37 回天
中国の首都燕京、天安門広場の地下。劉凱征はコンクリートに囲まれた狭い部屋で地べたに座り込んでいた。
燕京地下城の異名を持つこの核シェルターは冷戦時代、中国とソ連が対立していた頃に建造された。もう使われておらず、密かな観光スポットとなっている場所である。
三十万の人民を動員して人力で作り上げられたシェルターの居心地は最悪だ。まともな換気装置、排水設備がないため床の所々に水が溜まり、コンクリートの壁はカビで黒ずんでいる。壁には色あせた毛沢東のポスターが貼りっぱなしで部屋の隅にはゴミが整理もされず無造作に積まれているなど、ろくに手入れもされていなかった。
本来なら劉は核戦争が始まっても人民議事堂の地下深くにある新型の核シェルターで側近に囲まれ、快適に過ごせるはずだった。それがどうして、たった一人ですでに放棄されて久しい鼠の巣穴に逃げ込んでいるのか。
「漢奸どもめ……! まさか化け物を引き入れるとは……!」
劉は一人悪態をつく。劉の側近たちは〈スコンクワークス〉と通じていたのだ。〈スコンクワークス〉は劉の要請に応えたふりをして中国にやってきて、内陸まで入り込むと本性を現した。〈スコンクワークス〉の専用GDは軍機であるはずの核ミサイル発射基地の場所を正確に攻撃して次々と壊滅させた。
劉も当然対処はした。劉は燕京軍区と瀋陽軍区の全空軍戦力を〈スコンクワークス〉のグラヴィトンイーターにぶつけたのである。台湾、琉球攻略作戦の途中であるが裏切りに備えて劉は主力を温存していたのだ。
結果はみじめなものである。数百機に及ぶ中国自慢のGD部隊はわずか四機の専用GDを捕捉できず、やりたい放題をやられた挙げ句同士討ちで自壊した。地上もブラックホールによる攻撃を受け、空軍の支援に動いていた陸軍も壊滅した。
軍の後ろ盾を失った劉はいよいよ権力への野望を露わにした側近たちから逃げようとする。ところが今まで散々甘い汁を吸わせてやったにもかかわらず、劉に付き従う者はほとんどいなかった。数少ない劉の味方も逃亡の途中で一人また一人と追っ手に狩られ、劉は一人で燕京地下城に潜むはめになったのだった。
劉の潜んでいる部屋のすぐ近くで足音がする。追っ手はすぐそこまで来ていた。劉は懐から護身用の拳銃を取り出す。
「クソ……! ただでは死なんぞ……!」
足音はまっすぐこちらに向かってくる。足音は部屋の前で止まった。
「居たぞ! こっちだ!」
「反革命分子を撃ち殺せ!」
若い兵士たちが小銃片手に乗り込む。銃声が数度響き、やがて真っ暗な地下室は静寂に包まれた。
○
「貴様か、ジュダ・ランペイジ……!」
北極星は相手の正体を知り、苦々しい表情を浮かべた。世界で二人目のグラヴィトンイーター、ジュダ・ランペイジ。戦場に出られないイカルス博士に代わって軍を指揮する彼女は、〈スコンクワークス〉の実質的な総司令官だ。一周目の世界で専用GDを率いての戦闘を何度も経験しており、この世界で唯一北極星と同格の軍人といえるだろう。そんなジュダが、三機の専用GDを率いて北極星の前にいる。
勝てない戦力比ではない。先程の戦闘で消耗しているとはいえ、普通に考えれば北極星が指揮する二個飛行隊にはジュダたちを敗走させられるだけの力がある。
だが、〈スコンクワークス〉の目的がはっきりしない。戦うべきか、戦わざるべきか。判断材料がない。
『一体何が目的だ?』
北極星に代わって、稲葉がジュダに問う。ジュダは平然と答えた。
『見ればわかるでしょう? 我々の目的は中国軍の殲滅です』
確かに状況を見れば、〈スコンクワークス〉のGDが中国軍の基地を破壊したようにしか思えない。だが、どうしてそんなことをする必要があるのか。
『自衛のためですよ。中国はハワイに核攻撃を行おうとしていました』
『……?』
稲葉の混乱が通信機を介して北極星に伝わる。中国が狙いを定めていたのは日本だ。〈スコンクワークス〉が拠点を構えるハワイを攻撃しても全く意味がない。「黒い渦」を消す手立てを失い、自分の首を締めるだけだ。
しかしグラヴィトンイーターである北極星は、ジュダが言わんとしていることを理解した。
「イカルス博士が未来を見たのだな……?」
『ご明察。ドクター・イカルスは中国からの攻撃を受ける未来を見てしまいました。我々はやむなく自衛のために中国への先制攻撃を行ったというわけです』
ジュダは誇らしげに語るが、北極星は気にくわなかった。
「フン……。未来が見えるのなら、戦いを避ける方法を考えればどうなのだ?」
