6 北極星、荒ぶる
進の前に昨夜の女、北極星が現れていた。
顔が幼いので身につけている紺色の軍服が何かの冗談にしか見えない。ぶかぶかの制帽がコスプレ感を増幅していた。ぴかぴかに磨かれた階級章の星の数は五つで、腰には元帥刀を下げている。下は丈が短いミニスカートで、鈍い人なら軍服だとわからないかもしれない。
こうして明るいところで改めて眺めさせてもらうと、全くもって成恵にしか見えなかった。間違いない。成恵が帰ってきたのだ。
思わず後ずさりながら北極星の姿をまじまじと見る。
と、肩が誰かに当たった。
「ああ!?」
振り向くと、金髪で体格のいい特攻服を羽織ったガングロ女が、顔をしかめていた。
「おい、ぶつかっておいてゴメンナサイも言えないのかよ」
「ぶっ殺すぞコラ」
ガングロ女は連れと思われる数人の女とともに進に凄んだ。全員一様に「愛死天流」だの「愛羅武勇」だのと刺繍が施された特攻服を着込んでいて、髪をカラフルに染め上げている。おまえらカナリアかよ。彼女たちはレディースか何からしい。まさか真っ昼間から絶滅危惧種のイバヤン、しかもレディースが出現するとは。
「す、すいません」
謝ってみるがイバヤン女たちは容赦なしだ。
「スイマセンで済んだら警察はいらねーんだよ。慰謝料払えや」
ガングロに胸ぐらを掴まれ、進は半泣きになる。筑波は比較的治安がいいはずなのに白昼堂々恐喝に会うとは、我ながらついていない。
「おい」
北極星がいきなり前に出る。
「私はこの男に用があるんだ。おまえらは……」
北極星は拳を振り上げ、
「引っ込んでろ」
ガングロが殴り飛ばされて尻餅をつく。
「テメェ!」
「ぶっ殺す!」
取り巻きの女たちは北極星に殴りかかる。北極星は出された拳を掴み、見事に一本背負いで女の一人を投げ飛ばした。短いスカートの裾から黒い下着がチラリと見える。投げられた女は仲間を巻き添えにしてボウリングのピンのように数メートル吹っ飛んだ。
いくら相手が体重の軽い女でも、人間を紙屑か何かのように吹き飛ばすなんて男でも無理だ。北極星は重力子に介入できるグラヴィトンイーターなのである。
「このアマ!」
激昂したガングロは立ち上がって再度殴りかかる。今度は北極星は身を低くして相手の懐に飛び込み、下腹部に膝蹴りを喰らわせた。ガングロは内臓に打撃を加えられた苦痛で顔を歪める。北極星の短いスカートが大きく捲れ上がり、今度こそ下着が露わになったいた。黒いレースのパンティーだ。童顔とのギャップがたまらない。
達人級の動きだが、これもグラヴィトンイーターの重力操作能力を使っているのだと思われる。人間の身にグラヴィトンシードが作り出すエネルギーはあまり意味がないが、自分の体に掛かる重力をカットすれば動きは格段に速くなる。
北極星は相手の人数が多いので決して深追いしない。油断なくレディースのリーダー格と思われるガングロの動きを注視するのみだ。
「これはアタシの戦いだ! あんたらは手を出すな!」
ガングロはよろけながらも仲間から木刀と自転車のチェーンを受け取って、よせばいいのにタイマンで北極星に挑む。東京あたりのカラーギャングなら有無を言わさずナイフやスタンガンで集団暴行を加えるところだが、イバヤンたちは古き良き不良の血が未だなお流れているらしい。
「たわけが。猿が棒切れを拾っても剣にはならぬ」
ガングロが武器を手にしても北極星は余裕綽々である。ガングロは右手で木刀を構え、左手でチェーンをブンブン振り回しながら北極星に近づく。
「ウォラアアアアッ!」
ガングロは女性とは思えないほど野太い声を発し、北極星に襲いかかった。北極星は笑みさえ浮かべながら腰の軍刀を抜く。
「剣の使い方というものを教えてやろう!」
