8 トリガー
次の日、学校が終わってから進はエレナのバイクに乗せられ、エレナの自宅へ向かった。
少し前まで学校近くのアパートで一人暮らしをしていたエレナだが、今は父のトーマスと同居中だ。アパートでは手狭なので引っ越したというのは知っていたが、エレナの新居を訪問するのは初めてである。
いったいどんなところに住んでいるのだろう。エレナはともかく、トーマスのセンスには警戒が必要だ。マッチョな体にいくつ銃器を隠しているかわからない男である。庭に地雷が埋まっていてもおかしくない。
「着きましたわ」
エレナの声を聞いて進はバイクから降り、ヘルメットをとる。目の前にあったのは、うらぶれた小さなビルだった。
三階建てのこじんまりとしたビルはところどことが黒ずんでいて、外壁にはいくつも細かいひび割れが入っている。築三十年はゆうに超えているであろう。鉄筋コンクリート造なのに隙間風が入り込みそうだ。
周囲も古い建物ばかりで、飲み屋ばかりである。この地区は昔ながらの歓楽街で、雑居ビルと飲食店が混在していた。夜になれば馬鹿な学生や仕事帰りのサラリーマンで賑わうが、まだ日が落ちていない今はがらんとしている。
進は思わずエレナに訊いた。
「えっと……本当にここに住んでいるのか?」
「ええ。見た目はいまいちかもしれませんが、住んでみれば良いところですよ」
ああ、エレナの笑顔が痛い。トーマスはいったい何を考えて、こんなところを選んだのだろう。年頃の女性が住むところではない。
エレナはビルに併設された駐輪場の奥にバイクをとめて、裏口からビルに入る。表を開けると酔っぱらいが間違えて入ってくるので、締め切っているそうだ。信じられないことに、このビル全てがトーマスの持ち物だった。
「事務所も兼ねていますから」
エレナはそう言うが、暴力団的な意味での事務所ではないのだろうか。そこはかとない不安に苛まれつつ、進はエレナに連れられ二階に上がる。ろくに掃除もされていないフロアで、トーマスが進を待っていた。
「ようこそ我が家へ。歓迎するぜ、少年」
トーマスはS&W M29でテンガロンハットのつばを持ち上げて、ニヤリと笑う。グリズリーさえ仕留められる拳銃を持ち出してどうしようというのだ。エレナには悪いが、早くも帰りたくなってきた。
「今日は共に戦場へ赴く相棒を選びに来たそうだな……。じっくり選ぶといい。時にはサイドアームとの相性が生死の境目になる」
机の上にはどうやって揃えたのか、世界各国の銃器が所狭しと並べられている。ガンマニアなら涎を垂らして喜ぶのだろうが、あいにく進にそんな趣味はない。軽い悪寒を感じただけだ。
まずトーマスはSIG SAUER P220を手に取り、進に持たせる。
「そいつが日本軍の正式拳銃だ」
進はP220をしげしげと眺める。日本製なら桜のマークが入っているはずだが、見当たらない。どうやら海外から輸入されたモデルのようだ。
「日本製の銃器は残念ながら信頼性が低いからな……。やはり銃は本場のものに限る。さぁ、撃ってみろ」
「いや、撃つのはまずいんじゃ……」
進はためらうが、トーマスは気にしない。
「このビルは元々ライブハウスだったんだ。だから銃声は響かない。あのマンターゲットを狙え」
そういうことを言いたいのではないのだが……。まあ、軍の秘密組織にいた進が法を気にしても今さらではある。進は八メートルほど先にある人型の標的を、P220で撃ってみた。トリガーがやたら重い。耳をつんざく発砲音とともに銃弾が放たれ、標的の心臓とはほど遠い位置に着弾する。
今まで進が使っていたマカロフとは全く感触が違った。粗製濫造品ではない、本物の拳銃。腕に伝わった痺れるような反動は、マカロフよりずっと重い。当てれば確実に敵を殺せそうだ。単にマカロフよりP220の方が大きくて重いのでそう感じるのかもしれないが、なんとなく撃つのが怖い。
「ピンと来ないか? だったらこっちでどうだ?」
トーマスは同じSIG SAUER製のP228を取り出す。P220の後継モデルであるP226を小型軽量化したものだ。P226を出さなかったのは先程撃ったP220とほぼ同サイズだからだろう。トーマスはP220、P226が進の手と合わないと判断したのだ。
進はP228で何発か試射する。なるほど、さして体格がよくない進にはこちらの方がしっくり来た。グリップも握りやすいように小さなへこみが作られているので、照準も安定する。
しかしどこか不安な感じはP228でも同じだった。その理由に進は気付く。
「……この銃、安全装置はないんですか?」
P220やP226に限らずダブルアクションの自動拳銃は、撃鉄を自分で起こさなくてもトリガーを強く引けば撃つことが可能だ。便利な反面、何かの拍子に誤射してしまいそうで恐ろしい。
マカロフもダブルアクションであるが、しっかりと安全装置が付いていた。過信は禁物であるが、誤射の危険性はかなり低くなる。進は安心してマカロフを日頃持ち歩くことができた。
