの指しゃぶりは、歯並びに影響を及ぼすこともあり、やめることが推奨される。

 だがそれ以前、赤ん坊は生まれる前からすでに指しゃぶりをしていたことが、研究によって判明しているようだ。ここまで徹底していると、指しゃぶりって大きい役目を果たしているんじゃなかろうか? 

 一説には、母親代わりのような癒し、安心感を与えるともいわれている。特に親指をしゃぶることが多く、そのこと自体が「親指」の語源だとも。

 この幼い頃の癖をめぐって、俺は不思議な体験をしたことがある。今でも信じがたいことだが、ひとつ聞いてみないか?



 俺にはちょっと歳の離れた弟がいる。

 幼稚園から帰ってくると、柵つきベッドで寝ている弟の様子を見るようにいわれていたよ。赤ん坊の突然死のニュースが流れていた時期だったからな。誰かしらが見張っているべきって決まりができていた。

 弟が心配される理由はほかにもある。それは、手近にあるものを片っ端から、口へ入れようとする癖があったことだ。

 特に服や毛布といった、生地をしゃぶるのが好きだったな。寝ているときも枕カバーをもにゅもにゅとしゃぶっていてな。そいつを喉に詰まらすんじゃないかと、心配していたわけさ。

 その日も弟は目を閉じながら、自分の指と一緒に指揮毛布を口へくわえていた。もう指も毛布の端が、つばでてかてか濡れているのが見えてさ。「何度いっても、聞かないな」と、毛布たちを引っ張り出そうとしたんだ。


 それが、できなかった。

 俺が毛布をつまんで、くいくいと引っ張ったが、口の中から毛布が滑り出てくる気配はない。かえって、ぐっと力は強まり、徹底抗戦の構えを見せてきた。

 まだ歯も生えていないはずの赤子。これまでなら、大した手ごたえもなく取り出せていたんだ。それが今回は、いつもの倍以上の力を入れてびくともしない。

 これ以上、強引にやるのははばかられた。弟の首が、俺の引っ張る力に押されて、かくかくと傾き出してしまったからだ。これ以上やると、しっかり「すわって」いない骨に、悪い影響が出かねない。


 ならばと、俺は手を洗いなおし、今度はより弟の口元へ指を寄せる。じかに口を開けて、指と毛布を取り出そうとしたんだ。

 前者はうまくいった。俺が上唇をぐいっと持ち上げると、よだれでべちゃべちゃになった親指が、するりと抜け落ちてくる。けれどそれは、口の半分ほどまでの話。

 残りの半分、毛布をくわえている側は全然の別だ。きっちり閉じあわされて、簡単に動かすことができない。まるでこちらだけ、石か何かに変わってしまったかのようだったよ。


 親の助けを借りれば、早かったかもしれない。けれど俺にその考えは浮かばず、どうにか自分の力だけで解決しようと、やっきになった。

 口元をこじ開ける試み、毛布を口から引っ張り出そうとする試み。そのどちらも、延々と行っていったんだ。これから解き放たれるのに、数十分くらいかかったと思う。

 何度目になるか分からない引っ張りで、毛布はずるりと抜けた。ぬれぞうきんのごとく、黒々と水分が染み込んだその毛布は、明らかにちぎれていたんだ。


 ――のどに詰まらせたんじゃ……。


 そんな不安が湧くのと一緒に、弟は目を覚ます。とたんに大きく泣き出すものだから、その開いた口の奥をのぞき込むも、毛布らしきかけらが残っている姿は見受けられなかったんだ。


 それからもしばしば、弟のしゃぶる生地がちぎり取られてしまう事態が見受けられた。両親はその瞬間を見たことがないらしくて、もっぱら目撃者も証言者も俺の役目となったんだ。そして「そんなアホな」と信じてもらえずに終わる。

 やがて弟もハイハイを覚えた。できるようになると、寝たきりの時間は減らされて、家中を這い回る練習をするようになる。

 これで布をかじる機会も減る……と胸をなでおろしかけたけど、そんなに甘くはなかった。


 今度はハイハイするカーペットの表面、そこに浮かぶ毛玉がターゲットになったらしい。

 ハイハイしている途中、不自然に首を上下させる弟と、その通り道にきらめく、細い唾液の糸。そして、通った場所の毛玉はきれいに処理されてしまっている。他の部分に比べたら、一目瞭然だ。

