9 団欒
夕食はエレナが手料理をふるまうという約束だったが、屋上でバーベキューだった。三階の居住スペースに失敗作と思われる黒焦げの魚がいくつかあったが、見なかったことにしよう。
屋上にはそこそこ大きなバーベキュー用のグリルが準備されていた。トーマスは慣れた手つきで豪快に切り分けた肉を次々と焼いていく。焼けた肉にはソースを皿から溢れんばかりにぶっかけ、そのまま胃袋に直行だ。
さほど高い肉ではないとのことだが、逆にこのチープな味がたまらない。大雑把なソースの味と肉汁が、五臓六腑に染み渡る。
トーマスは進の反応に満更でもない様子だ。
「少年、いい食べっぷりだな。肉はまだまだ用意してあるから、遠慮せずに食べてくれ」
「ありがとうございます!」
礼を言いながら、進は肉を飲み込む作業をやめない。ここのところ夜遅くまでの残業が常態化していたので、夕食は作り置きをレンジでチンするばかりでもの足りなかった。昨日は北極星のおかげで作りたての料理を食べられたが、バーベキューにはまた別の充足感がある。
「これだけ食えるなら次は子豚の丸焼きをやるか。頭を叩き割って脳みそを食べるとおいしいんだ」
トーマスは上機嫌に言った。どこまでもワイルドなこのおっさんに、進は苦笑いするしかない。
「進さん、肉ばかりでなく野菜も食べないと体に悪いですよ」
エレナは野菜を進の皿に盛りつけてくれる。
「おう、ありがとな。エレナも遠慮せずに肉を食えよ」
進はお返しにエレナの皿に肉を入れた。エレナは複雑そうな顔をする。
「うぅっ、これ以上食べると体重が……」
「どうせまたGDに乗るんだろ? 大丈夫だよ」
進はそう言ったが、GDに乗ってもかつての戦闘機ほどはカロリーを使わない。しかしいつ実戦や事故で死んでもおかしくないというのはGDでも同じだ。特にエレナは信頼性が充分に確保されていない試験機のパイロットという明日をも知れぬ身である。今日一日くらい、しっかりおいしいものを食べる権利があると思う。
「進さんがそう仰るなら……」
ためらいがちにエレナは肉を口にして微笑んだ。肉の栄養がその大きな胸に行ってくれると進としては嬉しい。
「どうだ、少年? こっちはいけるか?」
トーマスは缶ビールを出してくる。進は困ったように頭を掻く。進にはアルコールを摂取する習慣がない。父がいなくなって以来、進の周囲に酒を嗜む大人はいなかった。特務飛行隊時代には浴びるように酒を飲む同僚もいたが、大抵一度か二度の出撃で帰らぬ人となった。
進は酒の味を知らないし、今すぐ知りたいとも思っていない。進としてはあまり規則は破りたくないのだ。しかし機嫌の良さそうなトーマスを相手に「未成年なので」という無粋な断り方はしにくい。
「いつ招集があるかわからないので……」
少し迷って、進は酒を飲めないもう一つの理由を挙げた。一応進は二十四時間いつでも待機中という立場なので、飲酒は控えるのが当然である。トーマスは苦笑する。
「マモルと同じ断り方をするとはな」
「父を知っているんですか?」
トーマスの言葉に進は驚く。煌守は進の父親だった。
「俺は大坂で軟禁されていたからな……。マモルも似たような境遇だったから、よく顔を合わせて話をしていたよ」
トーマスは懐かしそうに過去を振り返る。当時、トーマスと進の父は同じマンションに軟禁されていて、隣人同士仲良くやっていたとのことだった。同じ業界に生きる者同士、政治や戦争について話題が尽きることはなく、朝まで議論することもしばしばだったという。
「どうして父は、日本を裏切ったんでしょう……」
思わず進は尋ねていた。進は父が処刑されそうになり、命惜しさにアメリカ亡命政権に寝返ったと聞いていた。
しかし、それではトーマスの話と食い違っている。軟禁と処刑では深刻さの度合いが違う。
