31 フルスロットル
進はブラックホールに飛び込み、筑波上空に姿を現す。使用済みのブラックホールは機体の金星級重力炉に取り込んだ。重力炉は宇宙空間上のブラックホールとつながっているので、宇宙に捨てたのと同じように地上への影響を残さず始末できる。
進は眼下の風景を見下ろす。筑波市街は不気味なほどに静かで、煙の一つも上がっていない。進はホッと安堵の息を吐く。まだアメリカ空軍の空爆は始まっていないようだ。市街に車の一つも見当たらないのは、非常事態宣言が発せられているからだろう。
ぼんやりとはしていられない。アメリカ空軍GDはいつ筑波に侵入してくるかわからないのだ。進は通信回線を開いて土浦基地に連絡を取る。
「煌進だ! 状況はどうなってる?」
通信機からはしゃいでいるような声が聞こえる。
『あ、進君? 戻ってこられたんだ! イカルス博士のGD内蔵型重力炉はさすがね! ワープってどんな感じなの? 機体に影響はない?』
「その声は、越智教授ですか? どうして越智教授が通信に?」
進は越智の矢継ぎ早な質問を無視して尋ねる。越智は暢気な口調で答えた。
『なんか人手不足みたいで頼まれたの。この仕事引き受けたら、進君から聞き取り調査できるでしょ?』
越智は〈プロトノーヴァ〉の金星級重力炉に興味津々のようだった。進は嘆息し、アメリカ軍の様子を訊く。
「……戻ったらいくらでも調べてください。それより、アメリカ軍はどうしていますか?」
『GD部隊は一旦補給のために撤退したみたい。アメリカ陸軍はそろそろ動きそう! 日本陸軍は鬼怒川でアメリカ陸軍を食い止める作戦を立ててるよ~』
古河と筑波の間には鬼怒川、小貝川という二本の河川がある。この二本の川に挟まれた下妻が、事実上の最終防衛拠点だった。下妻の西隣が筑波市なのだ。下妻の西方を流れる鬼怒川で敵を食い止められなければ、筑波市に砲火が及ぶことになる。
『こっちのGDは進君の〈プロトノーヴァ〉一機だけ! なかなかハードモードね』
他人事のように越智は言う。進は首を傾げた。
「第305飛行隊は全滅したんですか?」
第305飛行隊(近衛飛行隊)は古河の防衛に駆り出され、大損害を被ったと聞いていた。しかし一機残らず撃墜されたということはさすがにあるまい。数機でも残っていれば、傷ついた〈プロトノーヴァ〉の支援を頼める。
『半分くらいは残ってたかな~? でも、残った機体は全部護衛で内閣と皇帝に連れてかれちゃった! 今頃仙台にいるんじゃない?』
ため息をつきたくなるような第305飛行隊の行き先に、進は頭を抱える。大方政府は第305飛行隊が敗退して古河が陥落した時点で、筑波を守りきるのは不可能と見たのだろう。丸腰で逃げれば不穏な動きをしている南東北方面軍に何をされるかわからないため、第305飛行隊の残りを付き添わせた。アメリカ軍の侵攻を許した日本軍も不甲斐ないのだが、残っている陸軍と筑波市民は政府に見捨てられた格好である。
『下妻のレールカノン陣地は生きてるらしいから、頑張ってね~! 〈プロトノーヴァ〉を直したいなら土浦基地に寄って。時間ないと思うけど』
越智の言う通り、のんびり機体の修理をしてもらう時間はなかった。こうなったら、進が一人で何とかするしかないのだ。進軍中のアメリカ陸軍を空襲して、壊滅させる。進は西に進路を取り、アメリカ軍を捜し始めた。
すぐにアメリカ陸軍は見つかった。アメリカ陸軍の機甲部隊は空軍を待っているのか、鬼怒川の手前で進軍を停止している。今、叩くことができれば筑波にアメリカ軍が侵入するという最悪のシナリオは防げるだろう。
進は陸軍に狙いを定めるが、護衛についていたアメリカ空軍の〈バイパー〉四機が迎撃してくる。進はまず、彼らを片付けなければならない。通信の解析から敵はアメリカ空軍第442飛行隊と判明している。春の戦争で壊滅した部隊が護衛に回されているようだ。
〈プロトノーヴァ〉は左腕と盾を失い、四基の推進器のうち一基が故障している。量産機相手なら機動性はまだ優位であるが、盾がないのは辛い。盾は即席の中空装甲として優秀だ。弱い間接を隠すこともできる。盾なしで敵に挑むのは、裸で外を走ってこいと命令されたに等しい。
