アンドロイドは働かない
「アラタ様、そこの窓際、埃が残っています。埃センサーに反応がありました」
「あ、はいはい。ここ?」
「違います。もう少し右です」
「あ、ここね……ってホント少しだな。ごめんよアン」
今日も僕はメイド型アンドロイドのアンに言われるがまま、家事をこなす。
二十五歳の僕にとって、アンは五歳のときから一緒なので、もはや家族同然だ。
「アラタ様、そろそろお昼のお食事を作り始めなければいけません」
「あ、もうこんな時間? 面倒だなぁ」
「いけません」
「カップラーメンじゃダメ?」
「いけません。本日の献立はトマトソースのパスタ、わかめの中華風スープを推奨いたします」
「はーい。わかりました」
アンが全ての指示を、ソファーで座ったまましてくれる。
まあ、アンとの付き合いも長いしね。
「でもホント、アンとの付き合いも長くなってきたよね」
「どうされました? 突然に」
金髪で日本人顔というアンバランスな容姿はメイド服に包まれており、パッと見じゃ人間と区別がつかない。
だけど彼女は間違いなくアンドロイドであり、球体関節を利用した可動域の広さが自慢である。
「ソーディー社の初期型だしね」
「初期型どころか、試作初号機です」
「コストかけ過ぎたかもね」
まだ父も母も存命だった頃、父の経営していた会社で作られた初の稼働モデルだった。
あらゆるところでお披露目が終わった後、行き場を無くした彼女は、我が家にやってきた。
もう二十年も前のことだ。
「お喋りは終わりにして、アラタ様はお食事の準備をされるべきです」
「そうだね。わかったよ」
「私はずっと、ここから見ておりますので」
トマトソースのパスタ自体は好物だ。
母が存命だったときに、母がアンに手伝って貰いながら、よく作ってくれた。
懐かしい思い出だ。
パスタを茹で、ソースを作っていく。
振り向けば、アンは笑顔を浮かべたまま、僕を見ていた。
「どうされました?」
「いや、何でもないよ」
アンはソファーに座り見ているだけ。
換気扇の音と料理の音。その中に僅かながら、アンの鼻歌が聞こえる。
「アン、歌ってるの?」
僕は振り返らずに訪ねる。
しかし返答はない。ただ、鼻歌が聞こえてくるだけだ。
五歳の僕をあやすために、母が歌った歌だ。アンが録音していたらしい。
本当に穏やかな時間だ。
日頃の喧噪も忘れ、ゆっくりと時計の針が回っていく。
手際よく、言われた通りの昼食を作り上げていった。
「そういえばアンが来たとき、僕はお姉ちゃんができたって喜んだんだよね」
トマトソースを煮詰めながら、隣のコンロのパスタを見る。
「父さんも母さんも忙しくて。五歳だから仕方なかったけどさ-」
パスタを一本だけトングで取り出し、先を歯で加える。
良い茹で具合だ。
「あれからずっと、一緒だったねー。学校から帰れば、アンがいてさー」
お湯を切り、パスタを皿に載せる。
煮詰めたソースに砕いたバジルを散らし、湯気を上げるパスタを赤く染めていく。
「ずっと幸せだったなぁ。さあ、できた」
作ったお皿は一つだけ。
食事をするのも僕だけ。
振り向けば、アンはソファーに座ったまま、僕を見つめている。
「あ、忘れてた。中華スープはインスタントで良いかな」
もう返事はない。
アンドロイドは、もう働かないのだ。
「ずっと一緒だったねー今まで」
テーブルの上に皿を置き、カップにインスタントのスープを入れ、ポットからお湯を入れる。
フォークを置いて、ソファーのアンから見える位置に腰掛けた。
手を合わせ、
「アン、ありがとう。いただきます」
と、料理を作ってもいないアンにお礼を言う。
赤いソースと絡まるパスタに、フォークを入れて巻き上げる。
(ああアラタ様、お口にそんなにソースをつけて)
幻聴でも嬉しいのだ。
僕らはずっと一緒だったから。
数日前、アンは言った。
「自己診断プログラムの走査の結果、もう働くことはできません」
「そうかぁ」
「無理をすれば、あと一日ぐらいは、アラタ様のお世話ができます」
「別にいいよ。働かなくても」
「でもアラタ様」
「なんだい?」
「あと少し、あと少しだけ、アラタ様を見ていたいと、思ってしまったのです。ですから、このソファーから、できる限り、アラタ様を見させてください」
だからアンドロイドのアンは、もう働かない。
ソファーに座って指示を出すだけだった。
そんな穏やかな十一月の日曜日。
二十年の間、苦楽を共にしたアンは、狭い僕の部屋のソファーで眠りについた。
少しだけ塩気を足してしまったパスタを食べ続ける。
僕は彼女に心配をかけないよう、いつも通りの日常を送らなければならないんだ。
彼女に心があるかなんて僕にはわからない。
でも、僕が彼女に心を通わせたことだけは、事実だった。
(ありがとう、私の弟君。どうかお元気で)