戦いの専門家である北極星なら、そちらの方向を検討する。専門家だからこそ、戦争が大いなる無駄で、不確定要素が多く、リスキーであるということをわかりすぎるほどにわかっているのだ。
数万からの軍勢を支えるのにどれほどの物資が必要か。国家、国民にとってどれほどの負担になるのか。勝っても国家が傾けば意味がない。粛々と牙を磨き、戦わずに抑止力となっているのがローリスクハイリターンだ。
まともな神経をしていれば、専業軍人は軽々しく戦おうとは言わない。どうしようもない状況になって初めて、軍人は最終手段を使うかどうか検討する。シビリアンコントロールによる二重、三重のセーフティも用意されていて、弱い者いじめならともかく、現代の国家は簡単に破滅的な戦争を決断したりしない。
ところが〈スコンクワークス〉は違う。ジュダは北極星を嘲笑った。
『あなた方軍人がそんなだから我々は苦労するのです。技術の進歩に犠牲はつきもの。私たち人類は、いつ目的のために手段を選べるほど偉くなったというのですか? 犠牲の先には、必ず救済があります』
なぜジュダは、〈スコンクワークス〉は、こうも傲慢なのか。理由はわかり切っている。戦いの犠牲となる人間の中に、自分たちが含まれていないからだ。
〈スコンクワークス〉は少数精鋭主義を貫いている。実働戦力として働いているのは、十三人のグラヴィトンイーターだけだ。残りの構成員は戦闘要員ではなく、技術者とその家族である。〈スコンクワークス〉の脅威はイカルス博士の未来予知に基づき、専用GDを駆るグラヴィトンイーターがどんな軍隊の追随も許さない戦闘力で排除してしまう。
彼らの戦いに損害という概念はない。専用GDの性能は一騎当千で、イカルス博士の未来予知まで加わるのだ。〈スコンクワークス〉はノーリスクの戦闘を相手に強要できる。
高性能な量産GDを多数運用する日本軍やアメリカ空軍が相手ならわからないが、中国空軍程度なら全く相手にならない。機を見て各個撃破してしまえば、パーフェクトゲームで勝利することができるのだ。眼前に立ちはだかる四機のGDには、全く被弾した形跡がなかった。
「救済を押し付けて回るのは、神とテロリストだけだ」
北極星のあてつけに、ジュダは大真面目に応じる。
『その通り。ドクター・イカルスは人類で最も神に近づいたお方です。なぜあなた方はドクター・イカルスの新型重力炉開発に協力しないのですか? あなた方はドクター・イカルスが世界を変える礎となるべきだ』
〈スコンクワークス〉は国家ではない。イカルス博士というカリスマを頂点とした狂信者集団だ。イカルス博士の理想のためなら、人を殺すことなど何とも思っていない。テロリストに限りなく近い技術者集団。世界最悪のアンタッチャブル。それが〈スコンクワークス〉の実態だった。
北極星は吐き捨てる。
「なぜ私たちが気○いに刃物を与えるような真似をせねばならぬだ?」
〈スコンクワークス〉の意思決定は、イカルス博士に一任されている。異世界人の住居となっている空中戦艦〈ノアズ・アーク〉の全てを把握しているのはイカルス博士だけなので、誰もイカルス博士に逆らえない。そうでなくてもイカルス博士のグラヴィトンイーターとしての力はずば抜けている。科学者、技術者としての実績も段違いだ。〈スコンクワークス〉の構成員たちは喜んでイカルス博士に従っていた。
しかし、いくらイカルス博士が万能の天才であっても、一人の人間が巨大な組織を操っている状況が健全とは言い難い。構造的には独裁国家と同じだ。イカルス博士の暴走を抑止する仕組みが一つもない。
核ミサイルの発射スイッチを握った独裁者が錯乱すればどうなるか。イカルス博士が新たな重力炉を作る手助けをするのは、即ちリスクであると言わざるをえない。専用GDの製造を委託するのとはわけが違う問題だ。
これだけ北極星に侮辱されても、ジュダは余裕の笑みを浮かべていた。
『相変わらず無礼ですね。しかし、許してあげましょう。蟻に噛まれて怒る象などいません。私たちがその気になれば、あなたたちなど一瞬で踏みつぶすことができます』
専用GD四機の戦闘力は〈疾風〉一個飛行隊を超えるといわれる。だが、北極星が連れてきたのは〈疾風〉の二個飛行隊だ。これだけの数を相手にしてはいくら高性能な専用GDでもただではすまない。少なくとも、これまでの想定であれば北極星たちはジュダに勝てる。
しかし、技術は進歩するものだ。北極星はジュダの機体から不穏な空気を感じ取っていた。
