5 ジュダⅣ
1st world:2011
目が覚めると病院のベッドだった。体は傷だらけだったが、骨折とか内臓破裂とか、重傷といえるような怪我はない。重力子をゼロ近くにされていたのなら当然だろう。どんな物理的衝撃もあまり伝わらない。
それでも落下の衝撃というのは凄まじく、ジュダが乗っていたGDは大破したそうだ。幸いGDが半壊することで衝撃を吸収してくれたおかげで、コクピットのジュダは頭を打って昏倒したくらいで済んだ。
仲間たちもジュダと同じような状況だったらしいが、病院に彼らの姿はない。仲間たちは一人残らず捕虜収容所に送られたのである。年少で女のジュダだけが、一般の病院に行くことになった。
医師立ち会いのもとでアメリカ軍の女性士官から軽い尋問を受けた後、ジュダは晴れて自由の身となった。しかし何もすることなどない。
腫れ物に触るように接してくる女性看護師によれば、ジュダはしばらくこの病院で療養を受けてから、里親に名乗り出たアメリカの家族に引き取られる予定であるとのことだった。原理主義勢力に占領されたままの故国には帰れない。ジュダはアメリカ人になるしか道はなかった。
(まあ、どうでもいいか……)
どうせジュダには選択権などない。これが負け犬の現実だ。あのままパイロットを続けても、どうせろくなことにはならなかっただろう。しかしジュダの抱えた怒りと悲しみは存分に発散できた。これからジュダは自分の中にどす黒い炎を抱えながら、表面上だけでも真面目に生きていくことになる。
べつにこの病院で暴れてもよかった。戦場でのトラウマがどうの、原理主義勢力での洗脳がどうのと勝手に部外者たちが理屈をこねくり回し、擁護してくれるだろう。少なくとも一般のこの病院で、ジュダが殺されることはない。
そんなことを考えながら歩いていると、中庭でジュダは見覚えのある男を発見する。年を重ねた俳優のような、紳士風の男。間違いなく、ジュダたちに上から目線の演説をかましていた男だ。どうしてこの病院にいるのだろう。
男はジュダを担当している看護師と話している。
「あの娘を引き取ると聞いたのですが、本当ですか?」
「ああ……。彼女は戦争の犠牲者だからね……。私にも責任はある」
男は悲しげな目で看護師を見上げた。看護師は確かめるように訊く。
「彼女はあなたを殺そうとしたのですよ?」
「だからこそ、だよ。彼女に必要なのは正しい教育だ……。決して罰などではない」
男と看護師の会話を聞いていると、ジュダは無性に腹が立った。ジュダは好きで原理主義者に従っていたわけではない。どこにも居場所がなく、投げやりになって志願しただけである。
(私は何が正しいかくらい、自分でわかっている……!)
言われるまでもないことなのだ。ジュダの行いは全く正しくない。しかし生きていくためには仕方がないことだった。
イラクであの村に残っても、ろくなことにはならなかっただろう。ジュダが旦那に飽きられたら終わりだ。よそ者で何の後ろ盾もないジュダはあっさり捨てられる。
だからといって原理主義者に服さず村を出ても、どうしようもない。どこかで拉致されてまた人身売買のトラックに乗るはめになるのがオチだ。
結局、身分を保証されて金も稼げるというのは原理主義者の軍隊しかなかった。貧しい子どもが生活のため軍隊に志願する。お決まりのコースだった。弱く、頼るものなど何もないジュダは大きな力の一つになる他ない。
(だから、私は生きるため、力に従う……)
アメリカ軍は圧倒的な強者だ。なのでジュダがアメリカ軍に屈服させられるのはいい。アメリカ軍がジュダたちをどう扱おうが自由だ。ジュダたちには抗することなどできはしない。
しかしこの男はなんなんのだ? 自分はこいつに負けたつもりはない。ジュダは、この男の理想論には屈服していない。
(何者なのか知らないけど、ちょっとは痛い目を見た方がいいよ……)
あのとき、なぜGDの重力子量がほぼゼロになったのかという疑問が、ちらりと頭をよぎった。だが考えてもわかるはずがないだろう。きっとアメリカ軍の新兵器か何かだ。
男の前から看護師が去る。男は一人になってもベンチから動こうとはせず、何やら物思いに耽っているようだった。隙だらけである。どこからでも男に危害を加えられそうな気がした。
ポケットには、食事の際に失敬したプラスチック製のフォークがある。こんなものでは誰も殺せはしないだろうが、理屈も理想も愚か者には通じないということを知らしめるのには充分だ。
男はおそらくアメリカ人である。国家の武力を背景に、ジュダたちのような三流テロリストや、理屈より感情が優先される三流国民に何を言っても許されてしまう立場だ。男の言うことは正しいが、気に入らない。暴力が言論を粉砕する様を見せてやりたい。
ジュダはフォークを逆手に持って、背後から男に近づく。大丈夫。男はこちらを気にしてもいない。ジュダは男の首筋を狙ってフォークを突き出した。この距離ならたとえ男が格闘技の達人であったとしても避けられないだろう。あとコンマ数秒でプラスチックのフォークが男の肉を破り、血が噴き出す。
しかし、いつまで経ってもフォークが肉に突き刺さる手応えをジュダは感じられなかった。ジュダのフォークは空を切り、ジュダは勢い余って前のめりにこけてしまう。いったい何が起こった?
