女の責任?
父の顔から憤怒の相が消えない。
「おまえの宗教団体だろう?」
「潰せるものなら潰してしまいたいと生まれてこの方思っているのですが、そうもいかない。ただ新しい命のために安定した生活を用意するには役に立ちそうだ」
「何とでも言え。さっき、二年後なら死んでいいと言ったな。二年後なら奈緒子と結婚できるのか?」
「奈緒子さんが求めてくだされば」
「奥様は?!」
私はつい声を上げた。
「静香はそうなったら、京都に帰って娘と暮らすそうだ」
青造さんは正座から私を見上げてうっすら微笑む。
「それで……いいのですか?」
「それでいいかどうか決めるのは奈緒子のほうだよ」
父が私たちの会話を掻き消すように声を上げる。
「それで生活の目処はたつのか? 奈緒子と子供を養えるのか?」
「わかりません。2年後の私は40歳無職、特技は雅楽と日舞ですが、いずれも同門の者から封じられます」
「封じるとは?」
「門外不出の部分があるので、二度と演奏も踊ることもできなくなります。新しい日舞の派を創ることくらい許されるかと思ったのですが、除名者にはそれもだめで。過去には、指を何本か詰めさせらた記録がありました」
「指を、詰める?」
「ええ、右中指、左人差し指」
青造さんはそこで私を再度見上げた。
「それでも欲しがってもらえるだろうか?」
私はその恐ろしさに身震いした。自分がピアニストだから感じる、自分が自分でなくなってしまう恐怖。指を……損なう。
「では、筝も笛も琵琶も……」
「ああ、弾けない。一番の問題は舞のほうなんだ。うちのお神楽舞には指で作る印があって、それぞれに意味も力も込められている。言葉になっていると思ってくれたらいい。部外者、敵がそれをできては困る。忘れると言っても身体から抜けるものでもないしね……」
「何ができなくとも何とか養うのが男だろう?」
「はい。人前に出る営業職や接客業では指がないと嫌われるかもしれませんし、力仕事にも限界があるでしょうけれど、何かできることを探します。奈緒子さんが一緒に苦労してくれるのなら」
そう父に言ってから私に、
「作曲はできると思うんだ。後藤が使ってくれるといいんだが、彼らはうちの分家の一種だから、縁を切られてしまう可能性はある。まあ余りお金にはならない。後藤と全く無関係の雅楽演奏者はちょっといないからね。本でも出せるといいんだけれど」
と微笑んだ。
「そんな夢のようなことを言って、指を詰めるのが恐いから神社を続け、奈緒子を未婚の母にしたいんだろう?」
「そう取られてもしかたないですね。このことを言ったら奈緒子さんの選択を左右してしまうとわかっていましたから。でも指の欠けた夫でもいいかどうかは聞いておいたほうがいいとも思いますし」
そう言いながら実は自分の指のことは気にしてなさそうなのが青造さんの恐いところだ。「未婚では産みません」と言ったら、「じゃ、指落としますね」と笑いそうだ。
自分の子供の命と自分の指。音楽家、舞踏家としての活動ができなくなること、彼にとっては子供が一番大切に聞こえる。
「おまえは……卑怯だ」
「はい。手段を選んでいられません」
「未婚の母になるということは、普通の女の幸せを投げ出すことなんだぞ? 結婚はできなくなる。そんなことをさせていいと思うのか?」
「私は奈緒子さんが好きなんです。他の男と結婚してほしくなどありません」
「狂ってる。おまえ、ほんと、狂ってるよ……」
「奈緒子さんが一生私を好きでいてくれて、結婚しないでくれるのなら嬉しいくらいです」
「欲張りです、あなたには奥様がいて、私には……何もない……」
私がやっと口を挟むと「何もない? 僕の心奪っといて?」と呟いた。
そして顔を上げると、青造さんは、
「奈緒子さんが私を嫌えばいいことです。嫌いな男の子供など、始末してしまえばいい。そして全て忘れることです。それができないなら、私は奈緒子さんにも責任を取ってほしい」
と強い目で私を見つめた。
「せ、責任って、何の責任だ……?」
父が私に変わって尋ねる。
「私を好きになった責任です」
沈黙が丸々1分間は続いたと思う。私は自分に何を求められているのかわからなかった。青造さんを好きになってはいけなかった。責任を取るということは悪いことをしたということだ。私は何の責任をどう取るの?
「普通、責任を取るのは男じゃないか……」
どこから出てきたのかわからないような、か細い父の声が聞こえた。
「なぜですか? 女は弱者だから? 生活能力が無いから? それとも馬鹿だからですか?」
「な、何を言っているんだ?」
「加藤さんは私を通り魔のようだと仰いました。私だって通りすがりの若い女性に手当たり次第手を出すわけではありません」
「私が青造さんに恋をしたから……いけないんですよね?」
返ってきた言葉は予想外で、青造さんは深い悲しい瞳をしていた。
「私を恋に落とすほど自分が並外れていることを、自覚してほしい……」
「なみ……はずれてる?」
「静香がいても僕は君から目を離せなかった。君は僕がひれ伏す相手だ」
ぼっと赤くなってしまった。急にふたりで話すときの君僕呼びにして、私だけへの言葉に変えた。
「ひれ伏すのは敬愛だろう? 躰が入る関係じゃない」
「はい、躰の関係にしてしまったのは私の落ち度です。その責任は取ります」
「それが普通、奈緒子と結婚することだと言っている……」
「ええ、ですからそれを奈緒子さんが望むのかとお伺いしています」
「え、私……」
「私は私の責任を取ります。未婚でも産んでくれるなら子供と奈緒子さんに苦労はさせません。結婚を望まれるのでしたら、奈緒子さんにも一緒に苦労してもらうことになります。その覚悟はありますか?」
私が答えられないからまた沈黙になる。青造さんはお父さんに謝りに来たんじゃない。私を追い詰めに来たらしい。
「産まなければいい。奈緒子、諦めろ」
「産まなければ傷つくのは奈緒子さんだけです。私の人生は何も変わらない。何の責任も取ったことにならない。それこそただの通り魔、強姦と一緒です。だから訊いている、貴女は本当に私を好きなのですか?」
手から指から血が引いていく。強姦かどうか昨日お社で確認された。本当に自分を求めてくれたのかと問い質した。
「子供ができたら怖気づくほど軽い気持ちしか持っていないのか? 好きだと、欲しいと思ってくれたのはその程度か?」と青造さんの心の声が聞こえる。




