34 残された者
美月は祈るように空へと昇っていく〈プロトノーヴァ〉を見送った。進なら大丈夫だ。必ず美月たちを守りきってくれる。
美月は〈プロトノーヴァ〉の姿が見えなくなったところで基地に戻り、医務室に向かう。医務室のベッドにはエレナが横たわっていた。少しなら話をしていいという許可を美月はもらっていたのだ。
「お兄ちゃん、行ったよ」
「窓から見ていましたわ。進さんならやってくれます」
エレナの表情は穏やかで、進を信じ切っているということが美月にもよく伝わった。美月は無茶な戦いに出向かせてしまったことをエレナに謝る。
「ごめんね、エレナちゃん……。私が無理言ったせいで、こんなことになっちゃって……」
「いえ、私がやりたくてやったことですから……」
幸いすぐに回復したが、エレナは一時凍傷と呼吸困難で危ない状態だった。エレナは機体がダメージを受けてコクピットに外気が流れ込む状況で、高々度の雲に潜んでいたのだ。低温、低気圧で酸素が薄い高々度は普通の人間であるエレナにとって、あまりに苛烈な環境である。エレナを診察した医師は「意識を保っているだけ奇跡」と言ったほどだ。
基地に戻ったエレナにはすぐに加温措置がとられ、肺水腫の疑いから利尿剤を投与された。酸素マスクまで装着させられて、立派な重傷患者の完成である。
美月は「エレナちゃんが死んじゃう!」と思わず取り乱した。そしてその後すぐ、アメリカ軍が近くまで迫っているという情報まで入ってくる。しかしエレナはまるで動揺する様子を見せず、「進さんがいるから大丈夫です」と気丈だった。
「ゆっくり休んでてね、エレナちゃん。あとはお兄ちゃんが何とかしてくれるから」
そう言って笑顔を作りながら、美月は自分の無力さを悔しく思う。力さえあればエレナにこんな傷は負わせないし、進についていくことだってできた。
面会時間が終わり、美月は基地内にあてがわれた部屋に戻る。厄介者が基地内をうろうろすると進の立場にも響きそうなので、部屋で大人しく全てが終わるのを待つつもりだった。
ベッドに座って美月は考える。どうすれば美月は進と共にいられるだけの力を得ることができるだろう。
(軍に入るしかないわね……)
順当に考えれば高校卒業後に国防大学にでも入って、進や北極星と同じGDのパイロットを目指すということになるだろう。美月の成績なら学力試験はあってないようなものだ。今の成績をキープし続ければ確実に受かる。
また美月の運動神経はそこそこで、エレナと同程度だ。現役の女子パイロットと遜色ないということなので、体力面も大丈夫だと思われる。
問題は体格くらいだが、美月の成長期はまだ終わっていない。わずかずつではあるが身長は毎年伸びている。
(毎日牛乳飲んでるし……胸もちょっとだけど大きくなったし……。うん、大丈夫)
障害となるのは第一に進の存在だ。美月が軍に入るなんて言い出したら、絶対に止めようとするに決まっている。あの馬鹿兄貴は自分はいくらでも危険に首を突っ込むくせに、他人にはそれを許さないのだ。
今まで軍隊に入ろうなんて考えたこともなかった理由も進である。美月だって進に心配を掛けたいわけではないのだ。
美月はこれまで進の言う通り、普通の大学に進学して普通の職業に就くつもりだった。いつ進が戦いで働けない体になって帰ってきても受け入れられるよう、自分がしっかりしていないといけない。でも軍人として命のやりとりをする兄の姿を見た瞬間、そんな堅い考えは吹き飛んでしまった。
進の近くで進を助けたいと思う一方、美月がそうすることを進は必ず嫌がる。まず美月は進を説得するか屈服させるかしなくてはならない。
第二に軍で普通に力をつけていくのでは、進の力になれるまで時間が掛かりすぎる。パイロットになるまでなら数年、幹部級に出世するには十年単位の時間が必要だ。今この瞬間も進は戦っているのに悠長過ぎる。
(最短ルートで強くならなきゃ……。そのためには……)
方法はただ一つ。グラヴィトンイーターになることだ。
進と同じだけの力がなければ、とても進の力にはなれない。グラヴィトンイーターの概要は進から聞いていた。重力子を糧とする不老不死の超人であり、専用GDの力を借りれば時空さえも超えられる。
