4 彼女との再会
アメリカ軍機の攻撃で被弾した〈疾風〉は完全に制御不能の状態に陥っていた。機体は回転しながら下方へと真っ逆さまだ。進はなんとか機体を海岸に向け、不時着を試みる。
「キャアアアッ!」
コクピットの揺れと警告音でエレナが悲鳴を上げ、進が叫んだ。
「畜生!」
機体が砂浜に激突し、轟音が耳をつんざく。機体のグラヴィトンドライブは停止していなかったため、重力も慣性も軽減されていて、不気味なほどに落下の衝撃は小さかった。それでも負荷を掛けすぎた機体の各部は悲鳴を上げて計器類がショートし、煙が吹き出す。
「エレナ、大丈夫か!?」
進は自分の体に異常がない事を確認しながら後部席を振り返る。エレナは目立った外傷はないが、完全に気を失っていた。
「畜生!」
進はもう一度悪態をつき、トランクとエレナをしっかりと抱えて首の付け根の搭乗口から逃げ出す。直後に機密保持のための自爆装置が作動し、機体が爆発した。運よく爆風は進たちの上方をすり抜ける。
墜ちた先はだだっ広い砂浜だった。おそらくは旧神奈川県内のどこかだろうとは思うが、逃げるのに必死で滅茶苦茶に飛んでいたため、正確にはわからない。身を隠せそうなものはどこにもないどころか、地雷が敷設されている可能性さえある。非武装停戦ライン内ならば盗賊の類が出るかもしれない。進はヤケクソで内陸に向かう。
敵機のサーチライトが進たちの姿を照らす。音速さえ軽く超えるGDから、徒歩でエレナを抱えて逃げ切れるわけがない。わかってはいたが進は足を動かすしかなかった。
〈ノーヴァ・フィックス〉はあざ笑うかのようにエレナを担いで必死に走る進を追い越して、進の前に立つ。進は敵機に背を向けて逃げようとするが、敵の頭部機銃が放たれる。
未だに気を失ったままのエレナに覆い被さるようにして、進は地面に伏せる。衝撃で鍵が壊れたのだろう、抱えていたトランクが腕から離れ、開いた。
進はトランクに取りつき、ほとんど落ち込むようにして近くの河口に飛び込んだ。わずかだが段差があり、敵の砲火を避けられる。進はびしょ濡れになりながら、トランクの中身を引きずり出した。海水混じりの水を飲み込んでしまったため、口の中がしょっぱい。梱包材に埋もれた指輪ケースを開き、光る『指輪』を進は手にする。
「これさえあれば、俺だって……!」
稲葉さんから何度も聞かされた、最強のGD〈ヴォルケノーヴァ〉を呼び出す『指輪』。半信半疑だったが、『指輪』は現実に進の手の内にあった。しかし同時に稲葉さんに「絶対に使うな」と言われていたことも進は忘れておらず、進は迷う。
進が葛藤している間に〈ノーヴァ・フィックス〉が膝をつき、中から人影が現れる。進は河口の段差に身を隠しながら、持っている拳銃を人影に向かって撃つ。
「……『指輪』を渡してもらおうか」
低くしゃがれた声を発したのは奇妙、という他ない男だった。
男は二本の角が斜め後ろに伸びた真っ黒な金属製のマスクを被り、青紫色の長い髪を背中に垂らしていた。ゆったりとした黒い軍服が魔術師のローブのようにも見える。黒魔術で呼び出された悪魔は、きっとこんな格好をしていることだろう。
「糞っ、なんなんだよ!」
進は叫ぶが、男は進の発砲をものともせずに、じわじわと近づいてくる。単に進の射撃が下手すぎるだけだが、その落ち着きぶりに進はパニックを起こしかける。やがて拳銃の弾が切れた。このままではやられてしまうのは明白だ。
〈ヴォルケノーヴァ〉が使えれば、このピンチも脱出できる。稲葉さんの使うなという命令もあるが、命あっての物種である。
そもそも部隊の中で、〈ヴォルケノーヴァ〉を使える可能性があるのは進だけだ。その進が、『指輪』を託された意味を察しなければならない。
進は思うように動かない右手を必死に動かし、左手に巻かれた包帯をほどく。白いグラヴィトンシードが露出した。『指輪』の力でグラヴィトンシードを覚醒させてグラヴィトンイーターになれれば、進も〈ヴォルケノーヴァ〉を呼び出せる。
「成恵……! 今、行く……!」
