4 ジュダⅢ
1st world:2011
ジュダは幸運だった。異教徒認定を受け、奴隷として売り飛ばされる前に、逃げ出すことに成功したのである。
自分で何かをしたわけではない。シリア方面に移送される最中にトラックが故障し、砂漠で立ち往生したのだ。
救援を待つ兵士たちの目を盗んで逃げ出すのは簡単だった。監視の目は皆無だったからだ。こんな何もない砂漠で逃げてもどうにもならないことを、兵士たちは知っていたのである。ジュダ以外にも売られる予定の女はトラックに乗せられていたが、逃げ出す者はいなかった。ジュダは当然目標さえもない砂漠の中で迷い、倒れるまで歩き続けた。
そのまま熱砂に埋まり、脱水症状で死を待つばかりだったジュダは、偶然通りがかった近所の村の住人に助けられ、九死に一生を得た。ジュダは村で静養のため一ヶ月ほど過ごしたが追っ手が現れることはなく、ジュダは過激派から逃れることができたと判断した。
問題はここからだった。ジュダがお世話になっていた村はイラク南部にあり、出国してどこかに亡命するのは難しい。かといって村に滞在し続けると、強制的に結婚させられそうだった。
村の有力者の息子がジュダのことを気に入っており、ジュダは求婚を受けていたのだ。彼のおかげで治療を受けることができ、村に置いてもらえたのだが、結婚はまた別である。
ついこの間まで中学生でまだ十六歳のジュダが結婚なんてとても考えられない。十も歳が離れた男の、十何番目の妻になってどうするというのだ。この地域では早くの結婚も一夫多妻制も珍しくないのだろうが、ジュダの感覚では受け入れられなかった。
しかし受けた恩は大きい。迷いに迷った挙げ句、ジュダは村人たちに家族の復讐をするため原理主義者の軍隊に志願したいという話をして、村から出たいと告げた。こっそり村から逃げ出すのは良心が咎めたのだ。
結果的にはこれが正解だった。
「私は羊として百年生きるより、獅子として一日を生きたい」。ジュダの訴えに女性がそんなことをしなくても……と村の長老たちは困惑したが、ジュダに求婚していた男が説得してくれた。村長は原理主義者の上層部にコネを持っていて、ジュダはあっさりと軍に潜り込めたのである。
ジュダは本気で家族の仇討ちがしたいと思っていたわけではない。ただ、やり場のない怒りと悲しみが胸の内で渦巻いていただけである。こんな思いを抱えたままでは、村に落ち着くこともできなかった。
男装を始めたのも軍に入ってからだ。髪を短くして、男の服を着た。ジュダの体型と顔立ちなら、中学生くらいの少年にしか見えない。
男ということにしておかないと、何をされるかわからないという思いが強かった。男装は神の教えに反するし、軍には女性兵士もそれなりにいる。それでもジュダは男のふりをしないと落ち着かなかった。
ジュダは軍の中でGDパイロットを任される。理由は英語を読むことができたから。アメリカ製のGDである〈バイパー〉は、マニュアルも計器類の表示も英語だった。
アメリカ製GDはどこからか流入し、稼働不能になることもなかった。噂では、アメリカをはじめとする先進国はわざと最新兵器をこの原理主義勢力に流しているという。戦争を激化させるためだ。そうすれば重力炉は独占できるし、兵器の売却でお金も儲かる。要は、力があれば何をしても許されるということだ。
ジュダは父と母を殺した集団に混じって、自分もまた人を殺し続ける。空軍の任務は華々しい空戦より、爆撃や機銃掃射といった地上攻撃の方が多い。決して反撃を受けない安全圏から反原理主義派の部族を襲って、ジュダは百人単位で地上に死体を増やす任務に従事した。
(なんて理不尽なんだ……)
そう思わずにはいられない。地上で為す術もなく死んでいく人々への憐憫と、自分の境遇への怒り、悲しみ。いったい何が悪いというのか。神は誰も救わない。ジュダの中で答えは出ている。
(みんなが理性に従って、一番いい道を選べばこんなことにはならないんだ……)
それができないから世界は理不尽なのだ。ならばどうして人は理性に従うことができないのだろう。
(決まってる。みんな馬鹿だからだ。この世界には馬鹿しかいない。私の思う正しさなんて、誰も耳を貸さない)
だからジュダは引き金を引いても許される。だからジュダは人を殺しても許される。理性的でない人間など、人間ではない。いもしない神の御許に喜んで召されればいい。
ちなみに神の教えによると、女に殺された男は地獄に墜ちるという。女であるジュダに殺された男はみんな地獄行きだ。ざまあみろ。
もしも理性が支配する世界を作りたいなら、皮肉なことに必要となるのは圧倒的な暴力だ。力さえあれば、人は何にだって従う。今だってジュダの故国は失笑モノの原理主義を掲げる暴力主義者の支配を受け入れているではないか。