さすがにそのまま軍刀で斬りつけたりはしない。静寂な構えから手元の動きだけで、剣が水を得た魚のように躍動する。派手に振り回したりしなくても、足捌きと手首の動きだけで充分に剣は動くのだ。北極星は軍刀の峰でガングロの木刀を弾き飛ばし、チェーンを払う。
そこから先は、進も何をしたのかわからなかった。ただ、黒いセクシーな下着が露わになるのも構わず、北極星が低く攻めたのが見えただけだ。
「ひぎぃ!」
ガングロが情けない悲鳴を上げる。いったい何をどうすればこんなことになるのだ。ガングロの両手はチェーンで縛られ、尻には木刀が突き刺さっていた。
「今回は後ろで勘弁してやろう。まだやるなら前を狙う」
北極星はサディスティックな笑みを浮かべた。ガングロは肉食獣に怯える子鹿のようにぷるぷる震えながら、北極星に背を向ける。格の違いを見せつけられ、レディースたちはざわめいた。
「そ、総長!」
「覚えとけよ、糞ガキ!!」
半泣きになってへっぴり腰で逃走するガングロを追って、レディースたちは去っていく。北極星は悠然とレディースたちを見送った。
「全く、最近のガキは躾がなってないな。おい!」
「な、なんだ」
北極星に声を掛けられ、本能のまま北極星の下半身にばかり注目していた進は我に返る。北極星は白手袋で元帥刀をこちらに向け、言い放った。
「貴様の家に案内しろ」
○
「なぁ……おまえ、成恵なんだよな。俺のことがわからないのか?」
自分の家に案内して北極星にお茶を出し、改めて進は尋ねた。
進は焔北極星が成恵だと考えていた。顔や喋り方もそうだし、「焔」なる名字も本名保村成恵さんが当て字をしたとしか思えない。
まだ昼間なので美月は学校から帰ってきていない。北極星は出されたお茶をすすり、言った。
「何を言っている? 貴様と私は初対面だろう?」
「ひょっとして、記憶喪失か何かか?」
そんなことを訊く進を北極星は一笑に付す。
「馬鹿者。そんな怪しい人間が元帥まで昇進できると思うか? ん?」
北極星は楽しそうに階級章を進に見せつける。確かに階級章の星は元帥を示しているし、日本国皇帝が直々に下賜するという元帥刀を北極星は持っている。だがどうにも進は信じられない。
「そんな服、いくらでも偽物を用意できるだろ。だいたいおまえ、俺と同い年なのに元帥になんかなれるわけがない」
進の意見に北極星は不快そうに鼻を鳴らした。
「フン……何か勘違いしているようだな。私は貴様と同い年ではない」
北極星は右手の白手袋をはずし、手の甲に浮き上がっているルビーのような赤い鉱石を進に見せる。進のそれとは少し違うが、間違いなくグラヴィトンシードだ。
「貴様も本当はわかっているのだろう? 〈ヴォルケノーヴァ〉を動かせるのは真のグラヴィトンイーターだけだ。貴様のような半端物でなくてな。真のグラヴィトンイーターなら年齢など関係ない。そして真のグラヴィトンイーターは、この日本では空軍元帥焔北極星唯一人。つまり、この私こそ空軍元帥焔北極星ということだ。私の見た目が美しいからといって、勘違いされては困るな」
北極星の長々とした演説調の説明に進はげんなりするが、北極星の言うことが正しいということを進はわかっていた。なぜなら進もグラヴィトンイーターの被験者の一人だからである。北極星が言ったことは、全て進が左手にグラヴィトンシードを埋め込まれる際に説明されたことだった。
グラヴィトンイーターとは、グラヴィトンシードと完全な融合を果たした人間のことだ。グラヴィトンシードの力を借りて、重力子をエネルギーとすることができる。
重力子は重力をはじめとする物理学的な力の媒介となる素粒子だ。重力子が振動することにより、質量が発する重力や運動エネルギーは伝達されていく。また重力子は質量にぶつかると抵抗を生じ、質量を質量として振る舞わせる。重力子は空間に遍在し、世界を定義しているといっていい。