金色の『指輪』を、進はおそるおそる左手の薬指にはめようとする。焦りのせいか、なかなか『指輪』ははまらない。こうしている間にも男は進に近づいてくる。心臓が破れそうな緊張の中で、進は『指輪』を薬指の中ほどまで差し込んだ。進の手の甲から顔を覗かせる白いグラヴィトンシードはまばゆい輝きを放ち、『指輪』がそれに共鳴して振動する。
しかし進にできたのは、そこまでだった。白いグラヴィトンシードはすぐに輝きを失い、『指輪』も動きを止める。『指輪』から電流が流れ、進は思わず左手を抑えた。『指輪』は弾かれたように勢いよく進の指からはずれ、対岸まで飛んだ。
男は無言のまま進のところまで来て銃を向けるが、進の顔を見て銃を降ろす。気配で、男は驚いているのだとわかった。進は生きた心地がせず、エレナを背中に隠して震えるばかりだ。
「ほう……おまえには無理だったか、煌進」
男は進を見下ろしたまま、独り言のように言った。進は尋ねる。
「おまえは……俺を知っているのか!?」
「知っているさ……。おまえは、やがて世界を滅ぼす男だ」
「俺が世界を……?」
思わず進は訊き返す。男の姿格好と言葉から、「中二病」というワードが進の脳内を駆けた。こんな馬鹿馬鹿しい言葉を思い浮かべるあたり、進も深いところでは特務飛行隊での戦いをテレビゲームのように捉えていたのかもしれない。進は戦場に身を置いているということの重大さを、自覚していなかった。そのつけを自分の命という形で精算されようとしている。
男は進の顔を覗き込んだまま嘲るような笑い声を発する。
「ククッ……。もっとも、今はただの糞ガキのようだがな。……む?」
ふいに遠くの方からエンジン音が聞こえ、男は顔を上げる。
一台のバイクが止まっていた。
進の手から離れた『指輪』は、そうあるのが正しいとでも言うかのように、バイクから降りた人影に向かって一直線に転がっていく。
「やはり〈ヴォルケノーヴァ〉は、私を選んだようだな」
声の主が『指輪』を拾い上げる。敵の新手だろうか。日本側だとしても、特務飛行隊は秘密部隊だ。正規軍の軍服なんか着ていないし、身分を明かすことはできず、ゲリラ、テロリストとして射殺されても文句は言えない。海水の冷たさが身に染みる。
「チッ……!」
黒の仮面をかぶった男は〈ノーヴァ・フィックス〉のところへ走り、進だけが取り残された。進は絶望的な表情のまま顔をあげる。
「嘘だろ、おまえ……」
女だった。身長はぱっと見たところ進と同じくらい。端整な顔立ちと紅色の長い髪が漆黒に浮かび、夜に溶け込んだ紺色の軍服と不思議なコントラストを奏でる。
女は背丈のわりには幼い顔をしていたが、その自信たっぷりな目は攻撃的で、美しいという印象を与えていた。背中に流した紅の髪を風に靡かせ、女は腰に下げた軍刀に手を掛け、一定のリズムで揺らしている。少し目尻がつり上がったぱっちりとした吊り目を爛々と輝かせ、女は進を見てオオカミのように獰猛な唇の端でにやりと笑った。
忘れようはずがない。この十年間、進の頭のどこかには、必ず彼女がいた。目の前の女には幼い頃の面影が確かにある。進は、こみ上げる熱いものを抑えながら、その名を呼んだ。
「成恵……! 生きていたんだな……」
進の言葉を女は鼻で笑った。こんな反応も成恵らしい。
「私は焔北極星。世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる……!」
星……? 焔北極星と名乗った女は腰に下げていた軍刀を抜き、進に向けてから不敵な笑みを浮かべる。北極星は軍刀をすぐに鞘に収め、右手にはめていた白い手袋をはずした。
「おまえ、成恵だろう!? 俺のことがわからないのか!?」
北極星と名乗る成恵そっくりの女は何も答えない。進は北極星の右手を見て、我が目を疑う。北極星の右手には、キラキラと光る宝石のような物体が埋め込まれていた。ルビーより紅く、眩しいくらいの輝きを見せるグラヴィトンシード。間違いなくこの女は、グラヴィトンイーターだ。
北極星は進の質問には答えず、警告を発した。
「死にたくなければ、さっさとこの場から離れることだな。来い! 〈ヴォルケノーヴァ〉!」