相応の覚悟や代償が云々と進やエレナは美月を止めようとするだろうが、そんなことはどうでもいい。だいたい世界を滅ぼせるだけの力を手に入れて、正義だの孤独だのと悩むフィクションのヒーローがおかしいのだ。不老不死で最強。最高ではないか。
こんな風に思うのはきっと、美月が進やエレナと違って自分の手を汚した経験がないからだ。進もエレナも美月にはそちら側に来てほしくないと思っている。だからエレナは「進を待つのが美月の役割」と言ったのだ。
多分進と肩を並べて戦う役割は北極星のもので、後ろから支援するのがエレナの役割なのだろう。そして進が帰ってくるのを家で待つのが美月の役割。でも知ってしまった以上は、何もしないで見ているだけはイヤだ。
グラヴィトンイーターになるためには、グラヴィトンシードと専用GDの指輪が必要である。この二つをいかに手に入れるかが一番の課題だ。普通のやり方では手に入らないなら、自らの手を汚したっていい。
あてがないわけではなかった。美月は食事の時間になるのを待って部屋を出る。普通なら食堂に行くところだが、美月は道に迷ったふりをしてGDの格納庫に向かう。目論見通り格納庫には越智がいた。
越智は作業服姿のおじさんたちと焼け焦げたビーム砲の前でああでもない、こうでもないと議論している。進が使いすぎで壊してしまった武器の改良案について話し合っているようだ。
美月はいかにも間違ってきてしまいました、というような顔をして不安げにキョロキョロしながら越智たちの前に出て行く。美月の姿に気付いた越智は声を掛けてくる。
「あら? 美月ちゃん、どうしたの?」
「時間なので食堂に行く気だったんですけど、迷っちゃったみたいで……」
美月がそう言うと、越智は時計を見て驚く。
「もうこんな時間なのね! じゃあ、続きはご飯終わってからで! かいさ~ん!」
越智たちは時間も忘れて議論に熱中していたらしい。越智はおじさんたちに議論の打ち切りを宣言して、美月の方に向き直る。
「美月ちゃんも行こうか!」
「えっと、お願いがあるんですけど、ダメですか? 人がいるところではできない話なんですけど……」
美月がそう切り出してみると、越智は中身を喋るように促す。
「お願い? 今ならみんないないから言ってみて!」
先程までいたおじさんたちはすでに夕食のため退出している。広い格納庫にいるのは美月と越智の二人だけだ。まずは越智に探りを入れるつもりだったが、こんなチャンスはそうそうないだろう。意を決して美月は言った。
「私にグラヴィトンシードをくれませんか? 私、グラヴィトンイーターになりたいです!」
「美月ちゃんがグラヴィトンイーター……? なるほど、血縁とグラヴィトンイーター適性の関係を調べられるわね。面白いかも……!」
越智は興奮して笑う。どうやら越智は興味を持ってくれたようだ。こうなれば美月の勝ちである。越智を利用して、美月はグラヴィトンシードを手に入れる。誰からも望まれなくても、美月が望むならそれでいい。
越智は今日美月に出撃前の進と通信させたことから見て、常識より自分の関心を優先する人だと考えていい。「進を動揺させてしまう」「特別扱いは他のパイロットの士気に影響する」と周囲はみんな越智を止めていたのだ。しかし越智は「進の精神の揺れ幅を大きくしないと良いデータがとれない」と言って美月と進の通信を強行した。
「とりあえず、被験者リストに入れておくわ! 次にグラヴィトンシードが入手できたら、適性検査は一番に受けられるようにしておくね!」
越智は日本においてGDの開発だけでなく、グラヴィトンイーター関連の責任者でもある。なのでリストをいじる程度の権限は持っていた。
若干緊張しながら美月は尋ねる。
「このこと、お兄ちゃんや北極星さんに黙っててもらうってできますか?」
「別に良いよ。二人に知られたら反対されそうだしね。内緒で全部やらないと!」
越智はあっさりと受け入れてくれた。続けて美月は最も気になっていることを尋ねる。
「いつぐらいになりそうですか?」
「次に筑波の重力炉でグラヴィトンシード回収作業をするのは来年の予定だよ。でも、実はそれより早く手に入るかもしれないんだよね……」
越智は意味ありげな笑みを浮かべた。これは期待してよさそうだ。
(お兄ちゃんのためなら、私は何だってするよ……!)
やり方が間違っていても関係ない。力さえ手に入れれば、何でもできる。