「私は世界で三番目くらいに生まれたグラヴィトンイーターだ……。半端物の貴様にも私の力はわかるであろう……?」
北極星が一瞬だけ殺気を放つ。思わず進は腰を浮かしかけた。北極星は歴戦のグラヴィトンイーターだけが放つことのできるオーラを纏っている。
最初のグラヴィトンイーターが生まれたのは数十年前、こちらの世界で異世界人と呼ばれる人々が元の世界で人工ブラックホールの生成実験を行ったことに始まる。生成された人工ブラックホールの中から発見されたのがグラヴィトンシードだった。
物体が物体として存在しえない、光さえも抜け出せない超重力の中から発見されたダイヤモンドのような物体。グラヴィトンシードは重力の影響を受けていなかったのである。
すぐさま研究が進められ、グラヴィトンシードが生物であると判明した。グラヴィトンシードは振動する重力子を分解してエネルギーにできる新種の生物だったのだ。
そんな中、とある科学者が何気なしにグラヴィトンシードに手を触れる。グラヴィトンシードは科学者の体を浸食し、同化してしまった。科学者は驚くが、死んでしまうことも、自我を奪われることもなかった。
推測でしかないが、これはどうやらグラヴィトンシードの進化だったらしい。地球の1G環境では、グラヴィトンシードは重力を無効化するため重力子をどんどん分解する必要はない。元々小さなグラヴィトンシードが生命を維持するのに要するエネルギーはわずかなものだった。ならば強力な生物に寄生した方が安全である。グラヴィトンシードは人間と融合することで自己保存を計ったというわけだ。
こうして人間とグラヴィトンシードのハイブリッドである、グラヴィトンイーターが誕生した。グラヴィトンイーターは重力子を消費することで原子炉を遙かに超える効率でエネルギーを生み出す。その副作用として、周囲の重力その他を軽減できる。
放っている殺気だけで北極星がグラヴィトンイーターであると証明するには充分だが、なおも北極星は論理を重ねていく。
「先ほどの戦いのときに見せたとおりだ。私は重力子をある程度自由に消すことができる。これもグラヴィトンイーターとしての力だな」
北極星は白手袋を少しずらして、紅のグラヴィトンシードを進に見せる。チンピラどもを一蹴したとき、北極星はその能力を使っていたのだった。
重力子と重力や運動エネルギーの関係を例えるなら、空気と音だ。空気は振動することで音を伝える。このとき空気をエネルギーとして使ってしまい、空気が薄くなれば音は伝わりづらくなる。同様に重力子も振動することで物理的な「力」を伝えるので、グラヴィトンイーターが重力子を消費すれば「力」も伝わりにくくなるというわけだ。
同様に重力子と質量の作用は、動体と空気の関係になぞらえることができるだろう。周囲の空気をエネルギーとして使ってしまえば空気は薄くなり、動体が受ける空気抵抗は低減される。質量はそれ自体が重力子との抵抗によって発生するので、重力子が薄くなれば質量が減少しているのと同じ効果を得られる。
「体の方も常人の何倍も強くなっている。私が本気を出して鍛えれば、陸上でも水泳でも簡単に記録を塗り替えることができるであろうな。何せ私には、時間が無限にある」
グラヴィトンイーターは身体能力や免疫機能も通常の人間より強化され、さらに特筆すべきは寿命である。グラヴィトンイーターは不老不死なのだ。これはグラヴィトンイーターが自己保存のため重力から得られる莫大なエネルギーを使って時間をねじ曲げているからと考えられる。
故に、グラヴィトンイーターである北極星は外見は十代後半にしか見えないが、外見と年齢は一致していない。前の戦争でも活躍していた北極星が、成恵のはずがない。なるほど、理屈の上ではこうなる。