「君はなぜ、武器を手に取ったのだね?」
ジュダはハッと振り向く。ジュダの背後に男がいた。
ジュダは男の言葉に耳を貸すことなく、今度は正面から男に向かってフォークを振り降ろす。男はまた瞬間移動したかのように突然姿を消し、ジュダの攻撃はまたも空振りに終わる。
「お嬢さん、君の望みは何だ?」
「不公平じゃないか……! どうして私が言ったら暴力で潰されて、あなたは暴力に守られているんだ!」
興奮したジュダは男の質問にまともに答えながらも、再度男に飛びかかる。男の姿はまたジュダの前から消えた。
「私は暴力に守られてなどいないよ。むしろ、暴力に苦しめられている」
男の言い分は嘘ではないだろう。男は武器を捨てることを主張したが、ジュダたちは応じなかった。暴力を使えば、どんな身勝手も通用する。そのことを知ってしまった人間が、暴力を捨てるはずがない。
「私は暴力に使われるために、重力炉を開発したわけではなかった……。私はアインシュタインになりたいわけではなかった……」
その言葉で、ジュダは男の正体に気付いた。重力を絶ち切った超人。人類には早すぎた特異点。二十一世紀のアインシュタイン。蝋で固めた翼で太陽に近づいた愚か者。男は重力炉を開発した天才科学者、イカルス・トリックスターだ。物理学のみならず遺伝工学等幅広い分野で活躍する、万能の鬼才である。
「私の重力炉は、世界を救うはずだった……!」
苦悩に満ちたイカルス博士の発言に、ジュダは何も言うことができない。そう、少し前まで誰もが石油に代わるクリーンなエネルギーを求めていたのだ。なのでイカルス博士はその希望に応え、重力炉を作った。しかし稀代の天才による世界の革命さえ、愚かな人類にとっては次なる戦争のきっかけでしかなかったのである。
「どうすれば、世界を救えるのだろう? 戦争をなくせるのだろう? 飢餓や疫病をなくせるのだろう……?」
世界中に重力炉を作り、適切に運用すればいい。欠乏によって死ぬ人間はいなくなる。
でも、それは見果てぬ夢だ。ジュダの故国のように、争いを生むところが必ず現れる。先を行く国は必ず技術を独占しようとする。そして重力炉の技術を使った戦争が始まるのだ。
ジュダは言った。
「人に理性に従える賢明さがあれば……」
「人にはその賢明さがあるのだろうか……?」
「人はそんなに強くないよ……」
イカルス博士の問い掛けに、ジュダはうつむくしかない。理由もなくイカルス博士に暴力を振るっておきながら、どうして人の理性を信じられようか。
イカルス博士はためらうような仕草を見せてから、言った。
「ならば私も暴力を使って人を従わせるべきなのだろうか?」
「それはきっと、間違っているのだと思う」
ジュダはそう言ったが、他に方法がないとも思っていた。人は百の言葉より一発の銃弾に従う。
「君に力があるとしたら、どうするのかね?」
「私には力なんてないよ……」
イカルス博士に尋ねられ、ジュダは目を閉じて首を振った。イカルス博士はプラチナ色の鉱石をジュダに差し出す。
「私は君に力を与えることができる……。君には素質があるんだ。さて、君はどうするかな?」




