29 形成逆転
「ありがとうな、エレナ……! まさか、助けに来てくれるなんて……!」
進はエレナに感謝の意を伝える。〈疾風〉のコクピットで、エレナが微笑んでいるのがわかった。
『きっと私は今この瞬間のため、進さんに命を救われたんだと思います……。ようやく恩返しできました』
「ならこれで貸し借りなしだ。もういいんだぜ? 俺の世話を焼かなくても」
助けてもらっておきながら、進は突き放すような発言をする。冷たいようだが、こんなことをやっていればエレナは命がいくつあっても足りない。命のやりとりだけが進とエレナをつないでいるなら、ここで絶ち切る。
エレナの答えは違っていた。
『進さんがみんなを守りたいと思っているのと同じように、私だって進さんを守りたいのです。もっと自分を大事にしてください。本当はもっと早く来たかった。進さんなら、きっと任務なんて無視して駆けつけてましたわ。そういう人だから、私はあなたを好きになった。力になりたいと思った』
「誰かが任務を解除したのか?」
冷静さを保つため、進は体勢を立て直したエレナの機体から手を離し、臨戦態勢をとりつつ尋ねる。進が心配になったあまり、命令違反を犯して駆けつけたというわけではないようだ。ならば筑波方面で何か状況の変化があったに違いない。
エレナは答える。
『もちろん、命令を受けたのです』
後を受けるように、さらに通信が入った。
『私が命令したんだ、進君』
「生きていたんですか、稲葉さん!」
稲葉さんはアメリカ陸軍との陸戦で敗れ、行方不明になっていた。生存は絶望的と見られていたのに、まさか生きてこの場面で援軍に来てくれるとは。
『危ないところだったけど、死んだふりをして何とかやりすごしたんだ』
通信機からの声を聞いて、進は笑顔を浮かべる。レーダーを見れば、稲葉さんは四機の味方を率いて後方から接近していた。
稲葉さんが乗っているのはアメリカ軍の〈バイパー〉だった。どうやら稲葉さんはアメリカ軍からGDを強奪して筑波に帰還したらしい。その後筑波の危機的な状況を鑑みて、試験部隊で進と北極星に加勢するという決断を下したのだろう。稲葉さんほどのキャリアの持ち主なら、〈疾風〉と機体特性が違う〈バイパー〉でも乗りこなせる。
稲葉さんは北極星に言った。
『焔、筑波が危ない。ここは君と我々で引き受けて、進君に戻ってもらおう』
『うむ、それがよかろう』
北極星は稲葉さんの提案を受け入れ、進に命令する。進が味方量産機を指揮して戦うことはできないが、北極星なら可能だ。
『進! 今すぐ筑波に帰還し、守りにつけ!』
「了解!」
進は威勢良く返事をするが、南極星を振り切って筑波へと飛行するのは容易ではない。南極星もこちらの意図くらいすぐに読み取る。南極星は進を筑波に行かせないため、徹底的にマークするだろう。
そこで進はファウストの言葉を思い出す。〈スコンクワークス〉により〈プロトノーヴァ〉に施された細工とは何か。進にも見当はついていた。
進はグラヴィトンイーターとしての力で重力子の動きを探る。微量ではあるが、機体の中から重力子が供給されているのを感じた。間違いない。〈プロトノーヴァ〉は内部に小型ではあるが重力炉が組み込まれている。進が少し疲弊すると途端に挙動が重くなるのはこれが原因だ。
進は額から流れていた血を拭い、目を閉じて集中力を高める。
『何を考えているのか知らないけど、行かせないわよ! 私の計画は邪魔させない! 筑波はアメリカ軍に落とされなきゃならないの!』
南極星はレールカノンで北極星を牽制し、一直線に進の方に突っ込んでくる。進の〈プロトノーヴァ〉は左腕ごと盾を失っており、防御もままならない状態だ。推進器も一基停止したままであり、まともに逃げようとしても南極星の〈エヴォルノーヴァ〉に追いつかれてしまう。
