子供の歳を数える親
話はそう簡単じゃない、私の本心がざわついた。
「結婚していないのに子供がいるってやはり後ろめたいです……」
「手術を受けても、君は後ろめたく思うだろうよ」
「え?」
「手術を受けたら元に戻せると思っているかもしれないが、元にはもう戻らないんだ……」
「後遺症ってことですか?」
「いや、身体というより精神的ダメージ」
青造さんが心配そうに私を見ている。
「君は堕ろした子供のことを一生忘れない。死んだ子の歳を数えるというだろう? それより哀しい。自分が殺した子供だから。命日を決めるのは君だ。男を憎めたらまだいい、気持ちの無い相手ならまだ楽だ。でも一瞬でも本気で好きだった男が父親だったら……?」
神主として鍛えられた青造さんの言葉は悔しいことに心に沁み込む。
「同じ歳を数えるなら健やかな成長を祝った方が余程いいと思わないか?」
「君は悲愴な決意で手術台に上がる。後ろめたい疾しい思いは拭い去れない。僕は産婦人科までは行けても枕元で手を握ってやることもできない。君はたった独りで堪え忍んで、口をつぐんで無かったことにして、生きていくつもりかい?」
区切り区切り続けられる彼の言葉が、水甕に沈む小石のようにひとつひとつ私の底に溜まっていく。
「僕は産婦人科の待合室で泣いていればいいのか? 僕がしでかしたことなのに、傷つくのは君の身体と心。それでいいのか? 慰謝料渡して君の将来の手助けをすると約せばそれですませられることなのか?」
「同じく病院に行くのでも、自然に逆らって中絶するより、月満ちて命を生み出す方がいい。それは妊娠中の大変さを知らない男の勝手な気持ちだろうとは思う。でも普通の分娩でさえ静香のようにどんな危険があるかわからないんだ、もし君の身に何かあったら僕は今度こそ気が狂う……」
「僕は君が手術を選ぶなら責めはしないが、歓迎もできない。事後は今以上に自責の念にかられ君の顔を見ても悲しいばかり、生まれていたはずの子供の歳を数えながら、遠くから君を応援するだけだ。二度と会うことはなくなるだろう。僕は君の人生に関わりたいのに。僕に繋ぎ止めたくてあんなことをしてしまったというのに、全く反対の結果しか呼ばない」
「夫にならないのが悪いと言われればその通りだ。悪いのは君じゃない、君じゃない……」
青造さんは頭を抱えて前にのめった。
「青造さんもこの子の歳を数えますか?」
「もちろん」
「産んでも産まなくても?」
「産んでも産まなくても、生きても死んでも、どんな苦労を抱えて生まれようと、五体満足で無かろうと」
「わかりました……」
私が結論を言おうとしたらまた遮られた。
「もうひとつ、言っておかなくてはならない。僕は認知するつもりがない」
「うそ……」
言葉を失った。自分の子供だから産んでくれと言う同じ口から、父親にはなれないと言ったのか。私にはふしだらな女だと世に晒せといい、自分の不義密通は隠すと言ったのか?
今度は私が床に突っ伏す番だった。
「一緒に苦労してくださるんじゃ……」
「僕の戸籍には入れない。君の加藤の名字を名乗ってもらう」
「父親の名も空欄……?」
青造さんが唾を飲み込む音がした。唇を噛んだまま
「そう……なるね……」
と低く発音した。
「なぜ?」
「僕の子供、もし息子だと無理矢理神官にならされるからだよ……」
「今の世の中、そんなバカな……」
「そんなバカな世界なんだ、僕の周りは。長女は分家神官の妻になる予定。長男は宗家神官、僕の後を継いで一族を守る役。そのせいで9歳から遠くの親戚に修業に出ている。会えるのは年に二度、祭儀の時だけだ」
宗教の話なんて聞きたくない、それが本心だった。でも青造さんが続ける。
「僕の名字長慶は元は長慶院といって、平安から続く楽師であり神官なんだ。日本に長慶家はうちだけ。長慶の子にしたら教団から抜けられない」
「それはそちらの神社のご都合であって、父親の責任とは関係ないと思います」
「その通りだ……」
沈黙が社の中に広がっていく。こんな分の悪い状況で、悩むも何もない。生まれた子が幸せなわけない。生まれないほうがきっと幸せだ。そう私が信じればいい。
「ごめんね、どう考えても生まれたら不幸になるよ」と実感して絶望して「私が一生憶えていてあげるから許してね」と謝って、闇に葬ればいい。
青造さんの呟きは私にというより自分に言い聞かせているように聞こえてくる。
「父親の責任を放棄するつもりはない。養育費はもちろん生まれるまでも奈緒子の世話は焼くし、ピアノの先生でもピアニストでも好きなだけやれるように協力する。静香が言うように『訳ありの信者さんの子供』ということにすれば育児全部うちでみてもいい。君と子供に生活の心配はさせない。言いたくはないがもし君が新しい恋をして誰かと結婚するなら、それも受け入れる。それでも……君との子供は残る……」
わからなかった。いないほうがいい。赤ちゃん消してしまった方が青造さんの人生よっぽど楽だ。
「失敗しちゃった、ヘンなひと好きになっちゃったわ」と私が肩を竦めて、この場を歩き去ればいい。殺した子の歳を数えたっていい。自分が求めてしてしまったことなのだから。
それをなぜ目の前の人は懸命に引き止めようとしているのだろう?
「なぜ……そんなに拘るのですか? 赤ちゃん、そんなに欲しいですか?」
「ああ、欲しい」
青造さんの顔が涙を堪えて歪んだ。
「奈緒子の子供だよ? 可愛いに決まってるじゃないか……」
開き気味の正座に戻り姿勢よく座っていた人が泣き崩れた。
「た、のむから……殺さないで、僕を……欠片でも好きだと、思って、くれたなら……、何とか生かす……方向で、考えて……。こんなこと、二度とない、もう二度と……僕は君に……触れるわけに、いかない。あの一瞬に……僕の想い、全てを……注いで……得られたもの、だから……」
「泣き落とし、ですか。青造さん、泣き虫ですね……」
大の男の肩がヒクンヒクンとしゃくりあげる。返答はなかった。
「考えさせてください。今日は自分の家に帰ります。父に聞きたいこともあるので……」
うずくまったままの青造さんを残して私は社を後にした。