副司令官 着任 直前
目が覚めると君はいない
夢の中で 君は笑うのに
白く高い天井に、此処は月の家では無い事を思い出す。
Mid space nineに着任して既に1ヶ月は過ぎようというのに、未だこの目覚めの感覚だけは順応してくれない。
ベッドから半身を起こし、カノアは両手で顔を覆うと深く嘆息をついた。
また、夢を見た。
士官学校に入学し(はいっ)た頃から見始めた夢は、そろそろ5年目になろうとしていた。
夢の中ですら、違う家で目覚めるのに
カノアは小さく左右に頭を振った。
いざとなれば地球連邦とは異なる星系の星や星域に出征して過ごさなければならない身で、情け無い。
未だ違う星系と統一連邦を作るには至らない為、地球連邦として他星系の国や組織とバランスを取りながら関係を築いているとはいえ、いつ何時、全く違う場所に行かされるかは分からない。
何処にいても、平常心を保てるようにならなければならないのに。
なのに、目が覚める度に思う。
此処ハ何処?
そして、こうも思う。
私ハ誰ダ?
「カノア」
はっと、カノアは埋めた両手から顔を上げた。
「おはようございます。マスター。着替えを手伝いましょうか?」
ルビーの様に赤い瞳に覗き込まれて、カノアはディノの綺麗に整った白い顔を凝視した。
「…ディノ」
「いつもなら既に準備が整っているのに、マスターがまだ司令室に見えないため、お部屋に伺いました。今日は、基地に着艦する艦も多く、司令部に来る来訪者も多い予定です。体調は大丈夫ですか?」
淡々と話す姿を見つめながら、カノアは自分がいつもより10分程寝坊している事と、今日は忙しくなる予定だった事を思い出す。
「ありがとう。大丈夫よ。5分で出るから先に司令室に向かっててくれる?」
「わかりました」
素早く自動扉の向こうに姿を消した「元・家の者」を見送ると、カノアはベッドサイドのクローゼットのリモコンを操作し、数ある同じデザインの制服の内の1枚を引き寄せて身に付けた。
「フード、ティー、アールグレイ、ホット」
声に反応して、部屋の中央にあるテーブルの上には湯気の立つ良い香りの紅茶の入ったティーカップが現れた。
長い髪を素早く左右に結い上げた後、程良い温度に入れられた紅茶を口に運んだ。
「味は良いんだけどね」
情緒は全く無い。
そして、時間も無い。
飲み終えてカノアが部屋を出たのは、ディノに約束したきっかり5分後だった。
宇宙空間を滑る様に進んで行く幾つかの艦隊があった。
どれも行き先は同じらしく、一糸として乱れる事無く無音の状態で進んで行く。
その中でも、一際銀色に輝く機体の艦の一室に、その男はいた。
紅く毛足の長い絨毯の上を行ったり来たりしながら、ディビッド・M・シェパード大佐は逸る気持ちを抑えることが出来ずにいた。
「ああ! なんて待ち遠しいんだ! 基地入港まであと1時間もかかるなんて」
「声、漏れてるわよ」
興味無さ気にどさりとソファに腰を下ろす長い赤毛の美女にちらりと目をやって、次の瞬間、天井まである窓に張り付いた。
「ルティシアっ! 基地が近づいて来たよ。 なんて美しい輝きなのだろう」
「まぁ…。新しい基地だし、ピカピカよね」
普段からめんどくさい御人だとは思っていたが、わざわざ意見を求めるのはやめて欲しい。
窓に張り付いたまま黙ってしまったディビッドが気になって、ちらりと様子を伺うと、彼はまだ窓に手をあててじっと基地を眺めていた。
「実は、緊張してるんでしょ?」
ルティシアの言葉に、ディビットは驚いた様に振り返った。
見開かれたコバルトブルーの瞳には、驚きと不安と、そして少しの好奇心が乗せられているように見えた。
「私は、自分より歳下の上官に仕えた事が無いんだ」
苦笑して、視線を再び基地に戻す。
「しかも、女の子だろう? さすがに10代の女の子は守備範囲外とはいえ、可愛い女の子が上官なんて、喜んで良いのか悔しがるべきなのか」
要するに、嬉しいらしい。
身長は190を越すくらいで、筋肉も程々についていて体格良し、顔良し、27 歳で大佐なら、順当以上の早さで昇進して来たであろうこの男は、自分の上官との人間関係について、会う前から悩んでいたらしい。
だから、落ち着かなかったのか。
「会ってみなければ、どんな子かも分からないでしょ?」
まずは落ち着いてひと息吐いたら?