北極星の目が赤く光る。北極星の右手のグラヴィトンシードが赤い輝きを放った。次の瞬間、まるでガラスが砕けるように北極星の背後の空間がひび割れ、中から紅の巨人が現れる。
白い素体に赤い装甲。背中、肩、脚部と既存機より一回り大きいスラスター類がバランスよく配置されていて、いかにも機動性が高そうである。全身を覆う赤い装甲は一見〈疾風〉あたりと変わらないように思えるが、全高自体が〈疾風〉より一回り大きい。その分装甲も厚いのだ。対GD戦のみを想定しているのか、爆弾やミサイルを搭載するための翼はない。
左肩に刻まれている文字は「PROJECT NOVA」。右肩には「PLAN VOLCANO」。通称、〈ヴォルケノーヴァ〉。時間移動や平行世界間移動も可能とされる、間違いなくこの世界で最強のGDが進の目の前にいた。
○
〈ヴォルケノーヴァ〉の登場で敵が撤退してくれれば楽だったのだが、そうは問屋がおろさなかった。空中にいた敵の〈バイパー〉数機は〈ヴォルケノーヴァ〉を囲むように機動し、照準を合わせようとする。北極星は彼らと戦うことを決断した。
〈ヴォルケノーヴァ〉が北極星に敵機から庇うようにしてしゃがみ、掌を地面につける。北極星が掌に飛び乗ると〈ヴォルケノーヴァ〉は腕を上げ、北極星を背中の搭乗口へと誘った。〈ヴォルケノーヴァ〉の背中を敵のレールカノンが襲うが、北極星は左腕に装備されている盾をそちらに向けることで凌いだ。
「久しぶりだな……」
〈ヴォルケノーヴァ〉のシートに座り、誰に言うでもなく北極星はつぶやく。この機体での実戦は実に一年ぶりである。感傷に浸るのもそこそこに、北極星は空へと舞い上がる。
『着陸しろ! 撃つぞ!』
ヴォルケノーヴァの指輪を追ってきたアメリカ軍の〈バイパー〉が警告を発する。北極星は構わずスピードを上げ、現空域を離脱していく。敵も必死で機体出力を上げ、猪突猛進に北極星を追いかけてくる。
『焔北極星、往生際が悪いぞ』
敵の〈ノーヴァ・フィックス〉から通信が入った。北極星は余裕の笑みを浮かべ、返事をする。
「ファウスト。往生際が悪いのは貴様ではないか? 私には勝てないとわかっているから手を出せないのだろう?」
『……』
二本角の黒い仮面をかぶっている男──ファウストは何も答えなかった。代わりに〈バイパー〉を駆るファウストの部下たちが激昂する。
『貴様! ファウスト大尉を愚弄しているのか!?』
ファウストの部下は日本語で怒りを露わにする。ファウストは日本を裏切って、西日本アメリカ合衆国亡命政権に協力している日本人を率いていた。
三機の〈バイパー〉が前に出てきて、レールカノンを撃ち込んでくる。ファウストは部下達を制止しようとはしなかった。勢いに任せてあわよくば北極星を撃墜しようという作戦のようだ。〈ヴォルケノーヴァ〉は低空を素早く左右に動き、敵の砲弾を全て避けながら腰にマウントされていた60ミリレールカノンを装備する。
〈ヴォルケノーヴァ〉は徐々に高度を上げていく。左右に回避機動をとりながらでも、推力が違うので〈バイパー〉は北極星の〈ヴォルケノーヴァ〉に追いつけない。敵機は追いつくのに必死で北極星の反撃に備えることを忘れ、まっすぐ飛ぶだけになっていた。
〈ヴォルケノーヴァ〉は瞬時に振り向き、レールカノンを発射した。北極星はオレンジ色の軌跡が敵機に向かうのを確認もせずに再び反転する。次の瞬間、爆音が夜空に響いた。同時に〈ヴォルケノーヴァ〉は真横にすばやく方向転換し、敵機のレーダーから逃れる機動をとる。今日はアメリカの「黒い渦」が元気なのか、電波状態が悪い。これで相手のレーダーからは〈ヴォルケノーヴァ〉が消えたはずだ。
敵の編隊はそれ以上追いかけてこなかった。ファウストの〈ノーヴァ・フィックス〉なら北極星の〈ヴォルケノーヴァ〉にも追いつけるが、ここはすでに日本空軍が支配する空域だ。無理な深追いを避けて撤退したのだろう。
「……まだ大丈夫のようだな」
久しぶりの戦闘でも己の体調に変動がないことを確認し、北極星はその場から離脱した。