だが、おびえている場合ではない。進がここで勝てなければ、筑波はアメリカ軍に蹂躙されてしまうのだ。進はレールカノンを右手に装備して〈バイパー〉の編隊に立ち向かってゆく。
「落ち着け……! 〈プロトノーヴァ〉なら、勝てる……!」
進は自分に言い聞かせつつ、敵機編隊の前を横切るように機動する。挑発的な進の行動を見ても敵機はみだりに撃ち返したりせず、レールカノンを構えて様子を伺うばかりだ。進が隙を見せたところで一斉射撃を叩き込む気なのだろう。
敵は熟練の指揮官が率いた歴戦の部隊と見て間違いない。〈プロトノーヴァ〉は決して軽くない損傷を抱えている。これまで量産機にやってきたように、機体性能に任せて強襲をかけても成功しないだろう。
ならば活かすべき〈プロトノーヴァ〉のアドバンテージは何か。ここで進は〈プロトノーヴァ〉に積まれている新型レーダーのことを思い出す。ハードの性能だけで勝てないなら、ソフトの性能差を上乗せすればいい。テストの前に一晩中行われた越智の講釈は無駄ではなかった。
進は編隊の側面に回り込み、レールカノンを放つ。相手は予測していたようで、進が狙った機体はきっちりと盾で防御した。他の〈バイパー〉は散開して進に砲門を向ける。
進は敵に背を向けて一目散に逃げ出した。当然敵部隊は追いかけてくるが、すぐに追撃を取りやめる。地上のレールカノン砲塔が砲撃を開始したのだ。レールカノン砲塔は〈プロトノーヴァ〉とデータリンクしているため、〈プロトノーヴァ〉がいれば精度は上がる。進は敵を味方陣地に誘い込もうとしたのである。
敵もこの程度の罠には乗ってくれない。進はそのまま距離をとり続け、〈バイパー〉の索敵圏内から逃れる。
〈バイパー〉に搭載されたレーダーの探知距離は三十キロ前後。〈プロトノーヴァ〉は理論上この2倍程度の探知距離を誇る。所詮は試作品なのであまり信用しすぎてはいけないが、スペック通りにレーダーが働けば敵には見えないところに潜み続けることが可能だ。
見たところ、敵との距離が四十キロほどならレーダーはまともに働いてくれるようだった。逆にそれ以上離れるとレーダーマップにノイズばかりが映り込むようになる。進は敵機との距離を慎重に調整し、つかず離れずを保つ。
あまり南に近づきすぎてもいけない。筑波と東京の距離は五十キロ程度しかないのだ。千葉方面の敵に見つかってしまう。進は上空で待機を続ける敵編隊の北側に回り込み、フルスロットルで急襲をかける。
レールカノンの有効射程は八キロ。〈プロトノーヴァ〉にはステルス性がないため、その距離まで接近すれば発見されてしまう。マニュアル通りに進行すれば〈プロトノーヴァ〉が敵のレーダーに映ってから引き金を引くまで、二十秒ちょっとだ。敵が反応できないほど短い時間ではない。敵は回避機動をとりつつ盾を構え、進の攻撃をやり過ごして反撃に移るだろう。
いかに敵の反応速度を超えるかの勝負である。敵の索敵圏内に侵入するまでの間に充分に加速して速度を上げ、敵に何もさせないことだ。
進は敵から離れている間に高度を回復させ、急降下と急加速で限界まで速度を絞り出す。万全なら極超音速──マッハ五以上を出すのも難しくない〈プロトノーヴァ〉であるが、機体のダメージを鑑みるに最高速度を出すのは自殺行為だ。空気との摩擦熱で機体が燃え上がってしまう。それでも敵を倒すため、進はチキンレースに臨む心境で速度を上げ続ける。
切断された左手の断面が熱で真っ赤になった。装甲の傷が入った部分も熱で融解してじわじわ溶け始める。コクピットには警報が響き、機内の温度が上がっている。進がグラヴィトンイーターでなければ、この熱さだけで操縦不能に陥っているだろう。
加速Gも無視できない。Gで体が座席に押し付けられ、骨がミシミシと音を立てて軋んでいた。加速と急降下を同時に行っているため血流は頭部に集中し、頭痛と不快感が進を襲う。外部カメラからの画像は脳に直接投影されるため操縦に影響はないが、眼球にまで血が侵入し、視界が赤く染まった。カメラもいくつか熱と被弾でだめになっているのか、進の見ている映像にも欠損が出ている。
ここまで限界に近づくのは進にとって初めての経験だ。この場に北極星のバックアップはない。切り札は進の全力全開だけである。
(まずは一機……! 一機墜とせれば、俺は勝てる!)