ルティシアの言葉に、ディビットは短く整えられた、色素の薄い茶色の髪の後頭部をかりかりと掻いた。
「カルティア提督から、くれぐれも頼むと念を押されている。多分、この人事には、なにか上層部の思惑がある」
「まぁ、普通はそう思うわよね。15歳で、いくら12歳でアカデミー卒業した天才とはいえ、3年も引き籠ってた少女をいきなり少将にした上、司令官にだなんて。ありえないし」
ルティシアの言い分はもっともだ。
それに、守れと言うのであれば、それ相応の理由を教えてほしいと思うのも当然だろう。
「そうだね。まるでこの基地自体が、彼女を守るために作られた籠のようだ」
ディビットの言葉に、今度はルティシアが薄い赤茶色の瞳を驚愕に見開いた。
「どんな思惑?」
次の瞬間、剣呑な光を宿した瞳をディビットに向けて、ルティシアは不機嫌そうに眉根を寄せた。
そんな様子のルティシアに、ディビットが苦笑する。
「わからない」
基地に目を移してその瞳に鈍色に輝く基地の姿を映しながら、ディビットがコバルトブルーの瞳を細めた。
「わからないから、落ち着かないんだよ」
カルティア提督がディビットの前任地に突然現れたのは、つい先月の事。
視察と銘打ったその面会は、後から考えると、間違いなくディビットの為人を確かめるための訪問であった。
2、3言葉を交わして、椅子から立ち上がった提督はその大きくごつごつした手をディビットの良く鍛えられた肩に乗せた。
「実は、君に行ってもらいたい所がある」
突然の事に、まるでお使いでも頼まれるのかと思ったディビットは、うっかり敬礼を取って快諾した。
「どちらへ参りましょうか、提督閣下」
勘違いに気が付いたのだろう提督が苦笑しつつ肩から手を引いた。
「私の娘の傍らに」
新手の見合いの辞令かと思った。
「提督?」
「詳しくはまだ話せないが、守ってやって欲しい。君にしか頼めない」
ディビットが、話が見えず困惑に口を閉ざすと、提督は小さく嘆息をついた。
「すまないが、今はまだ、何も話せない。だが、君にしか頼めない」
「どのような敵が存在するのですか?」
疑問に、提督は少し俯き、小さく首を左右に振った。
「君の考え得る全ての可能性から、彼女を守ってやって欲しい」
やはり、なにも答えてはくれなかった。
「今は、という事は、いずれは教えて頂けるのですね?」
質問に、提督はその晴れ渡った空のように美しいスカイブルーの瞳を少し細めて小さく笑った。
「きっと、君があの子の側にいてくれるなら、私が教えるまでも無く君は彼女を何から守らなければならないのかをいずれ理解することになるだろう」
「ディビット。もうすぐ艦が着艦するから私、部屋に戻るわ。準備しないとだし」
ルティシアがソファから立ち上がった。
ディビットは振り返らずに、左手だけを小さく上げた。
部屋から出かけて、ルティシアは気が付いたようにディビットを振り返った。
「たとえどんな重要且つ重大な事情があろうと、小さな女の子1人を好きにしていい理由にはならない」
ルティシアらしい言葉に、ディビットは苦笑して振り返った。
「少なくとも、私はそう思うわ」
「俺も、そう思いたい」
「どんな思惑があるかは知らないけど、それが彼女を苦しめる事の無いように、私も協力させてね」
イイ奴だ。
「心強いよ」
数年前、初めて艦のバーで声を掛けてきたときは驚いたが、サバサバしていて付き合いやすい。
それに、口が固く、しっかりした考えがあるので、信頼もしている。
提督が娘の為に人事をある程度掌握しているのであれば、彼女を選んだのは良い人選だと思うが、今回同じ艦での着任は、果たして偶然か必然か。
「じゃあ、司令部で」
「あとでな」
会ってからじゃないと、わからない。
全てはそこからだ。
「行きますか」
少ない荷物の入った鞄を掴んで、ディビットは部屋を後にした。