神主さまとピアノ科学生
閉会後も親も子供もすぐには帰ろうとしない。舞台裏から出て行くと、待ってましたと子供たちが寄ってきた。そう言えば、個々の質問に答えてあげてくれと主催者さんに頼まれていたんだった。
「もうピアノ教室行ってるけど、来てもいい?」
「お歌苦手でも弾ける?」
「レベル差があるときはどう教えるのですか?」
子供も大人も話しかけてきた。
「大丈夫です、みんなが楽しくできるようにしますから。まずは来週来てみてください」
と、応対した。実際、どんな子たちが何人集まるかで何ができるか全く不明なのだから。
辺りを見回すと、志乃ちゃんも他の演奏者も似たように取り囲まれていた。神官衣装だけはもう見当たらなかった。時節柄お忙しいのだろう。
やっと人垣から解放されると、面と向かって男の人に褒められた。
「あの、貴女のショパン、凄かったです。感動しました」
「は、はい、ありがとうございます」
急いで頭を下げた。
保護者だろうに子供が傍にいない。平日この時間に暇な男性は珍しいかもしれない。区役所の職員さんということもあり得る。
スラックスに縄編みのセーター姿、ブルゾンもコートも手にしてなく、寒くはないのだろうかと気になった。上背のある頭の天辺で髪の毛がひょこひょこ跳ねている。切れ長だから細いけれど、面積としては大きな目がふっと笑った。
「あ、え? 神主さまですか?」
「はい、長慶青造と言います。洗足にあります長秋神社の神職です」
もっと年輩だと思っていた。40代前半、もしかしたらまだ30代かもしれない。
「ピアノはやはり、人気ですね」
声は艶のあるバスの音域、エスプレッソコーヒー調。
「神主さまはもっと雅楽を広めたいのですか?」
「あ、いえ、僕は別に。好きでやってるだけです。後藤は親戚でして、いつも助けられてばかりなので恩返ししろと駆り出されました。それで遅刻していては申し訳ないが」
「年明けはお忙しいでしょう?」
「ええ、まあ。今日は実は二重橋のほうに招ばれて、それであんな仰々しい格好に……」
「お宮さん、宮中のほうですね」
「車の中に一式脱ぎ捨ててきました」
「お似合いでしたのに」
声をたててふたりで笑っていた。
「あの、どこへ行けば貴女の演奏聴けますか?」
神主さまはふと真面目な顔になった。
「私、まだ学生です。上野にある音大」
「そ、そうなんですか? もうリサイタルでも開かれてる腕前だと思いました。うちの神社、音楽の神さまを祀っているとご存知ですか?」
「いえ、初耳です、そんな神さまがいらっしゃるのですね」
「拝みに来てください」
「あら、宗教勧誘でしょうか?」
私は意地悪な目で見返した。神に祈っても母の病は治らなかった。あれ以来、音楽は信じても神さまは信じられない。
神主さまは吹き出して笑った。
「貴女に神頼みは不要ですね。もっと僕の音楽を聴いてくれたら嬉しいと思っただけです。通称歌う神社と呼ばれてまして、社の中で歌ったり演奏したりするのが神主の仕事なんです。今日、琵琶を持ってきてないので、それを聴いてもらえたら……」
「考えておきます」
これが私と青造さんの出会いだった。
その日はナンパをあしらうようなつっけんどんな返事をしておきながら、私は長秋神社が行きつけのピアノ教室から徒歩圏内にあるのを知ると足繁く通った。
「散歩、気晴らし、音楽談義、神主さまならどう演奏するか訊くため」
足が神社に向く言い訳はどんどん絞り込まれていく。
「いい音楽を聞くため、お社が歌うのを聞くため、お社が演奏するのを聞くため」と言いながら中で奏でているのは切れ長の瞳を優しく煌めかせる長慶青造さんだと意識した。神社は彼のコンサート会場だ。
青造さんは私が境内にいるのに気付くと、大抵好きな曲を奏でてくれた。歌うときも、歌詞は祝詞らしいのにクラシックに乗せるから摩訶不思議に魅せられた。
たまにお社から出てきてくれて言葉を交わす。
胸の開いた白いお着物では寒いだろうに、本人は気にならないようだ。私のほうが喉仏や胸元に勝手に目が行っていたたまれない。
どんどん彼に惹き込まれていった。
一度、コンクールに対する釈然としない気持ちをこぼしたら、いつもは柔和な顔を強張らせて、
「あがってください」
と社内に招じ入れた。
「ここは拝殿、神さまの前で悩みや相談を受け付けるところです。先ほどのお言葉には引っ掛かるものがありましたので」
青造さんは前に置かれたきらびやかな座布団に背筋を伸ばして座り、私は近くにあったおざぶを引き寄せた。
殺風景な板の間の周囲にいろいろな雅楽器が置いてある。
「留学帰りでないとコンクールには勝てないものだと仰いました」
「はい。今までの受賞者皆そうなので」
「考え違いです」
「は?」
断言されてムッとした。
――何がわかると言うの?
ピアノで生計を立てることがどれだけ難しいか。賞でも獲らなきゃコンサート・ピアニストにはなれない。ピアノ教室を開く不動産もお金もなければ、たくさんの生徒さんの家を教え廻ってやっと食べていけるかどうかというところ。その焦りをできれば宥めて欲しかったのに。
「留学すれば確かに曲が作られた伝統、文化、背景を肌身で感じられることでしょう。いい先生もたくさんいる。目から鱗が落ちる経験もするだろう。でもそれは近道できるというだけ。楽譜を渡され作曲家の想いを知り咀嚼して、自分らしさを加味して観客に提示する。それはここにいてもできることです」
「理想論ですわ。二十代半ばの、それも自国内だけの人生経験でわかることなんてちっぽけなものです。モーツァルトの前向きさもベートーベンの絶望も、想像するしかないのですから」
「そう、想像するしかないのです。留学してもそれは同じこと。偉大な作曲家たちが遺した楽譜を前に、条件は同じです。落ちたとすれば留学しなかったからではなく、貴女の理解が足らなかったから」
ぐっと言葉に詰まった。
「仰る通りです……」
「私は例えばオーストリア人がふとここにやってきて、琵琶を奏でながら平家物語の無常を唄ってもおかしくないと思っています。諸行無常の儚さ、切なさに共感できるのは日本人とは限らない」
私はハッとして口に手をやった。
「審査員の先生方を信じることです。曲がりなりにも日本最高峰の音楽家が集まるのでしょう? 経歴ではなく貴女の紡ぐ音を聴いてくださるはずです」
そうだったんだ。私は妙に納得した。演奏する前から審査を信じられないと言っていたわけだ。そしてそれを落ちた時の言い訳にしようと。何て卑屈だろう。
「のびのび弾けばいいのです。僕は貴女のショパンに、牧場を跳ねる子羊や木陰に寝そべる羊飼いを見た気がしましたから」
一人称が私から僕に代わりドキッとした。神主として話すときは通常私呼びだったから。恐る恐る目を合わせると、いつも以上に優しく見返されていた。
――もう、ごまかせない。私のこの想いは、恋だ。
神社の隣の母屋のほうに奥様と娘さん、遠くの親戚に預けた息子さんがいる、と聞いていた。行きつく先などない思慕なのに。