(私に、力があれば……)
爆弾一つで百人を殺すことができても、まだ足りない。ジュダに必要なのは世界を破壊できるくらいの力だった。
さてイラク、シリアに加えてアラビア半島を制圧した原理主義者たちはトルコ、ヨルダン、レバノンへの侵入を開始していた。ここにいたって世界の警察を自認するアメリカ合衆国は重い腰を上げ、原理主義者の支配地域に苛烈な空爆を加え始める。
ジュダたちのGD部隊はアメリカ空海軍を撃退することが求められたが、かなうはずがない。こちらはアメリカ軍のファーストアタックでレーダーサイトや空港を破壊された上に電波妨害を受け、スクランブルに上がることもできない。今度はジュダたちが惨めに空襲から逃げ回る番だった。
今回、アメリカ軍は地上部隊を投入してこなかったので、原理主義者の支配域は後退しなかった。しかしこのままではジリ貧である。いずれアメリカ軍を中心とした地上部隊に原理主義勢力は一掃されるだろう。
なので頭が悪い原理主義勢力の上層部は、GDを使ってトルコにあるアメリカ軍の基地を襲撃する計画を立てた。原理主義勢力は航空戦力に致命的な損害を受けたが、砂漠の掩体壕に隠しておいた機体は無事である。一戦交えるくらいの戦力はあった。
ここでアメリカ軍を壊滅させれば、勇気づけられた同胞たちによる世界規模の聖戦が始まるという青写真だ。自分たちに都合の良いシナリオしか想定していない、お花畑の作戦だった。上層部としては負ければ自爆テロや住民に紛れてのゲリラ攻撃などで挽回するだけなので、どっちでもいい作戦なのだろうけど。
パイロットであるジュダは、この死にに行くような作戦に参加しなければならなかった。拒否すれば神に背いたとして斬首される。逃げだそうにもあてがない。それでも生き残ろうと思うのなら知恵を絞らなければならないが、ジュダは投げやりだった。
(まあ、死ぬっていうのなら、それでもいいかな……)
散々理不尽を押し付けてきた強者が、さらに強い者に倒される。自然な流れではないか。これなら神もお許しになるだろう。戦死すれば酒とご馳走と美しい処女が待っている天国に行けるに違いない。ジュダは女なので関係ないが。
ジュダは人形になったように上官の命令通りGDの準備をして、仲間とともに北の空を目指した。総勢四十数機の大部隊である。アメリカ軍以外であれば確実に勝てる戦力だった。
国境に近づいた途端にわらわらとアメリカ、トルコのGDが上がってきて七面鳥撃ちにされるのではないかとジュダは予想していたが、原理主義勢力のGDは無事に国境を通過した。アメリカ軍が駐留している基地はすぐ近くだが、通信機に意味のわからない演説が飛び込んでくる。
『我々にはなぜ質量があるのか。なぜ質量に縛られているのか。我々の意識は遙か十一次元から投影されるホログラムに過ぎない……。本来我々はもっと自由なはずなのだ……。我々はその意味を考えなければならない……。我々が争う必要はない……』
攪乱のつもりだろうか。耳を貸す者は誰もいない。アメリカ軍がいるはずの空港に、ジュダたちは爆弾を投下しようとする。
だが、空港はもぬけの殻で、GDはおろか飛行機の姿さえなかった。通信機からは、不気味な演説だけが聞こえてくる。
『我々はわかりあえるはずだ……。武器を捨てなさい。君たちは間違っている。暴力に頼る正義などあってはならない。人々を苦しめる正義などあってはならない。君たちに必要なのは、手を取り合う勇気だ』
GDの望遠カメラは誰も聞かない演説を続ける愚か者の姿を捉えていた。空港の管制塔に一人座っている、初老のインテリ風な紳士。どこかで見覚えがあるような気がするが、思い出せない。
ジュダとしては、男が言っていることは正しいように思えた。内部に入り込んでわかったことだが、ジュダの所属する原理主義勢力は信仰を無法の免罪符にしているだけの暴力集団だ。こんなわかりやすい悪はなかなかいないだろう。
ただし、本当の悪は誰とも手を取り合うことなどできない。部隊の指揮官は今現在の状況を罠だと考えて、即時撤退を指示した。撤退するからには身軽にならなければならない。積んできたたっぷりの爆弾は、全てこの場所に落として帰る。
この命令が部隊に伝わった瞬間、通信機からため息が聞こえた。
『君らも、わかってくれないのか……』
次の刹那、いきなりジュダのGDは機能停止した。慌てて計器をチェックして絶句する。重力子量がほとんどゼロになっていた。グラヴィトンドライブが停止したことで電気系統がダウンし、ロケットエンジンまで止まる。自由落下が始まった。
死ぬ、と思った瞬間に全身から汗が噴き出す。体が震えて下半身の力が抜け、シートに情けない水音が響いた。
私は生きたかったのだろうか?
自問自答が始まる前に、ジュダは地面に叩きつけられた。




