10 パレード
「お兄ちゃん、私もパレード見に行くから」
突然美月が言い出したのは、パレード前日の朝食時だった。進は口に含んでいたお茶を思わず吹き出しそうになる。
「はぁ!? 東京だぞ? 美月、わかってて言ってるのか?」
東京はただでさえ治安が悪いのに、パレードはテロリストに狙われる危険性がある。そんなところに美月を行かせるわけにはいかない。
進はそう主張したが、美月は一蹴した。
「何言ってんの。パレードに参加するお兄ちゃんが一番危ないに決まってるじゃない」
「いや、そりゃそうだけど……」
そこを指摘されるとぐうの音も出ないが、進は反論を試みる。
「でも俺には、力がある。自分の身くらいは充分に守れる力がな」
エレナに選んでもらったグロック17は特訓の成果もあって使いこなせるようになってきたし、当日はアメリカ軍から短機関銃も貸与される予定だ。そして何より、進の手には〈プロトノーヴァ〉の指輪があった。〈プロトノーヴァ〉さえ出せばたとえ相手がGDを使ってきたとしても、対抗することができる。
美月の対応は冷ややかなものだ。
「じゃあその力で私も守ればいいじゃん」
「そういう問題じゃなくてだな……」
「止めても無駄だよ。自分で東京まで行くから。じゃ、私は学校行くからお兄ちゃんはお仕事がんばってね」
「おい、待てよ……!」
美月は一方的に話を打ち切り、席を立ってしまう。憮然とした表情を浮かべる進だけが部屋に残された。
今日の進は学校を休んでパレードの打ち合わせに出席し、そのまま帰宅することなく東京に向かう予定だ。美月を追いかけることはできない。
エレナに美月と一緒にいてもらうのも不可能だった。明日のエレナは重要な試験飛行がある。エレナは明日から三日ほど、基地に泊まって試験を行う予定だった。美月のために軍務を拒否させるわけにはいかない。
「今さら反抗期なのかな……?」
進はブツブツと独り言をつぶやきつつ、出勤の準備を始めた。今日は遅刻するわけにはいかない。駅前のホテルには、日米の首脳が集結しているのだ。進は普段全く着ることのないスーツに身を包み、迎えを呼んだ。
○
進はタクシーを使ってホテルに赴く。普段ならバスであるが、今日の任務は重要度が桁違いだ。できるだけ隙をなくしたい。進はホテルの会議室に入り、用意された席について戦勝記念パレードの打ち合わせに参加する。
進の席は後ろの方だ。会議室はさほど広くないので全体を見渡せる。
前の方に座っているのは日米政府、軍のトップだ。この国を動かす大物たちが、一番前の席にズラリと並んでいる。日本政府側には北極星もいた。進がいるのが酷く場違いな気がして、嫌な汗が背中を流れる。
すぐに打ち合わせは始まり、進は必死にメモをとる。
打ち合わせと言っても、パレードの進行に進が口出しをすることなどない。パレードの段取りについて説明を聞いて、ひたすら頭に叩き込むのみである。機密保持のためということで事前に資料などはもらえなかった。本来ならメモをとることさえ厳禁なのだ。今日中にがんばって記憶するしかない。
また、日米首脳の顔もしっかり覚えておく必要があった。誰が誰だかわからないと護衛に差し支えるし、失礼である。日本の首脳については事前に予習済みだが、アメリカ亡命政権の首脳陣、特に軍上層部の写真は入手できなかった。アメリカ亡命政権の首脳で、日本人が誰でも知っているのはそれこそリンドン大統領くらいだ。これも今日中に実物を見て覚えるしかない。
あっという間に時間は経って、打ち合わせは十分間の休憩に入った。進は頭を切り換え、次は目を皿のようにして最前列を観察する。
(あの頭が薄くなってる金髪がリンドン大統領だな。え~っと、隣の細い黒人がキング空軍少将か……?)
正直、外国人は見慣れていないせいか、あまり見分けがつかない。軍人なら軍服についた階級章で見分けることもできそうだが、政治家はそうもいかないのが辛いところだ。進は軍服を着ていない者を重点的に観察し、特徴を覚え込む。
ちなみに進が今日軍服ではなくスーツ姿なのは、護衛としてあまり目立たないようにするためである。進が軍服を着て護衛などしていれば、守っているのは政府関係者だと丸わかりになる。
進は順番にアメリカ人たちの特徴を覚えていった。そして隅に座っている中性的な顔立ちの若い男を見て、進はヘビに睨まれたカエルのように固まる。心臓は鼓動を早め、座ったままで思わず進は身構える。
(なんだこいつ……? もの凄い威圧感を感じる……!)