 こういうとき、年下はがぜん有利。年上がとがめてきたところで泣き出せば、強制的に相手を悪者にできる。僕が注意するたび、親からは「また泣かせて……」とお小言をいわれる始末だ。

 いくら弁明しても効果はなく、いつも弟の味方ばかりする両親へ、次第に俺は腹を立てていく。

 

 ――こうなったら、証拠の写真とかを撮って、つきつけてやろうか。

 

 そう考えた俺は、使い切りのカメラを購入。毛布やカーペットを貪る瞬間を捉えて、弟を非難しようと考えたんだ。

 

 

 証拠集めに熱中する俺は、これまでとは正反対に、毛布をしゃぶらせようと働きかける。なんの疑いも持たないのか、弟はそれにまんまと乗っかった。

 最初に無事だった毛布の姿。次にそれをくわえる弟の姿を撮影。それから時間をおいて、ちぎられた毛布の姿も、フィルムへおさめることに成功する。

 リアルタイムで動画を撮れるビデオは、手元になかったからなあ。これだけだと、いたずらを指摘されて終わるかもしれない。だから俺も更なる証拠を求め、弟をベッドから持ち上げ、脱出させる。

 カーペットを這い回らせ、その毛玉を処理する様を、しっかりフィルムにおさめようとしたんだ。

 

 けれど、ファインダーをのぞいた俺の頭が、「がっ」と掴まれる。

 考えられない事態に、俺は息が詰まる。この時の俺は壁を背に、ほぼ寄りかかるほどの間隔でカメラを構えていた。もちろん、何もいないのを確認してからだ。

 ファインダーの先が黒く染まり、ほどなくカメラを強引に奪われた。真っ黒い手がカメラをわしづかみにし、僕の頭上でぐしゃりと音を立てて潰れてしまったんだ。

 動けない俺の身体の脇から、すっと踏み出す影がある。当時の俺の倍以上はあるんじゃないかという、ジーンズを履いた太い足をよく覚えているよ。だが、それより上は分からない。

 腰より上の部分が、屋根を突き抜けているんだ。足以外で見えるのは、太もも近くまで添えられた大きい手首のみ。おそらくあの手が俺の頭を掴み、カメラを壊したんだ。

 

 穴のひとつも屋根に開けず、手足は進む。その足元はちょうど弟の手前あたりで止まったように見えたが、次の瞬間には、俺は目をぱちくりさせている。

 足の先にいるはずの弟の姿はなかった。代わりにそこにうずくまっていたのは、もろもろの生地がキャベツの葉のように集まり、くるまった物体の姿だったんだ。

 分かる。あの生地の一枚一枚は全部、かつて弟が口にしていたものだ。その表面にぽつぽつと浮かぶ毛玉も、このカーペットから頻繁にいただいていたんじゃないかと。

 

 巨大な足が、ポンポンと生地のキャベツを軽く踏む。

 ちょっとでも力を入れて踏めば、あっけなく潰れてしまうだろうそれを、慎重に探っているかのようだ。

 俺は息を呑んだまま、動けなかったよ。あの足が動けば、俺の身体など簡単にぺしゃんこにされると、ひと目で察することができたからな。

 やがて足はちょんとソフトタッチしたあと、わずかに足をあげて、キャベツを蹴り飛ばしたんだ。

 足の主のように、キャベツはすり抜けたりしない。

 窓、テレビ、タンスにふすま。そのいずれにも、大小の傷やへこみを残しつつ跳ね返る様は、さながら三次元ビリヤード。やがてポケットにあたる、机の下へきっちりはまり込んだキャベツは動かなくなってしまった。


 はっと顔をあげると、もうあの大きい手足は消えてしまっている。

 ほどなく、机の下からは猛烈な勢いで泣く、弟の声がしたんだ。そこには紛れもなく、俺が撮影しようとしていた、弟の姿があったんだよ。


 結局、両親からも詳しい話は聞けなかったが、あの大きい手足。前々から弟を狙っていた何かなのだろう。

 あの生地のキャベツは、あれから身を守る手立て。それを展開するためには、日頃から生地を身体に取り込んでいないと、いけなかったんじゃないかと思うのさ。

 もう弟は生地を食することはなくなったが、とても頻繁にトイレへ行く。ひょっとしたらキャベツになっちまうタイミングが分かって、それを見せないために、姿を隠すのかもしれない。

 

 


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