勉学の時間です
勉強の時間は、私にとってはとてもつまらないものだ。
何度も何度も、同じことを繰り返して、彼らの求めている水準に達するまで練習するだけの時間。
上手に出来たら、きっとお姉様みたいに次々と教えてもらえるのだろうけれど、私はお姉様みたいに物事をすぐに把握できるような特別な才能を持っていないの。
今だって、小テストの採点を始めたばかりのアルマリーニ先生が、それはそれは深い溜め息を吐いた。
「お嬢様」
「はーい」
お披露目のある8歳までは、家族や家に仕える者以外は名前を呼ぶことがない。
何かしらのきっかけで知れたとしても、情報保護として名前を呼ばないし、他家に聞かれても答えることはまずない。そこで応えてしまったら、家庭教師としての信用がガタ落ちの為、今後に影響してくるからだ。
「返事は短く。そして、どこをどうしたら、問題と答えの場所が違う場所になるのでしょうか」
スッと点数の欄に綺麗な○が書かれた小テスト──要は0点なのだけど──を、私に見せながら、彼女は眉尻を上げた。
確かに、言われてみてみれば、問題に対しての答えが1問ずつずれている。
問題の下に答えを書いたつもりだったのだ。私は。
「不思議、ですねぇ?」
「不思議なのはお嬢様ですよ!」
頭を掻きむしりたい衝動を堪えているように、手を戦慄かせたアルマリーニ先生は、そう私に返す。その後に、淑女としてあるまじきことだと、ギッと奥歯を噛み締めて姿勢を正した。
いつものことなので、驚くことも、怯えることもない。そう。いつものことなので。
「しかも、答えが微妙に間違っている。まるでこちらを馬鹿にしているかのような、妙に外した回答! カティア様はこんなミス一度もしたことがないのに──」
習い始めた頃は、彼女もこのように本心を話すようなことは決してなかった。
けれど、私がお姉様とは似ても似つかない頭脳の持ち主だとわかるやいなや、最近では徐々に崩れてきているのだ。ちょっとおもしろいと思っていることは秘密である。
お姉様と引き合いに出しているのは、決して嫌味ではない。思わずといった言葉に、彼女自身が気付いて、まるで古びた扉を開けるように、ぎこちなくゆっくりと私と目を合わせる。
よくわかってるじゃないか。
「お姉様は凄いのよ!」
本心からなる、尊敬するお姉様。
私と頭の出来が違うのは当然である。
「私が今苦労して読んでいる絵本も、お姉様が3歳のころには私に読み聞かせていたというし、楽器演奏だって凄いでしょ。この前なんてとても分厚い自国の歴史書を読破して、来週からなんてお隣の国の言葉も習い始めるってお聞きしたし、それにそれにっ」
「お嬢様……お嬢様!」
慌ててアルマリーニ先生が私を止める。
もう少しだけお姉様の素晴らしい才能の話をしてもよかったのだけど、余りに彼女が必死なので止めてあげた。ちぇ。
「カティア様が十分、それは、とても、十分なほどに優秀なことは私も存じております。お嬢様も、カティア様に習ってほんの少しでも本気を出して頂ければ……」
「あら無理よ」
そう。皆私とお姉様を比較するの。
お姉様は出来たのに。お姉様はこうだったのにって。
「私とお姉様は違う人間よ。頭の出来も、私のほうが遥かに劣っているわ」
ニコリと笑う。ただの事実だ。
私にお姉様のような才能が少しでもあれば?
のんのん。お姉様だからこそ、才能があって開花するのだ。
私がお姉様の才能を持っていても、ただの宝の持ち腐れだっただろう。
「比べるまでもなく、お姉様は凄いの。アルマリーニ先生もご存知でしょう?」
そういった私を、どこか化け物を見るような目で見るのは止めてほしいところだわ。
逃げるように授業を終えて、アルマリーニ先生は退出する。
私の好きな紅茶を侍女に淹れてもらって、下がらせた。
今の私はとても小さい。お姉様に比べたら、椅子だって一人では優雅に座れないもの。
ぷらぷらと行儀悪く足をぶらつかせながら、私は紅茶を楽しんだ。
「ふふっ」
勉学の時間はとてもつまらない。
だって、他人を比較するしか能のない人達とお話しなくてはならないもの。
いつだって、お姉様は私の味方だし、私がお姉様の敵に回ることもありえない。
「お姉様は優しいのよ」
ぽつりと、そうつぶやく。
だから、お姉様が不運になる未来なんて潰さなくてはならないのだから。