すぐに進はその正体に気付いた。グラヴィトンイーターの進をここまで威圧できるのは同じグラヴィトンイーターしかいない。
(そうか……。こいつが中国で俺たちと戦った……!)
ジュダ・ランペイジ。〈スコンクワークス〉のナンバー2だ。女だと聞いていたが、どうして男もののスーツを着ているのだろう。普通に見れば女なのに、おかげで男だと思い込んでしまった。
こうして近くにいると、中国での戦いでジュダ率いる〈スコンクワークス〉を撃退できたのは奇跡に近いと実感できる。ジュダは〈スコンクワークス〉の頭領、イカルス博士に次いで二番目に出現したグラヴィトンイーターらしい。力を探ってみるに、グラヴィトンイーターとしての力は、進はもちろん北極星より上だ。
当のジュダは、進に見られていることを気付いてもいない。蟻が表皮を歩いても、象が身じろぎもしないのと同様に、進のことなど一切無視して熱心に配られた資料を読み返していた。
ジュダの観察に夢中になるあまり、その男の接近に気付かなかったのは進が間抜けなせいだろう。こういう失敗をやらかすあたり、そもそも進は護衛など向いていないのだ。その男は突然、流暢な日本語で話しかけてきた。
「君、大丈夫かね? 凄い汗だが……」
「は、はい……。大丈夫です……!」
進はとっさに起立して痩せた白人系の男に敬礼する。偉い人に座ったまま答えたりしたら失礼だ。
男の指摘通り、進は気付かないうちに汗だくになっていた。背中はぐっしょりと濡れて気持ち悪い。それだけジュダのプレッシャーが強かったのだ。
進は直立不動で敬礼したまま男の反応を待つ。男は進に不信感を持つでもなく、軽く進の肩を叩いた。
「ハハッ、緊張しているようだが、明日は頼むよ」
男はそう言い残し、会議室から退出する。
(今の……リンドン大統領だよな……?)
今さらながらに進は自分が会話した相手が合衆国の最高権力者だと気付き、顔を青くする。しばらく進は敬礼の姿勢のままで動けなかった。
○
「彼が煌進か……」
会議室から出て、リンドン大統領は確かめるようにつぶやく。日本人だから余計にそう見えるのだろうが、幼い子どもにしか見えない。進がこちらの世界におけるファウストらしいが、ファウストとは全くの別人に思えた。あんな純朴そうな少年は、合衆国のアンタッチャブルと呼ばれた不気味な男とは結びつかない。
「大統領閣下、油断してはなりません。彼は世界を滅ぼす力を持つグラヴィトンイーターの一人です」
リンドンを追いかけてきたキング少将は言う。キング少将の言う通り、一定の警戒感は抱き続けねばならないだろう。
「もちろんだ。彼も合衆国の潜在的な敵の一人であることに変わりはない。だが、彼であれば正しい道を進んでいけるのではないかと私は思うのだよ。〈スコンクワークス〉などより彼の方がよほど信用できる」
甘いかもしれないが、進を見てリンドンはそう感じた。
今回、リンドンは〈スコンクワークス〉のジュダ・ランペイジがパレードに参加するという話を聞いて、急遽パレードへの出席を決めた。合衆国がファウストを抱え込んで以来敵対関係にあった〈スコンクワークス〉と和睦するためである。
本来ならリンドン自らが危険を冒して、日本のデモンストレーションに協力する必要はない。しかし〈スコンクワークス〉との関係が改善され、技術協力や相互不可侵の約束ができるならリンドンが暗殺されるリスクに目を瞑ってパレードに出る意味は大きい。パレードを欠席してジュダとの交渉のみを行うという案も検討されたが、日本側の不信を招くのでリンドンが却下した。
すでに昨日、合衆国はジュダと極秘に接触して下交渉を行っている。リンドン自身は出席していないが、多額の賠償金や詳細なファウストの戦闘データ提出など、かなり厳しい条件を突きつけられた。それでいて向こうが約束を守るかどうかいまいち信用できない。
明日のパレード終了後にリンドン自らが出席して本交渉を行う予定だが、不調に終わると見ては間違いなさそうだ。