〈プロトノーヴァ〉が敵のレーダーに捉える頃には、秒速三キロを超えていた。弾道ミサイル並みの速度である。敵は全く反応できない。専用GDがしっかりと助走をつければ、これ以上の速度を出すこともできる。
普段やらないのは、パイロットや機体への負担が大きすぎるからだ。量産機を大幅に上回る加速力を活かして機動性の勝負をした方が、安全かつ確実に勝てる。いくら速度を上げても動きが直線的なら被弾はまぬがれないのだ。その上、機体もパイロットも保たないので最高速度を維持できる時間は極端に短い。速度での優位はリスクが大きい割にリターンが微妙だった。
しかし今回は敵の数が少なく、新型レーダーのおかげで先制攻撃が可能という条件なので、速度を活かした作戦を使える。一回の襲撃で敵を殲滅できるなら、機体や自分の消耗は安い代償だ。
〈プロトノーヴァ〉の前面では大気圏突入する宇宙船のように断熱圧縮が起こり、凄まじい高温が生み出される。進は熱とGで地獄にいるような気分を味わいつつ、必死に正気を保つ。
〈プロトノーヴァ〉は装甲を融解させながら敵編隊に迫る。進が敵に発見されてからレールカノンを放つまでわずか七秒程度。それだけの運動エネルギーを分け与えられた砲弾は一撃で敵機の正面装甲を貫き、爆散させる。
残った敵の数は三機だ。彼らはようやく事態を理解し、盾に身を隠しながら進にレールカノンを向け、仲間の仇をとろうとしていた。進は撃てなくなったレールカノンを捨て、荷電粒子ビームカノンに持ち替える。
敵機との距離四キロを保つため、進は大きく旋回する。遠心力で全身の血液が一気に動いた。進は失神しそうになるが、唇を噛み切った痛みで意識を保つ。進には必殺の武器がある。あと少しで進は勝てるのだ。進は唇からじっとりとした血を流しながら、震える手で荷電粒子ビームカノンの引き金に手を掛ける。
「ターゲット、ロックオン……! 荷電粒子ビームカノン、ファイア!」
〈プロトノーヴァ〉の荷電粒子ビームカノンが火を吹き、真っ白な光が敵を襲った。高速で高熱のビームには盾も装甲も意味をなさない。敵機は砲を向けられたのを察知して回避機動をとるが、ビームカノンはレールカノンより殺傷範囲がずっと広い。直撃を避けてもあまりにビームが高温であるため、周囲の空気がプラズマ化して灼熱を撒き散らすのだ。敵は進に狙われたら逃げられない。
敵は散開していたため、一機ずつしか倒せない。進はためらわずに何度も引き金を引く。ビームカノンの三連射は、横浜でゲリラと戦ったときに可能であることが実証されている。
横浜では三連射で砲身が熱に耐えきれず歪んでしまった。しかし今回〈プロトノーヴァ〉が装備している荷電粒子ビームカノンは、越智がそのときのデータを元に改良を加えたものだ。砲身をより厚いものと交換し、冷却システムにも改良を加えている。三連発程度では使用不能にならない。
進は逃げ惑う敵を追いかけ、ビームカノンの連射ですぐに敵を全滅させた。次に潰すべきは地上部隊だが、レーダーには接近するアメリカ軍機が映っていた。筑波に空爆を仕掛けるための部隊だろう。その数、およそ四十。
「……やるしかないか」
進は覚悟を決め、荷電粒子ビームカノンを72ミリショットカノンに持ち替える。レールカノンは余裕がないので戦闘機動中に捨ててしまった。敵は爆撃用の装備で来ているだろうが、傷ついた〈プロトノーヴァ〉一機で勝てるほど甘くはない。
敵編隊は進が目視で確認できる距離まで進出してくる。まるでイナゴの群れのようだった。もはや筑波を爆撃させないという目標を達成するのは困難だ。せめて筑波から離れたところで迎撃しようと進が機体を動かしかけたとき、思わぬ事態が起こった。敵機が反転し、撤退を始めたのである。
進は身構えてしばらく様子を見るが、敵がこちらに向かう様子はない。何かの罠ではなく、本当に退却しているようだ。
進は混乱するが、ともかく助かった。後は地上部隊を片付けるだけだ。地上部隊さえ壊滅させたら、筑波の危機は去る。幸運なことに越智が強化した荷電粒子ビームカノンはまだ一、二発は撃てそうだ。進は高度を下げて地上に接近し、ビームカノンを敵部隊に向ける。
「筑波には行かせないぜ……!」
進は引き金を引いた。