欧州へひとっ飛び
スイス、ローザンヌから国際列車、パリから飛行機で東京へ向かっていた。2か月があっという間だった。反面私のお腹はぐんと前に突き出して、客室乗務員さんがシートベルト着用時に様子を見に来てくれるくらいだ。
ピアノ・コンクールで準優勝をもらい、ほとんどその足で渡欧、アルフレッド・コルトンという名ピアニストが遺した音楽学校に行った。夏季休暇中なので授業というわけではなく、教授をしているコルトンの教え子たちに個別に演奏を聴いてもらった。
その合間に、パリやミラノでオペラを観たりリサイタルを聴いたり、ウィーン観光に行くこともできた。
この突然の渡欧は、みなづきさくらさんの鶴の一声だった。
コンクールの閉会後場所を変えて、特別審査員だったさくらさん、青造さん、静香さん4人で話した。
「奈緒子さんにはそれがいいと思うのよ。海外出るなら今すぐ。赤ちゃんが出てくる前がいいわ。たった2カ月でも行ったほうがいい。最初の2週間は私も同行して、コルトンの奥様にご挨拶したいし、お墓にも参りたいの」
日本が輩出したピアニストのトップだと憧れていた女性さくらさんは、とっても気さくで、青造さんの神社関係者っぽい、と心の中で笑ってしまった。
一世代前、戦後すぐにピアノをあれだけ練習できたさくらさんだから、名家の出身ではあるのだろうけれど、どうも青造さんたちの世界には、お金も発言力もある人が多過ぎる。
自分のような一介の貧乏音大生には想像できない。
「審査員の中にはね、奈緒子さんが優勝っていう声も強くあったのよ。でもそうしたらどうしても後藤にはくれないって言うから、ごめんなさいね、準優勝で我慢して。その代わり、ちょっとスイスに行きましょ。技術的なことはもうクリアだから、後は奈緒子さんの音色を創り上げるだけ、作曲家たちが吸った空気を肌で感じるのもいいし、国際舞台で活躍している現役の音楽家に会うのもいいと思う」
アルフレッド・コルトンの名はもちろん知っていたけれど、びっくりしてしまった。留学の振りをするだけだと思っていた。海外旅行もしたことがないのに、身重で飛行機に乗るのも想像がつかなかった。
「でも私、英語も自信がありません、スイスって何語ですか……?」
さくらさんが破顔する。
「あのね、音楽家はね、音楽用語で話すの。イタリア語でしょ、それからオペラとかの歌詞ね、ビゼーは仏語、シューベルトは独語。音として慣れてる筈よ? それでもダメならピアノで話す」
そんな……ムリ、とその時は思ったのだけれど、実際過ごしてみると感覚的にさくらさんの言う通りだった。
結局3年前にコルトンに先立たれた奥様と仲良くなれて、ほとんど寄宿生みたいに過ごさせてもらった。
あの日青造さんは、
「費用は心配しなくていい、後々音楽教室に貢献してもらうから」と微笑んでいた。
「もし急に病院が必要になっても大丈夫。往診も頼めるし、安心して行っておいで」
これも「長慶青造を恋に落とした特典」だったのだろうか?
長いフライト間、青造さんを思った。もちろん欧州滞在中もしょっちゅう彼のことを考えていた。自分のピアノがどう変わったか、成長したかどうかはよくわからない。彼なら聴いて何か感じ取ってくれるだろうか?
スイスで会った先生たちは、「ショパンのメランコリックを表現するのは結構楽かもしれない。ピアニストとしてそれを目指す人は多い。でも、フランスの抒情的な曲も表情豊かに弾けるようになって欲しいんだ。それがアルフレッドのねらいでもあったから」
と話してくれた。
「どこまで楽譜に忠実に弾くか、どこから自分らしさを出すか、そこを見極める滞在にしてごらん」
人脈というものがこれほどものを言うとわかっていなかった。青造さんと知り合い、さくらさん、そして故アルフレッド・コルトン。そしてその先。
ピアノが上手になりたい、それだけで過ごしてきた私の人生は井の中の蛙に陥っていた。ひとりひとり知人が増える度に、自分の世界がぐんっと広がる。それが目に見えるようだった。
海外ではお腹が大きかろうが、子供がいようが関係なさそうだ。年齢がいっても弾き続ける女性ピアニストはたくさんいた。家庭、子育てと両立させる仕組みがある。
「ピアニストだって人間、それが人生でしょ? 恋愛も結婚も出産も失恋も、して当たり前のこと。音楽表現を深めることはあっても、邪魔になるわけがない」
名ピアニストを支えた奥様は、日本はやっぱり東洋の不思議な国だと首を傾げた。
この2か月で変わったことがもうひとつある。
父に彼女ができたのだ。結婚を前提にお付き合い、しているらしい。その女性は加藤の家にもう入り浸っているかもしれない。
一応大きな会社の部長さんだ、生活の心配はない。私がいなくなって、身の周りの世話をしてもらったかなんかでひっついたのだろう。きっと胃袋を掴まれたんだ。
遺言とかで揉めたくないから、生前分与としてかなりの貯金をくれるらしい。
父は私の人生の選択を受け容れてはくれたけれど、どうしても納得はできないのだろう。赤ちゃんが生まれても余り関わりたくはなさそうだ。
私に恩を仇で返されたという感覚は、どこかに残ってしまっているのだろう。
私の中にも、父子家庭でなかったら、もっと早くに再婚してくれていたら、ゆっくりピアノ留学できたかもしれない、というわだかまりはあってしまう。
赤ちゃんが出てきてから、新しい奥様と一緒にいずれ会ってもらうことにしよう。
日本最大のピアノ・コンクール準優勝の加藤奈緒子は欧州留学中。
そう言い切って加藤の家には近寄らない予定だから、もうどうでもいいことだ。万が一ピアノ関係者やクラシック音楽雑誌の記者たちが私の居場所を探ろうとしてもすぐには足がつかないように。
ごく近所の神社に寄宿しているとしても、東京の人混みが誤魔化してくれる。加藤奈緒子なんてありきたりな名前だし、髪型変えて、妊婦で面だちも違えばそうバレるものでもない。
さて、出産予定日まで2カ月切った。青造さんと静香さんの家で出産準備を急ピッチで進めなければ。スイスでは2度の定期検診しか受けていない。
知人に会わずにピアノを弾けるところはあるだろうか?
毎日午前中に3時間、弾き続けるとさくらさんに約束させられた。青造さんのことだ、防音設備の整ったどこかを手配しているに違いない。
そこまで考えてふと思い至る。静香さんのいる家で過ごさなくてもいいのではないか?
小さなマンションでも借りられれば、静香さんの世話にならずに済む。自分のことくらいまだまだ独りでできる。
彼女の笑顔が思い浮かぶ。
「そろそろ臨月でしょ、だめよ、誰かが傍にいないと」
そう言いそうだ。
そして、もしかしたら、2か月私をヨーロッパにやったのは、静香さんの希望だったのかもしれないと思いつく。
私のためでもあり、彼女のためでもある。
静香さんは「駆け込み寺」なんて冗談めかしていたけれど、7月のコンクール後出産予定の11月頭まで、長々と顔を突き合わせておくのは、いくらなんでも非常識。
男の家に正妻と側室。懐妊した側室の面倒を正妻がみるなんて、やっぱりひどい。
――青造さんは女の敵だ。
飛行機は東京羽田空港へ降りて行った。