プロローグ 『異端なる日々』
「ゼスー! ちょっとー!」
俺は呼び声に応えて渋々腰を上げた。この、耳に心地よい女性の声が、俺に面倒なことを押し付けてくるときの声であることを知っているためだ。だが渋々とはいえ、その気持ちに少しも喜びがないかと言うと、それはまた違う。
「これ、重いから運ぶの手伝って」
「……はぁ」
部屋のドアを開ければ、そこにいたのは金色の髪をおさげにした、小柄すぎる少女が立っていた。その凶暴な性格に目をつむれば、見た目だけは可愛らしい少女だ。少女の名をアウラといい、この部屋にいる人間の中では、常識が『ある』側の人間である。アウラが示す『これ』――大量の剣が刺さったタルを見て、俺は顎に手を当てた。
「――これは……青ひげ危機一髪?」
「ちげーよ」
アウラは可愛らしい声を一転させ、ドスの効いた声でツッコミを入れた。確かに、巷で流行っている『青ひげ危機一髪』というゲームは、タルにおもちゃの剣を順番に突き入れていき、青ひげなる人物が飛び出して来たら刺した人が負け、もしくは罰ゲームというゲームだ。だがそれに、本物の木樽と金属の剣を使うとは聞いていない。じゃあこれはいったいなんだ。
「んーそれは私が使うの~」
「え″ッ、ノカ先輩が使うんですか!?」
「何か不満でもあるの~?」
のんびりとした口調で喋りながら姿を現したのは、ふくよかなボディを窮屈そうに制服に収めた女性だ。俺の1つ年上だが、大人顔負けのプロポーションを誇っている。特に胸とか。
「ノカ先輩、これをどうやって使うつもりなんですか?」
「私が入って~ゼス君が刺すでしょ? で、血塗れの私が――」
「なしですね」
「酷ーい」
クスクスと笑うノカ先輩だが、冗談ではない。いくら治るとは言っても、そんなことをすれば俺の評判が下がる。もう結構低いけど。
「はあ。先輩もあまりゼスさんをからかわないでください」
あきれたようにノカ先輩を窘めたのは、俺の後輩である女性だ。栗色の髪を短く切りそろえ、純真そうなつぶらな瞳で俺を見つめている。見てくれだけはいいが、こいつは――
「――そんな遠回しな方法で貶めなくても、こいつには裸で廊下を走ってもらえばいいんですよ」
「そんな話はしていない!」
――隙あらば俺を貶めようとする女だ。先輩であるはずの俺に、敬意の欠片も抱いていない。
「お前、俺は先輩だぞ? もうちょっと敬えよははは」
「ははは、敬ってますよ。ただ、ゼス先輩が楽しそうだとイライラするので、もっと酷い目に遭わせたいなって思ってるだけですよははは」
「ははは、こいつぅ~」
頭をぐりぐりしてやろうと手を伸ばすが、寸前で手首を掴まれる。お互いににこやかな笑みを浮かべているが、プルプルと震える両手には本気の力が籠もっている。くそっ、力強いなこいつ。
「せいっ」
「いてっ!?」
後輩の少女――名前をリリシャと言うのだが、リリシャと力比べをしていた俺のひざ裏を、的確な蹴りが襲った。力が抜けて地面に崩れ落ちた俺を、リリシャが見下ろして鼻で笑う。この野郎。
「とっとと運んでくれるかな、ゼス」
俺のひざ裏に蹴りを入れた金髪の少女アウラは、ひらひらと手を振りながら剣が十数本突き刺さった樽を示す。だいたい、これをどこに運べというのか。
「……ていうかこの剣、どこから持ってきたんだ?」
見た感じ何の変哲もない直剣だが、武器は値が張るものだ。これだけの剣を用意するとなると、それだけでひと財産のはず。俺の疑問の目に、にっこりと笑ってリリシャが答える。
「武器庫」
「犯罪だよ馬鹿野郎!?」
「だからバレないうちに返しておいて!」
「てめーも来い!」
俺一人だけでこれを運べば、武器庫から剣を盗み出した犯人を俺にされる危険性がある。ただでさえ胡散臭い奴扱いされてるのに。
「あ、ナナっちがボード出してるよ」
『早く行けこの馬鹿ども』と、辛辣な文字が書かれたボードを掲げるのは、眼鏡をかけた黒い長髪の女性だ。どこか歪な笑みを見せ、ナナっちと呼ばれた女性は目線を本に落とす。
「ナナっちにも怒られちゃったし、行きますか」
「ていうかお前1人で行けよ。なんで俺が行かなきゃいけないんだよ」
「だってそれ重いんだもん。ナナっちも馬鹿どもって言ってるし2人で行こうよ」
――ここは、クローディア学院。この国の未来を担う、“異能”を持つ人材を管理、教育する施設。
「ねー見て見て! 指が無くなっちゃった!」
「何切り落としてんですか、ノカ改めバカ先輩。見た目グロいんで見せないでください」
「ゼス先輩、行きますよー! ノカ先輩の自傷ネタなんてもう見飽きたでしょー!」
「あっ、ほらナナが怒ったぞ。えーと、『全員出ていけ』って書いてあるな。……え、私もか?」
――そんなクローディア学院の有望な生徒たちに、嫌悪と畏怖の感情をこめて噂される教室がある。
『文言奏者』、ナナリール。
『不死姫』、ノカ・リベリア。
『雷狼』、アウラ。
『影泳者』、リリシャ。
そして『雑用係』、ゼス。
様々な理由で疎まれている彼らは、それぞれの理由で1つの教室に集まった。居場所を求める彼らは、年長者であり貴族でもあるノカ・リベリアの声掛けによって、校舎の端にある、この薄暗い部屋に集まったのだ。
――さあ、物語を始めよう。
異端である彼らが紡ぎ出す、鮮烈なる生の物語を。