ならば日本のグラヴィトンイーターたちを信用し、〈スコンクワークス〉に対しては一致団結して対抗していくというのも一つの手である。進が話のわかる大人に成長してくれれば、充分に現実的だ。
進がまっとうな大人に成長するにあたり、足りないものは何だろうか。そんなことを考えていると、リンドンはふと疑問に突き当たる。
「しかし彼はなぜ我々の護衛などをするのかね? 本来なら彼も君や焔元帥とともにGDでパレードに加わるべきではないのかな?」
リンドンは中国の核攻撃を阻止したのは進だと聞いていた。進は台湾奪還作戦にも参加し、大きな戦果を挙げたという。間違いなく今回の戦争におけるMVPの一人であり、パレードの先頭に立ってもおかしくないはずだ。
キング少将はリンドンに説明する。
「日本の政治家たちが護衛を求めたようですね。グラヴィトンイーターを一人は自分たちのそばに置きたかったのでしょう。今回のパレードは、我が国の過激派に狙われているという噂もありますから……」
日本の政治家たちは、進を手駒のように扱っているようだった。
「ふむ……。ありがたい話ではあるが、正当な評価ではないな……」
考え込むリンドンに、キング少将はニコリともせずに釘を刺す。
「大統領閣下、お気持ちはわかりますがこれは日本の問題です。我々が口出しすると寝ている犬を起こすことになりかねません」
「ああ、そうだな……」
リンドンは窓から階下の光景を見下ろす。人口都市らしく整然とした筑波の町並みだけがリンドンの目には映った。
○
打ち合わせ後、進はそのままホテルで一泊して落ち着かない夜を過ごし、次の日にバスで日米首脳とともに東京に移動した。
パレードは昼からである。進は先頭のオープンカーに、日米首脳とともに乗り込む予定だ。政府のオープンカーに陸軍が続き、次いで空軍が列を作る。
せめて空軍を政府首脳の次にしてほしいと進は思った。それならすぐ後方に北極星が控えてくれることになる。今の態勢なら先頭が攻撃を受けたとき、進が独力で対処するしかない。
ただ、進でも思いつくこの案が実行されなかったのには理由がある。面子にこだわる陸軍が反発したというのもあるし、空軍のパレードには〈スコンクワークス〉のジュダ・ランペイジが加わっている。
つまり政府首脳はジュダが何をするかわからず恐ろしいので、空軍の列を遠ざけておきたいのだ。最初からジュダを呼ばなければいいのに、と進は思うが、呼ばないわけにはいかない。〈スコンクワークス〉は日米両軍に協力して中国の核ミサイル基地を破壊したことになっているのだ。
〈スコンクワークス〉と交戦した進からすれば冗談のような話だが、政府がこう発表してしまったので仕方ない。政府は〈スコンクワークス〉やアメリカ亡命政権とも話をつけて、嘘を誠にしてしまった。
政府としては〈スコンクワークス〉との対立はなるべく避けたいのである。そして、その判断は間違っていないだろう。〈スコンクワークス〉がその気になれば簡単に日本を壊滅させることができる。
一人減ったとはいえ、〈スコンクワークス〉には十二人のグラヴィトンイーターがいるのだ。いくら進と北極星が奮戦しても、同時に二ヶ所には存在できない。通常戦力では専用GDの軍団に歯が立たないのは〈スコンクワークス〉と中国空軍の戦闘で証明済みだ。〈スコンクワークス〉が専用GDを分散させて攻撃を仕掛けてくれば、日本に防ぐ術はない。
〈スコンクワークス〉は何がしたいのか今一つわからないが、力の差だけははっきりしている。日本政府はイカルス博士の機嫌を損ねないように、おびえながら靴を舐めるしかない。
空気を読んで欠席せず、わざわざナンバー2のジュダを送り込んできた以上、〈スコンクワークス〉には何か思惑があるはずだ。しかし進には彼らの目的が全く読めなかった。
まあ、進が考えても仕方ない。ジュダの監視は北極星の仕事だ。進がやれるのはしっかりと政府首脳を護衛することだけである。何もなければいいのだが。




