2 バレンタイン
次の日、進は普通に登校した。何も変わらない、日常の一ページ。思わず進はつぶやく。
「平和だなぁ……」
自分の席から窓の外を眺めながら進はつぶやく。校庭から特殊部隊が侵入してくることも、GDが降り立つこともない。こういう日がずっと続くのが一番いいのだろう。
「お兄ちゃん、何ボォっとしてるの。もっとシャキっとしてよ。恥ずかしいじゃない」
隣の席に座っている美月に言われ、進は慌てて背筋を伸ばした。こんな姿を北極星に見られるとまた怒られる。敵は進の都合などお構いなしなのだ。常に警戒心は持っていなくては。進は北極星とともにこれからも戦い続けるのだ。つまらないところで命を落とすわけにはいかない。
一瞬でそこまで考えて姿勢を正した進を、美月は抗議するようにジト目でじっと見つめる。何だろう、この居心地の悪さは。
「……? どうしたんだ、美月?」
進はたまらず本人に尋ねたが、美月はプイっと横を向いた。
「べつに……。また私以外の女のことを考えてる、って思っただけ」
「いや、そんなこと言われても……」
注意されたときに北極星のことが思い浮かんだのは事実だが、それで機嫌を損ねられても困る。北極星と美月に順番があるわけでもないし。
美月は口を尖らせながら綺麗にラッピングされた箱を進の胸に押し付ける。
「今日、バレンタインだってお兄ちゃん忘れてるでしょ! 私以外の子にはちゃんと誠意を持って対応してよ! わかっちゃうんだからね!」
「お、おう……。ありがとう」
カレンダーを見れば今日は二月十四日で、確かにバレンタインだった。あまり縁がないイベントなので全く頭になかったのである。
美月からの義理チョコをしげしげと眺めながら、よせばいいのに進は美月に訊く。
「で、本命は誰に渡すんだ?」
「お兄ちゃんのバカ!」
般若の形相を浮かべた美月に鞄を投げつけられ、進は椅子に座ったまま転倒した。そんなに無神経だったかな……?
その後すぐに北極星が教室に入ってきて朝のホームルームを始める。今日は担任は遅れるようだ。北極星は教壇に立っていくつかの連絡事項を伝えた後、バレンタインに言及した。
「今日はバレンタインだが、はめをはずしすぎぬようにな。校則で菓子類の持ち込みは禁止だ。もし見つけたら我々教師は没収せねばならなくなる。私たちに見えぬところでやれ。以上!」
北極星は教師側の本音をぶちまけてからホームルームを終え、退出する。進は北極星の言葉に苦笑いするが、自分にとっても他人事ではないことに気付く。
(エレナはチョコ、くれるんだろうか……)
何回目かの席替えの結果、進とエレナの席はかなり離れてしまっている。朝、エレナがチョコを渡しに来なかったのはそれが原因だろう。
(本命、なんだろうな……)
進はちらりとエレナの方を見た。エレナは意味ありげに微笑み、視線を返す。
(俺はどう返事すればいいんだろう……?)
ここ数ヶ月でやっぱり進とエレナの仲に進展はない。進が戦後処理で忙しかったのと同様に、エレナも忙しかったのだ。
エレナは新型量産GDのテストパイロットを担当している。こちらも試験が佳境に入っているということで、エレナは新年に入ってからしばしば学校を休んでGDを飛ばしていた。
エレナの気持ちが本物であることはわかっている。進のことをこれほどまでに思ってくれる女の子など、他にはいないだろう。
進もエレナの気持ちに応えたい。しかし今のところ、進の中で前進することへのためらいの方が大きいのだ。
去年はどうしただろうか。確か明野町の倉庫でチョコを渡そうとするエレナから逃げ回り、パイロット仲間に「進はへたれだなあ」と笑われた。
去年のようにまた保留にする? いつ死ぬかわからない仕事をしているのに?
