しかし、夏蝉は鳴りやまない
昼の十一時過ぎ、公園の木々の下でくつろぐ。この高揚感をどう表せばいいのだろうか
夏にできるちょっとしたオアシス。秒単位で過ぎ去る時間の休憩場。人口
樹林でできた自然のきせき。神々が作った云々…
「…」
いやはや、夏の昼になるとどうしても、何でもないものにしみじみと浸ってしまう
とくに学生少女である私には膨大な時間がある。無論、部活やほかの習い事等々をやっていれば、きっと華やかな時間を過ごしていたことだろう
「いや、それはないかなぁ」
世の中には自分でできることと、想像でできることがある。想像の私は私が考える以上に立派で偉大で賢明だ
「そしてそれは自分語りでもあるんだけどねぇ」
そう自分の言う通り。自分を語らなければ、世界は語れないのだ
おもむろに下に目をやると、一匹、種類がわからない蝉が死んでいるように見えた。『ように』とはその蝉が本当に死んでいるかどうかが全く分からないからだ。なんせ彼らの目は私のように閉じないし、心臓や肺は小さすぎて確認することも難しい。なので、彼は死んではおらず、地面に倒れて(それだけでも彼にとっては致命傷だろう)いるだけかもしれない
さて、死んでいるかどうかはこの際、隅に置き私は彼をどうするべきであろうか。私には彼を救う術がなければ、すべき行為もない。慈悲をかけるにしても、塩をかけるぐらいだろう。いや、ここは自然の摂理に従い、彼を自然に帰せる場所(例えばこの木の下とか)に移動させ、手を近くに水道水で洗えばいいではないか ぐしゃっ
悲鳴のような音が聞こえたので見ると、蝉は革の靴に変わっていた
実際には革靴が蝉の上に乗っているのだが、私は特に驚くことはなかったが、革靴の持ち主は大層驚いたようで体操競技の素人ように後ずさりした
顔を見ると心底信じられないといった顔をしていたが、口は何かを理解しようとしているようだった
私の終わることのない一つの思想は彼の華麗な死相によって、決着がついた
しばらくの沈黙の後、「これは何なんだ?」と革靴の持ち主は言った
これとは恐らく蝉のことだろう。だがなぜわからないのだろうか?
っと、よく見ると蝉だった彼は原型が考えられないほど、見るも無残な虫になっていた
「彼は蝉よ。種類はわからないけど」革靴の持ち主は少し歪な顔をした
革靴の持ち主を見るとどうやら私と同じ学生のようで違いと言えば、私の学校の学生ではない(制服が違うため)ことと、男性であることぐらいだろうか
学生は彼に乗せた革靴をコンクリートの地面にこすりつけるといきなり「可愛い女の子を見なかったか?」と問いただした
学生は夏に関わらず大量の汗と荒い息をしていた。どうやらこの場所に来るまでに走ってきたようだ
学生の問に対して私は何も考えず
「可愛い女の子は見ていないけど、目の前にはいるわ」と答えた
その答えに対して学生はため息のような、深呼吸のような、息遣いをすると後悔と落ち着きを取り戻した顔で私にこう言った
「いきなりでごめん。でも…」今度は呼吸ゆっくりしたあと、再び口を開いた
「でも、あんたに会えば恐らくこのもやもやが消えると思ってここまで走ってきたんだ」
私としてはおやおやな気分だが、なぜ
「なぜ私がここに居るとわかったの?」
それを聞くなり学生は下を見て考え込んでいる。丁度その目線には彼の死体があった
「あんたは俺に会ったことはないか?俺はあんたに会ったことがある気がするんだ。ここの場所も、ここに来るまでの道も、全部来たことも見たこともないはずなのに、なぜかここまで迷うことなくすんなり来たんだ。なあ、あんたは俺のこと何か知っているか?」
私は学生の話を聞いたあと、学生を見たがやはり思い出すことも想い出すこともできず私と学生は少しの沈黙が続き、私はこんなにも、もくもくと静寂を長引かせるわけにはいけないと考え、疑問に思うことを聞いてみることにした
「なぜあなたはさっき『可愛い女の子を見なかったか』って聞いてきたの?」
「それはあんたが俺に言ったんだ。あんたとの会話で唯一覚えている言葉だ。だから聞いたら思い出すと思って聞いたんだ」
それからまた沈黙が続いた。また学生は私のほうの回答を期待しているようだった
しかし、しかし今日は実に静かだ。このあたりの人通りの低さもあるが、それよりも蝉の鳴き声がないのが耳には名残惜しいのかもしれない。さっきの彼はこの地域最後の蝉だったのかもしれない
「わかった。きっと私、『可愛い女の子を見なかったか?』じゃなくて『川井小野子を見なかった?』ってあなたに聞いたんじゃない?」
因みにそんな名前を私は耳にした覚えはまるっきりない。しかし、しかし言葉にする前の私はまるで名探偵のように言ったのだった
「んぅ~その可能性は…」ない、と最後は自身のないように答えた
「大丈夫、大丈夫、川井小野子さんを見つければきっと問題の糸口と意図がわかるよ」
と言って一緒に行こうとしたが学生に止められた
「待ってくれっ!そもそもあんたに会ったのは一度や二度じゃない何度もだ!何度もあんたには会ったんだっ!それで、それでっ!ああっ、そうだ、思い出した!あんたはすぐとんちんかんなことを意味もなく言う女だった!そしてっっ……!」
「そして?」
私には何を思い出しかは全くの理解できないが、ここまでの件にようやく甲斐ができて、素直な嬉しさがこみ上げてきた。もう憂いなしである