ちなみに進もグラヴィトンシードを体に埋め込んではいるが、まだ同化までは進んでいない。グラヴィトンイーターに進化するためには、〈ヴォルケノーヴァ〉をはじめとするグラヴィトンイーター専用GDによる補助が必要だった。専用GDによる補助なしにグラヴィトンイーターに進化するのは、よほどの適性がなければ無理だ。残念ながら進にはそこまでの才能はなさそうである。
喋りすぎて喉が渇いたのか、北極星は出されたお茶を一気に飲み干す。長々と北極星に説明されても進は北極星=成恵説を捨てることができなかった。成恵が生きていると信じたかったという方が正しいかもしれない。進は言った。
「だいたいおかしいだろ。なんで元帥閣下が昼間からブラブラ俺なんかを捜してるんだよ。仕事しろよ」
なんらかの理由でグラヴィトンイーターになった成恵が、元帥のふりをしているのかもしれない。進はそう考えたのだ。
北極星は答える。
「フッ、戦争屋は戦争がないと暇なのだよ。事務仕事は事務屋に任せておけばよいのだ」
確かに焔北極星といえば、どんなに階級が上がっても最前線で戦い続けた元帥として有名だ。とはいえ階級が上がるごとにデスクワークが増え、優秀な人間ほど机に縛られるという現象は現代軍隊に普遍である。本当に元帥なら、こんなところでのんきに茶など飲んでいる時間はないはずだ。進は指摘する。
「だとしても確か元帥は首都防空近衛飛行隊の隊長でもあるんだろ? 自分の部隊ほっぽり出して外を出歩くなんてありえないだろ」
北極星はこともなげに答えた。
「ああ、そんな部隊はない」
「は?」
思わず進は訊き返す。空軍元帥が筑波を守る近衛飛行隊の隊長に任命されるというのも有名な話だ。そんな部隊がないとは、どういうことだろうか。
進の疑問に、北極星は答えた。
「もう一つ筑波には第305飛行隊があるであろう? 私が指揮するときだけ、第305飛行隊が近衛飛行隊という名前になるのだ」
「なんでそんな意味のないことするんだよ……」
あきれながら進は言った。要は近衛飛行隊は書類上だけの幽霊部隊ということだ。全く意図がわからない。
「敵にこちらの数を多く見せるためだ。ま、ばれていると思うがな」
北極星は涼しげに言って、進は激しくつっこむ。
「やっぱり意味ねぇじゃねぇか!」
「私は給料が増えて嬉しいぞ?」
北極星はそう言って豪快に笑い、進は頭を抱えた。国民の税金をなんだと思ってやがる。こんな国だから戦争に勝てないのだ。
北極星は席を立ち、進に断ることなく戸棚を漁り始める。この厚かましさも成恵っぽい。進は嘆息して言った。
「ポッキーなら二段目の奥だ」
「ほう、五箱もあるではないか。備蓄があるとは感心だな」
北極星は戸棚に手を突っ込み、満面の笑みでポッキーを手に取った。北極星はポッキーを一本だけ咥え、ちびちびと囓る。こうやって長く楽しむのが、幼い頃の成恵の食べ方だった。ちっとも変わっていない。やはりこの女は成恵だ。
「信じてくれただろうか? こちらも本題に入らせてもらおう。〈エヴォルノーヴァ〉の指輪はどこだ? 困ったことに私の所まで情報が回ってきていないのだ」
ポッキーを少しずつ囓りながら、北極星は尋ねる。〈エヴォルノーヴァ〉というのは稲葉さんが担当していた指輪の機体である。特務飛行隊は空軍のトップと直接つながっているわけではなく、ダミー企業等を使って下請の下請のように偽装されている。大方途中で誰かが失敗の隠蔽を試みているのだろう。
進は埒があかないので、いったん北極星と成恵の関係を疑うことをやめ、答えた。
「……俺より稲葉さんに訊いた方が早いと思う」
「それは結構なことだ。さっさと段取りをしろ」
進は北極星に促されてメールをする。あっさりOKの返事が帰ってきた。
「天久保で待ち合わせだ」
進がそう伝えると、北極星は満足そうにうなずいた。
「対応が早くて助かる。では行こうか」
北極星がポッキーを咥えたまま立ち上がる。進もほぼ同時に立ち上がった。