これまでの戦いで証明されているとおり、進には劣った機体で南極星を相手に勝つだけの技量はない。なので進は〈プロトノーヴァ〉の隠された機能に頼る。
「飛ぶぞ、〈プロトノーヴァ〉!」
進は脳波制御で〈プロトノーヴァ〉に搭載された金星級重力炉の重力子放出量を最大にした。出力は筑波にある木星級重力炉の数百分の一程度でしかないが、GDが使うには多過ぎるくらいだ。通常の数十倍の重力子を受けて、進は目を開く。体が内側から爆発しそうだ。これだけのエネルギーがあれば、やれる。
エネルギーを重力子に再転換して前面に集中し、質量の効果が増幅される空間を作成。高濃度の重力子に一点集中でエネルギーを加え、休眠状態で空間に遍在するヒッグス粒子を覚醒させる。ヒッグス粒子は普段、宇宙線として高速で地球を通過している素粒子の動きを止めて質量へと転換させる。これによってブラックホールの核も完成だ。
「うおおおおっ!」
進の咆吼とともに〈プロトノーヴァ〉の前面に真っ黒な渦流が出現する。進は金星級重力炉の放出する重力子をエネルギーとしてブラックホールを作ったのだ。
充分なエネルギーがあれば、グラヴィトンイーターはブラックホールを生成することが可能である。春には北極星が木星級重力炉から持ち帰ったエネルギーで同じことをしていた。
初めての経験だったが、不思議と進は成功を確信していた。体は手順を知っていて、目標に向かって勝手に動いてくれる。おそらくファウストのおかげだ。かつてファウストもブラックホールの生成を行ったことがあるのだろう。ファウストは自分の技術を進に伝えたのだった。
『くだらない小細工をして! もう諦めなさいよ!』
南極星は進を撃とうとするが、北極星がカットに入った。南極星はレールカノンを一発撃っただけに終わる。砲弾は強烈な重力場に捕らえられてブラックホールに吸い込まれ、進には当たらない。
グラヴィトンイーターは重力子分解でブラックホールを無効化できるため、ブラックホールを直撃させようとしてもあまり意味はない。下手に動かそうとしてコントロールを誤れば核である中性子の塊を爆発させて自分も死ぬ。だが、ブラックホールは時空を歪めるほどの重力を発しているのだ。使い道はいくらでもある。
進が作ったブラックホールからは、筑波上空の様子が覗いていた。進はブラックホールの重力で空間を歪め、離れた二つの地点を繋いだのだ。〈プロトノーヴァ〉に内蔵されている金星級重力炉の出力では時間を超えるのは厳しいが、空間ならば跳躍できる。
機体や進自身への負担が大きいので多用はできないし、進が強くイメージできるところにしかつなげられない。しかし一度だけ慣れ親しんだ筑波の空に飛ぶとなれば、問題なく達成できる。
「俺の成恵を頼む……!」
北極星に任せれば、まず間違いなく流南極星──進にとっての成恵は殺される。それでも進は後のことを北極星に託した。戦争で死ぬ人間を一人でも減らすという北極星の正義は、進の正義でもあるのだ。
『私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる……! 任せておけ!』
戦争の黒幕である〈スコンクワークス〉を倒すという南極星の目的はわかった。しかしそのために筑波が攻撃を受け、市民に死傷者が出るというのは許容できない。南極星はやり方を間違っている。南極星が間違ったやり方を押し通すなら殺して阻止する他ない。
進がブラックホールを維持できる時間は一秒にも満たない。グズグズしているとブラックホールは急速蒸発してエネルギーを放射しながら消滅──即ち大爆発を起こしてしまう。進は北極星の力強い声を聞きながらすぐさまブラックホールに飛び込み、進は太平洋上から姿を消した。




