その2
物語の中に出てくる登場人物の名前を間違えて覚えてしまうことはよくあることだ。かくいう私もよく知人の名前を間違える。つまりここは物語の世界なのだ。
あながち間違ってはいないが、しかし痛い子であることには間違いない。今日もアンリスは絶好調である。
「口に出てたわよ」
「った。いきなり何をするんだ。ミートソーススパゲティならお断りだ」
後ろから同僚に頭を叩かれてこの反応である。新しいどころではない。人類、いや全種族にとって早すぎるのだ。
同僚は隣の椅子に座った。
「それで、私の名前は覚えているかしら」
「………………ザックス」
「それどう聞いても男の名前よ。期待してないとはいえ、もうちょっと考えようよ」
これでも考えたほうなのだ。ミートソーススパゲティから、まるで蝶の起こしたそよ風がいつか嵐を巻き起こすようにザックスにいたった。
「過程を誉めてくれるなら、いい」
「いや、知らないし」
「お父さんは亡くなっていませんね」
「いや、前それ話したよね」
問答は続くよどこまでも。
「野を越え山越え、谷越えて。ウサギは本当に美味しいのだろうか」
小鮒は釣られたのだ。
同僚は教授のような人が置いていった本の返却手続きを行っていた。10冊。凄い量であるが作業は一瞬だ。
「あの、これ借りたいんですが」
「はいはい、利用カードはお持ちですか?」
再びいつも通りの日常が戻ってきた。
最初からずっと日常だが。
名前はシンボルである。であるならば特定の呼び方をする必要は無いのではないだろうか。グルーブリーン語のような話とは違うが、まあ実験体を番号で呼ぶようなものだろう。
何を言っているかというと、登場人物の名前は読者が充分に人物との対応付けが出来ているのならば、どんなものでも問題はない。そういうことだ。
「つまり私の名前がザックスでもアンリスには問題ない、と」
「理解力があって助かるよ」
「どこの二流の悪役よ。っていうか私の名前、思い出す気があるのか、甚だ心配になってきた」
「大丈夫だ、問題ない」
「大丈夫って一番不安になる返事よね」
企画書、〆切までに終わる? 大丈夫です、終わらせます。そして〆切一時間前になって慌てて作り、誤字脱字はもちろん、計算間違いに図の間違い、印刷数の不足にインク切れ、ステイプラーの針が無くなり、やっと出来上がった頃には会議は終わっていた。
酷い話である。
ちなみに同僚の名前はベルヌーイだ。忘れるわけがない。
「違うから」
酷い話である。