トーマスは進の父の話をするからには、そのことに触れずには済ませられないとわかっていたのだろう。あっさりトーマスは進の質問に答えてくれた。
「マモルには、二つの理由があった……」
進の父、煌守とトーマスの合衆国亡命政権へのスタンスは全く違っていた。トーマスはアメリカ軍が日本の国土を占拠するという暴挙を批判し、守は一定の理解を示した。生き延びるためには仕方がなかったのではないかという考えである。
このスタンスの差異は、そのままトーマスと守の亡命政権への協力度の差となった。トーマスは基本的に亡命政権に手を貸すことを拒んだ。しかし守は亡命政権の要請に応じ、東に住むかつての知り合いを懐柔してスパイに仕立て、日本軍の情報を亡命政権に提供した。
「マモルは日本政府に深く失望していたようだった。彼は東京を見捨てて逃げ出した政府が許せなかったのさ。これが第一の理由だ」
悪夢ともいえる十年前の東京攻防戦。激しい市街戦で東京は瓦礫の山に変わり、無数の一般市民が命を落とした。アメリカ軍との交渉で東京を無血開城し、この戦闘を回避できなかったか。戦闘は不可避としても、計画的な住民の避難を進め、犠牲者を少しでも減らせなかったか。
どんなに議論を尽くしても、時間は戻らない。歴史にIFはないのだ。政府は無為無策で住民を戦火の中に投げ出し、自分たちはさっさと逃げ出したという事実が残っているのみである。
ただ、煌守が祖国を裏切った理由はそれだけではない。
「そして第二に……大坂にはもう一人の息子がいた」
「ファウスト……! あいつのために……!」
進はトーマスを直視できなくなり、うつむいた。
「マモルはファウストのコードネームを持つもう一人の君のために、日本へのスパイ活動を行っていた。マモルの情報がなければ、危険な任務の連続でファウストは君と戦う前に死んでいただろう」
父が処刑を免れるためにスパイ活動をしていた、と進に伝えられた理由がわかった気がした。複雑な気分である。命惜しさに寝返ったという方が何百倍もスッキリする。正直、進も喜べばいいのか悲しめばいいのかわからない。ただ一つ言えることは、今さら進が父の決断に口を挟むことはできないということだ。
「……ファウストは、俺だけど俺じゃない。俺は確かにファウストのようになったかもしれない。でも、今の俺は絶対にファウストにはなりません。父はやりたいことをやったのだと思うけれど、間違っていた……! でも、俺には父を正すことなんてできない」
父の行為が間違っていたとしても、現在から過去を正すのはもっと間違っている。これでよかった。そう思うしかない。
過去に遡る力を持つ進の言葉にトーマスは大きくうなずく。
「少年、君は正しい。俺だってエレナの母親──美奈子のことで思うことがないわけじゃない。だが、何度もやり直すことを前提にすれば命をないがしろにしてしまう。また生き返らせればいい、ってな。命は一つで取り返しがつかないから大切なんだ」
妻を失っているトーマスには説得力があった。進は人の命を奪うことを仕事にしているからこそ、命の大切さから目を背けてはならない。
改めて進は決意する。俺は絶対に間違えない。
「俺もそう思います……!」
トーマスは進の反応に満足したようで、フッと笑みを見せて話を変える。
「湿っぽい話をして悪かったな。次はシーフードにするか。少年、魚の本当の焼き方というやつを教えてやろう。エレナ、下の冷蔵庫に切り分けたのを入れてあるから、取ってきてくれ」
「かしこまりました、お父様!」
エレナは駆け足で階段へ向かう。その後、賑やかなバーベキューは小一時間ほど続き、帰宅した進は久しぶりに楽しい気分で床につくことができた。