ところが今進が手にしているP226には安全装置の類が見当たらない。P220も同様だ。こんなもの、おちおち身につけていられない。
「安全装置なら内蔵されているぞ。AFPBが入ってるから、トリガーを引かなきゃ発砲できん」
AFPBというのはオートマティック・ファイアリング・ピン・ブロックの略で、日本語にすれば撃針固定子と呼ばれる機構である。要はトリガーを引ききらないと撃針の固定が解除されないのだ。拳銃は撃針が雷管を発火させて火薬に点火する仕組みなので、撃針が固定されている限り絶対に発砲はされない。
P22Xシリーズはトリガーがかなり重いため、安全装置はこれで充分という判断なのだ。撃鉄を起こしてから発砲をやめたいというときのために、デコッキングレバーも搭載されている。
運用に問題はないということは進にも理解できる。しかし手動の安全装置がないというのはどうにも不安だ。持っているのが怖い。
その旨をトーマスに伝えると、トーマスは悩み始める。
「ううむ、そこが気になるのか……。銃なんて多かれ少なかれ危険なものなんだが……。ならいっそリボルバーの方がいいか……。このロシア製の12.7ミリ 50口径リボルバーなんてどうだ? 銃火器展示会でガメてきたんだが、重機関銃の弾を撃てる優れモノだぞ」
そんなものを撃てば反動で肩を脱臼しそうだ。クマに飽きたらず戦車でも相手にする気なのだろうか。
結局、進は自分で自分の銃を選ぶことができなかった。進はトーマスが選んだ拳銃を次々と試したが、どれもしっくり来ない。多分、操作手順や安全装置の仕組みが一つ一つ違うせいだろう。操作方法を思い出しながらの戦闘などできない。やはり進には馴染みのマカロフが一番なのだろうか。
もう新しいマカロフを用意してもらって終わりにしよう。進がマカロフを、と口にしかけたところで、エレナが一丁の拳銃を手渡してくる。
「進さん、これを試してみてください」
エレナが出してきたのは、グロック17だった。プラスチック製のフレームと、玩具のような外観が特徴的なオーストリア製の拳銃である。
言われるがままに進は試射した。とにかく軽い。本体にはプラスチックが多用されているため重量も軽いし、トリガーも軽く引くことができた。撃つにも持ち運ぶにも便利である。
手動の安全装置はないが、トリガーからもう一つトリガーが飛び出ており、安全装置になっている。トリガーに指を掛ければ二つ目のトリガーが引かれて安全装置が解除され、射撃できるようになる仕組みだ。二つ目のトリガーは枝などの異物が引っかかるのも防いで、容易にトリガーは引かれない。
つまり、トリガーにさえ指を掛けなければ安全という設計だ。もちろん進だって不用意にトリガーを触ったりしない。理屈で考えれば安全は充分確保されている。他の性能もマカロフよりはいい。
それでも進はマカロフを望む。そもそも進は銃に大したこだわりなどないのだ。マカロフも支給されたから使っているだけ。ならば手に馴染んだ古女房がベストだろう。
「悪くないけど、やっぱマカロフがいいな……。最後に頼れるのは、使い慣れた相棒だ」
エレナなら、進の考えに理解を示してくれるだろう。エレナが進についてくれれば、トーマスもいいマカロフを選んでくれるに違いない。
しかし進の読みははずれた。エレナはグロックを推す。
「進さんの考えはわかります。でも、せっかくの機会なので、新しいパートナーに変えるが絶対にいいです。焔元帥は進さんに新しい一歩を踏み出すチャンスをくれているのですよ。チャンスをふいにしてはなりません」
「う~ん、そんな大袈裟なことかなぁ……?」
進は首を傾げるが、エレナは反論を続ける。
「今は馴染まないかもしれませんが、使い続ければきっと今までより進さんは強くなれます。しっかりと訓練を続ければよいのです。私もお付き合いいたしますから、新しいパートナーをあなたの手に馴染ませてください」
エレナにそこまで必死になられると、進は何も言えなくなる。なんだかマカロフをグロックにした方がいいような気がしてきた。
トーマスは進の肩をポンと叩く。
「少年。君の負けだ。グロックなら値段も手頃だし、君の体格にちょうどいいだろう。俺はこの安っぽいデザインがあまり好きじゃないがな」
トーマスが今までグロック17を出さなかった理由は、自分の好みではなかったからのようだ。使い勝手自体はトーマスも認めている。実際進も試射してみて、感触はまあまあだった。
進は決断する。
「……わかりました、こいつにします」
今日から使い古したマカロフに代わり、エレナが選んでくれたグロック17が進のパートナーだ。
進の顔を見てトーマスは満足そうに微笑む。
「言い面構えだ。安くしてやろう。うちできっちり講習も受けてもらうぜ」
望むところだ。東京でのパレードまでにはグロックを使いこなせるようにならなければらない。
進はお金を支払い、いつも身につけているショルダー・ホルスターにグロック17を収めた。