そこまで考えても、胸のつかえはとれない。エレナを選ぶということは、他を選ばないということなのだ。
(成恵……。俺は……)
前回の戦いで進は自分にとっての成恵──南極星を選ばず、北極星とともに戦うことを選んだ。結果、南極星は北極星と戦って敗死し、この世から永久に退場した。
エレナを選べば同じように、北極星を退場させてしまうことになるのではないか。バレンタインのチョコぐらいで大袈裟な気もするが、進はそのことが怖くて怖くてたまらないのだ。
北極星と肩を並べて戦えるのは同じグラヴィトンイーターの進だけである。進は今まで北極星のためならどんな危険にも飛び込めたし、北極星が危ないときは真っ先に助けようと動くことができた。
もしエレナと付き合い始めたとして、果たして進は同じことを続けられるのか。守るべきものが後方にあるのは今までと同じだとしても、優先順位が変わってしまわないか。進は自分の変質を恐れていた。
また、変わってしまうのは自分だけではないかもしれない。北極星だって、今までのように進のフォローができなくなるかもしれない。逆に進を死なせるわけにはいかないと気負いすぎて、自分を犠牲にする可能性もある。エレナが進と一緒に前線に出ると言い出すかもしれない。どうにもネガティブな予想ばかりが湧きだして、頭から離れなかった。
前回の戦争でエレナの覚悟はすでに聞いている。いい加減、答えを出さないのは不誠実だ。わかっていながら、北極星のことを思うと体が動かない。今まで北極星が進の隣にいるのは当然だったし、エレナがいるのも当然だった。どちらかが消えてしまうかもしれないと思うと、足がすくむ。
結局進は、一日中エレナから逃げ回った。我ながら情けない。自分の気持ちは定まっているはずなのに、最後の一歩を踏み出す勇気が出なかった。
進が教師の近くにいればエレナはチョコを渡せない。進はそれを利用してあえて教師陣に話しかけたりしてエレナを寄せ付けなかった。昼休みは危なかったが、北極星と食堂に行ってエレナから逃れた。
何と惨めなのだろう。逃げれば逃げるほど罪悪感で体が重たくなってくる。しかし一度逃げ出せば逃げ続けずにはいられない。酷い悪循環だ。
こうしてエレナを避けたまま放課後を迎える。進は終業のチャイムが鳴ると同時にダッシュで教室から遁走し、いったん男子トイレに隠れ、時間を置いてから屋上に上がった。普通に帰っても家で待ち伏せされるだけだからだ。ここは意表を突いて屋上から〈プロトノーヴァ〉で飛び、土浦基地の自室に退避しよう。
進が屋上のドアを開けると、そこには北極星がいた。
「北極星……? なんでこんなところに?」
すでに日は落ち始めていて、周囲は薄暗かった。視界の果てを、夜の闇と夕焼けのオレンジのグラデーションが彩っている。空を見上げれば、天頂に輝く北極星を中心として無数の星たちが煌めき始めていた。
進の間抜け面を見て、北極星は答える。
「決まっているであろう。施錠に回っているのだ」
「そ、そうか……お勤めご苦労さん」
北極星がいるのであれば、屋上からGDで飛行する作戦は使えない。GDを私的利用するなと怒られる。
「貴様は何をしに来たのだ? エレナから逃げてきたのか?」
ニヤニヤしながら北極星は言う。きっちり見透かされていた。観念した進は心情を吐露する。
「ああ……。エレナの気持ちに応えたら、俺の戦いが変わっちゃって……大切なものを失ってしまうんじゃないかって思えてさ……」
その大切なものが北極星だとは言えなかったが、進の不安の正体は伝わったようだった。北極星は進をばっさりと斬る。
「それは言い訳にしかならぬな。貴様には大切なものとやらを守る力がある」
進は銃を持つことを選んでしまった人間だ。進の銃は災いを呼ぶかもしれないが、守る力もある。
ましてや進は常人が持ち得ない力を持っている。左手の包帯の下に埋め込まれたグラヴィトンシード。左手薬指にはめられた〈プロトノーヴァ〉の指輪。これほどの力を持ちながら大事なものを失うとすれば、それは進本人の責任という他ない。
「そうだな……」
進はうなだれる。進はいったい何を恐れているのか。
「受け取れ、進」
北極星は懐からポッキーの箱を取り出し、進に手渡す。北極星の意図がわからず、進はポッキーの箱を手に固まる。
「たまにはもらうのではなく、あげるのも乙なものだな。ほら、遠慮するな」
北極星は進が手にしたままのポッキーの箱を開ける。取り出した一本のポッキーを、北極星は進の口に突っ込んだ。されるがままの進は目を白黒させながらポッキーを咀嚼し、飲み込む。
「私のような美少女にポッキーを食べさせてもらえるのは、貴様だけの特権だぞ?」
北極星は得意げに言って、進は苦笑いを浮かべる。
「自分で美少女っていうなよ……」
そんなことをいえる歳でもないだろう。一周目の世界と二周目の世界は合計二十年の隔たりがある。今進は十八歳なので北極星は……。いや、これ以上いけない。
「進、貴様が本当に恐れているのは、私が貴様の前からいなくなることだろう?」
北極星はド直球を投げ込んできた。ここまで進は自分自身さえごまかしてきたが、北極星にはどんな隠し事も通じない。
「その通りだな……」
幼馴染みだとか相棒だとかいっても、結局のところ進と北極星は男と女だ。進に彼女ができれば今までのような関係は難しい気がする。どんなに取り繕おうが、進の不安はここに収束するのだった。
進の不安を見抜いた上で、北極星は尋ねる。
「なあ、進。私が付き合ってくれといえば貴様はどうする?」




