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世の中の渡り方


 静香さんがコンクールに話を戻した。

「国内コンクールで勝って留学する人もいるんじゃない? 武者修行に行きますって言って姿隠せばいいじゃない」

「そんな簡単じゃないと思います。ピアノの世界では一躍有名人になるんですから、どこで何してるかぐらい把握されるだろうと」


「折角コンクールで勝っても副賞として付いてくるキャリアを一度は棒に振ることになる。事務所との契約もできない。でも実力があればピアニストになれないわけがない。少し先に延びるだけだ」

 男の人は心の問題は疎くても、社会の仕組みはわかるらしい。

「奈緒ちゃんの実力が減るわけじゃないわよ。世の中ほんと、四角四面過ぎる。受賞してから数カ月お休みいただいたって問題ないじゃない。勝手にスケジュール立てるほうが悪いわ。でも出産前後ピアノが弾けない期間ってそんなに長くないんじゃない? あたしみたいに生死をさまよえばわかんないけど、あれは戦後のどさくさだったからだし」


「産んでくれるなら、コンクール中にある音楽関係者からオファーを受けて留学が決定することになっている。有り得る筋書だろう?」

「ありありだわ。とりあえずコンクールはただ太ってるだけ、妊娠なんてしてませんで通すとして、あ、もしかしてさくらさん? さくらさんに絡んでもらうの?」

「ああ、電話入れてある。審査に依怙贔屓はさせないけど」


 理解がついていかない夫婦の話に出てきた名前が私の脳に響いた。

「待って、待ってください、さくらさんって、あの、みなづきさくらさん? 日本で初めてショパンの全曲をコンサートレパートリーにした? もう引退されてどこにおられるか知られてないはず」

「京都にいるわよ」

「そして奈緒子が受けるコンクールの審査員になってくれるって。子育てやら雅楽で忙しくしててピアノ界とは一線を画してたんだが、本人が審査に加わりたいって言えば無碍に断れる日本ピアノ界でもない」


「なんだ、青さんも全く頭使ってないわけじゃないのね?」

「いや、最初は子供のことを考えてしたわけじゃない。単純に、さくらさんが奈緒子のピアノ聴いてくれたら嬉しいと思っただけで……」

 青造さんが照れる。静香さんがからかいがてら纏めた。

「もう、頼りないの。雅楽ばかりでなく今後ピアノに力を入れるために、みなづきさくらが満を持して乗りだした。後藤音楽教室が実力者一人を全面的にバックアップする。留学奨学金を出す予定である、できてるんじゃない、筋書き。心配して損した」


「あの、みなづきさんは、後藤音楽教室に?」

「現社長夫人だね」

 私は青造さんの音楽神社のネットワークと底力を知らなかったようだ。


「でもそれって、なんかズルしてるみたい……」

「あら、ズルするのは優勝してしまった場合、その後すぐお仕事に就かなきゃだめっていう部分だけよ。さくらさんに、後藤にはどうしても奈緒ちゃんがいいって駄々こねてもらうだけ。優勝するか、準優勝するか、箸にも棒にもかからないってなるか、そこは真剣勝負。問題なくない?」


「ないのかしら……」

 私はまだ何か釈然としない。はっきりしないまま、次の問題が頭に浮かぶ。

 コンクールと出産自体はそれで何とかなったとしても……。


「でも、子供がいたらその後のお仕事たいしてできないんじゃ?」

 私には出産以上に社会に出ることの想像がつかないのだ。

「できるようにするのよ。後藤音楽教室に勤めることになるか、生徒さんのおうちを廻ってピアノを教えるか、コンサート開くんでしょ? ばあばが乳母車押してオーケストラって素敵じゃない?」

「おまえ、ついて廻る気なのか?」

 青造さんが静香さんの顔をまじまじと眺めた。


「方法はいくらでもあるって言ってるの。コンサート開くくらいの実力者でも子持ちなのは隠した方がいいなら、赤ちゃんはここでお留守番すればいい。うちは不幸な身の上の信者さんの子供を預かってますって言い続ければいいだけ」

 今度は私までもが奥様を見つめた。

「そんなことまで考えて……」


「いい加減な気持ちで言ってるんじゃないのよ。このひとが貴女に目を奪われたって白状してからぐるぐる考えたんだから。こっちも崖っぷちだから私だって必死なのよ? 音楽の神さまとして貴女の才能を潰すわけにはいかない。青さんが産んでほしがって、貴女が産む決心をして、この先の苦労と世間の冷たさに堪えると腹を括るなら、その子は生きていけると思う……」


「すまない、静香、そこまで考えてくれて。すまない、奈緒子、こんな形で……」

 情けない青造さんの声に女ふたりで笑ってしまっていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] やはり青造さんは大分ズレてますねw 青造さんくらい振り切れてる人は稀でしょうけど、「二人の女を好きになって何が悪いんだ」くらいに考えている男は結構多いので、気を付けなくちゃいけませんねw
[良い点] 静香さんの最後の台詞、ささりました…… 崖っぷちだからぐるぐる考えた。 ほんとうにね、どれだけぐるぐるだったろうかと思うと……きちんと乗り越えて、全部受け入れようとするのがすごいです。…
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