『こちらの計画通りに動いてくれたあなた方には感謝しなければなりません。煌進はグラヴィトンイーターとして未熟すぎるにもかかわらず、無茶をする。彼が収集した実戦データがなければ、GD搭載型重力炉は完成しなかったでしょう』
ジュダの機体がマントを捨てる。厚い装甲に覆われた、黄色い機体が姿を現した。イカルス博士が開発した最初の専用GD〈ノーヴァ・ジェネシス〉である。
拡張性を確保するため機体は余裕を持って設計されており、〈ヴォルケノーヴァ〉より二回りほど大きい。にもかかわらず「GDはグラヴィトンイーターの四肢、感覚器の延長ある」というイカルス博士の理想を体現し、〈ノーヴァ・ジェネシス〉の体型は人間のそれと変わらないバランスを保っている。黄色の分厚い装甲からしなやかな手足が覗く様は神秘的で、鋼の天使が降臨しているように見えた。
外見の存在感も凄まじい〈ノーヴァ・ジェネシス〉だが、問題となるのはその中身である。グラヴィトンイーターである北極星には見えてしまう。〈ノーヴァ・ジェネシス〉の内部からは濃密な重力子が安定してパイロットに供給されている。
今の〈ノーヴァ・ジェネシス〉は重力子を外に依存する〈ヴォルケノーヴァ〉とは世代が違う機体だ。有り余る出力を推力にも攻撃にも回せる。その戦闘力は従来型専用GDを大きく超えるだろう。
「これも未来を覗き見た成果か……! いい趣味をしているな」
次世代型技術を簡単に完成させたからくりもこれだ。イカルス博士は十一次元魂領域にある自分の意識体と直接交信し、未来を知ることができる。しかしイカルス博士が交信できるのは、あくまで自分だけだ。自分の過去と未来を覗くことはできるが、自分が体験しない時間については知ることができない。
なのでイカルス博士は現在で行動することで未来を変える。今回の場合、イカルス博士はまず南極星に指輪を渡すことで戦争を起こした。危機的状況に置かれた進はグラヴィトンイーターとして成長し、〈プロトノーヴァ〉のフルスペックを引き出す。〈プロトノーヴァ〉の金星級重力炉は試作品の役目を全うし、いくつものエラーを吐き出しながら稼働する。そうしてGD搭載型小型重力炉の貴重な実戦データは収集された。
集まったデータを元にイカルス博士は試行錯誤して、GD搭載型重力炉を作成する。GD搭載型木星級重力炉が完成するまでには十年単位で時間が掛かっているはずだが、作ったのはイカルス博士だ。現在からでもイカルス博士は情報を得ることができる。あるいは、イカルス博士は未来から重力炉を送ってもらったのかもしれない。
ともかく、イカルス博士は本来この時間に存在するはずのないGD搭載型木星級重力炉を手に入れ、ジュダに与えた。残念ながら〈ヴォルケノーヴァ〉+〈疾風〉二個飛行隊という今の戦力ではジュダたちに勝てそうにない。
全滅覚悟で戦えばジュダと相討ちくらいには持ち込めるかもしれないが、あまり意味はないだろう。ジュダを倒してもGD搭載型重力炉の技術が消えるわけではないのだ。
『ふ、ふざけるなよ! 俺たちは、おまえらなんかに屈しない!』
北極星が制止したにも関わらず、味方の一人がレールカノンを発射しようと砲門を〈ノーヴァ・ジェネシス〉に向ける。しかし次の瞬間、〈ノーヴァ・ジェネシス〉をはじめとする〈スコンクワークス〉のGDは黒い渦に飲み込まれ、消えてしまう。
『どこだ……!?』
敵機を見失い動揺する部隊を北極星は一喝する。
「馬鹿者、後ろだ!」
『えっ……! うわぁっ!』
〈ノーヴァ・ジェネシス〉に砲を向けた〈疾風〉は、後方からレールカノンの一撃を受けて炎上爆散する。〈ノーヴァ・ジェネシス〉は内蔵された重力炉のエネルギーを使ってブラックホールを生成し、瞬時に北極星たちの後方に移動したのだ。日本側の部隊は動揺のあまり動けない。ジュダは不敵に笑う。
『あなた方がやる気なら、お灸を据える程度の戦闘は許可されているのですよ……! いずれは日本軍も我々と戦うことになるのは間違いありませんからね……!』
北極星は舌打ちする。戦っても大損害は間違いないし、貴重なグラヴィトンイーター同士の実戦データが〈スコンクワークス〉に渡ることになる。だからといって黙って殺されるわけにもいかない。仕方なく北極星が攻撃命令を出そうとしたまさにその瞬間、オープンチャンネルに割り込む声があった。
『だったら俺が撃っても正当防衛だな!』
上空で〈プロトノーヴァ〉がレールカノンを構え、〈ノーヴァ・ジェネシス〉に照準をつけていた。