しかし、しかし。悲しいかな。
学生が何かを発する前に、言う前に、口にする前に、喋る前に
倒れてしまった。
私には何が起こったかが分からず、ただ目下には学生が力なく、人形のように、蝉のようにコンクリートに横たわっていた
続いて、学生は息をしており、生きていることがわかり、蝉のように死んだか生きているのかをまた考えなくいいと思い、少し安堵する
さて、私は学生をどうするべきであろうか。私には学生を救う術がなければ、すべき行為もない。慈悲をかけるにしても、水をかけるぐらいだろ
そう水である。近くに水道水があるが、学生自ら行かせるわけにはいかないので、自分ですくいにいくことにした。が、が残念ことに水をすくうものが手もとに存在しない
「んー。手ですくうにしても雀の涙程度だよねぇ。鬼の涙ほど欲しいんだけどなぁ」
チラリっと横目で見るとそこには底がある空き缶が投げやりに投げ捨てられていた。おお、これで水と学生をすくうことができそうだ
利口な糸口を見つけた自分に拍手喝采を贈りつつ、遅れた水を学生に届けるのだった
「さあ、水ですよ。飲めば助かるかも。助からないかも?」
息も絶え絶えの学生の身体を起こすのだが、雨に打たれたようにぐっしょり濡れており、よく見るとコンクリートには頭を打ったのか血痕が飛び散っており、学生の命は今にも散りそうだった
「ぁー…あん、た…はー…」
学生は絞り出すように声を発した
私はそれを聞いた瞬間、おおっと歓喜の声を絞り出さないで声に出した
しかし。しかし学生はそれ以上発することができないようで口元に水の入った空き缶を持っていくと学生は死ぬ物狂いで水を飲んだ
そして、はいた。
息でも、声でも、なく胃物を、吐いた
私は空き缶に何らかの菌が紛れ込んだと思ったが、どうやら水を一気に飲み過ぎたようだ。学生は顔を赫色から土色にさせながら、まだなにかを発しようとしている
「…あぁー…」
そういえば、と学生の声なき声、音なき音を聞きながら、なぜだろうと感じた
「…はぁーぁ…」
なぜ自分はこの場にいるのだろう、と
「…た、たぁ…いむ、、、る…ぅー…ぷ…」
ふと、私は誰かを待っていたこと、と誰を待っているかをようやく思い起こす
「ー…してー…」
そうだ私は同級生をお茶会に誘おうとしてここで待っていたのだ
「ねえ、可哀想な女の子を見なかった?」
学生はそれ以上なにも口にはしなかった
私はそのあと、自分のしなければならないことを思い立ったが、学生を放置する、という方法はどうも自分の法則に反するため、学生が持っていた携帯の通信機器(私はこのような類のものは懐中していない)に学生の危機を伝えると、私はお茶会に向かうことにした
お茶会に向かう途中、可哀想な女の子こと私の同級生に出会ったのであった
「むめいちゃん、こんちはー」と言いながら振る指はすべてあらぬ方向曲がっていた
私は同じように指を振り「おはよー」と答えた。
「おはよう?!むめいちゃんもしかして今起きたばっかり?」と驚いた顔で片目(もう片目は潰れている)を見開いていた
「あなたはいつ頃起きた?」
「日が昇る前だったと思う。その時間疼くから」ここが、とない目ほうを曲がった指で指す
「私は日が昇りきった後だから…」
「ああ!だから『お早う』か!」と満足の笑みで言う
でも、と付け足す
「どうして私がむめいちゃんより早く起きたって知ってるの?」
「簡単なことよ。あなたが私より早く寝たからよ」というと、なるほど、と華々しい笑顔で納得をしてくれた。でたらめだが
それよりも
「そんなことより、これからお茶会なの。一緒にいかない?」
私としてはこの娘がいないお茶会とは、座る椅子がないようなものだ
「えぇ~いいの?でも、悪いよ。私ほかの人と違って上品でもなければ、ジョークもうまくないよ?」
上品さがなくても、聞く人はいたほうがいい
「いいの。私、仲のいい友達としかお茶会しないし」
「ありがとう。でもー…」と引きずった脚を見る
「アキレス腱を切っちゃってー…」
指が曲がっていない方の手(ちなみに人差し指はない)には松葉杖が握られている。椅子の脚は悪くても別に構わない
「構わないわ。ゆっくり、まったり、喋りながら行きましょ」
「そうだね!」
もうすぐ夏が終わる
昼の昼前、公園の木々の下でくつろぐ。このさわやかな気分をどう表せばいいのだろうか
夏にできるちょっとした楽園。時間を感じないくつろぎの場。人の手でできた人工のきせき。女神が作った云々…
「…」
いやはや、夏の昼になるとどうしても、何でもないものに津々浦々としてしまう
とくに女子学生である私には夏休みがある。無論、ボランティアやほかのアルバイト等々をやっていれば、素晴らしい時間を過ごしていたことだろう
「いや、それはないかなぁ」
世の中には自分でできることと、想像でできることがある。想像の私は私が考える以上に立派で偉大で賢明だ
「そしてそれは自分語りでもあるんだけどねぇ」
そう自分の言う通り。自分を語らなければ、世界は語れないのだ
おもむろに下に目をやると、何もなくコンクリートだけがあった
するとコンクリートに革靴が乗る
上を見上げると革靴の持ち主がいた
「可愛い女の子を知らないか?」
しかし、夏蝉は鳴りやまない
※無名に携わるすべての人物、団体名はフィクションであり、実在とは関係がございません