28 最後の対決
Dream world(Another dimension)
「無様だな、煌進……。おまえの覚悟はその程度だったのか?」
鈍い闇色の空間で、青紫色の長髪を後ろに流した男──ファウストは進を見下ろしていた。進は体の自由が利かず、立ち上がれない。進はファウストを見上げ、声を絞り出して尋ねる。
「どうしておまえが出てくるんだ……! おまえは死んだはずなのに……!」
ファウストは進と瓜二つの顔で歪んだ笑顔を見せた。
「決まっているだろう。おまえは俺で、俺はおまえだ。俺たちはただ映り方が違うだけで、根源は同じだ。充分な重力子さえあれば、もっとも近い自分と会うのは難しいことじゃない」
人間の魂、精神と呼ぶべきものは十一次元から投射されているホログラムだ。この理論だと時間軸の違う自分、平行世界の自分はホログラムの映り方が違うだけで、同一の存在ということになる。
ファウスト自身はすでに死んでいるが、十一次元にある魂、精神まで消えたわけではない。進たちの世界には映らないというだけの話だ。グラヴィトンイーターであるため時空を越えて重力の力を解放できる進が、別の次元でファウストの意識とコンタクトしてもおかしくはなかった。
「俺はおまえみたいに世界を滅ぼしたりしない……!」
ファウストはニヤニヤと笑うばかりだ。
「どうしてそんなことが言えるんだ? おまえの体は今、高度三百メートルから落下中だ。もしもおまえが死ななかったとしても、何もできない。これからおまえの家族、友人はアメリカ軍に殺される。焔北極星も流南極星に敗れ、死ぬだろう。後からやり直そうとすること以外、おまえは何もできない。過去に遡ってやり直すことだけが、おまえにできる唯一のことだ」
後からやり直すといっても、グラヴィトンイーター化した自分がいる時代に戻るのは無理だ。対消滅が起きてしまう。過去に戻るなら、進がグラヴィトンイーターになる前からやり直すことになる。
それでも皆を生き残らせる道があるというのなら、やってみる価値はあるのではないか。ファウストはそう進を誘惑しているのだ。
進は顔を上げ、ファウストに訊く。
「……おまえが過去に遡ろうとしたとき、北極星はどうした?」
「俺を説得しようとしたよ。無理だとわかった後にば、殺そうとした。だがそれがどうした? 誰が何と言おうが俺は美月を救いたかった。おまえは違うのか?」
何も違わない。進は北極星と出会わなければ、あの日東京で炎の中に消えた成恵を救うため、何でもしただろう。
「じゃあおまえは……美月のために世界を滅ぼしたことを、正しいことだったと思ってるか?」
進はまっすぐにファウストの目を見る。ファウストは即答した。
「何十億人を殺すことが正しいはずがない」
進もファウストと同じように考える。一人の命を助けるために全世界の人々を危険に晒すなど、言語道断だ。しかしこれには続きがある。
「だが俺は美月のためなら、悪魔にもなれる」
ファウストの目には一点の曇りもない。ただ一人のために九年という月日を戦い抜いた猛者の目だった。進には、こんな目はできない。
「俺に殺された人間は、礎になるはずだった……。俺は美月を救い、〈スコンクワークス〉を倒し、平和な世界を作るはずだった……。だが、おまえに阻止された。全てを無駄にしたのはおまえだ」
背負いきれない罪をどうにか昇華したいという、自分勝手な理屈だった。ファウストが世界の平和を考えていたとはとても思えない。ファウストからは〈スコンクワークス〉のスの字も聞いたことがなかった。美月のことさえ惰性だったのではないか。進には、ファウストが後付けで言い訳しているようにしか感じられない。
それでも進はファウストの言い訳をばっさり斬り捨てることができなかった。多分、進がファウストと同じ立場だったなら、同じように自分で止まることができずに大失敗しただろう。北極星、稲葉さん、エレナなど周囲に恵まれていたから進は道を誤らなかったというだけだ。
最後にファウストは問い掛ける。
「十一次元に近いこの空間なら、おまえは肉体のない俺を消し去ることができるだろう。さぁ、どうする?」
「俺とおまえは同じだ。でも俺はおまえと違う」
一呼吸置いてから、進は立ち上がる。認めるしかない。この男は、進と違う道を通った自分だ。一歩間違えれば、進もファウストと同じことをした。
「俺には北極星がいる。俺にはみちしるべがある。俺は道を間違えない」
北極星は世界のためにファウストを殺した。これ以上成恵の存在で戦争の犠牲者が出るとすれば、進も同じことをしなければならない。
「……これでもおまえには感謝してるんだ。おまえは俺の成恵を救ってくれた。俺ができなかったことを、やってくれた。おまえがいたから、俺には今日があるんだと思う。だから、俺はおまえを消さない」
自分のことであれば、自分で背負うのが当然だ。ファウストも進である以上、進はファウストは消さない。進にはファウストの罪も消せない。
ファウストの眼力に負けないよう、進は精一杯にらみ返す。
「次の瞬間に俺は死ぬのだとしても、最後まで諦めない。俺はみんなを救ってみせる!」
ファウストは進の目を見たまま質問する。
「死ぬまであがいて、救えなかったらどうする?」
「そのときにまた考えるさ」
今考えるべきことは、どうやって皆を救うかだ。
「……俺がやってきたことを無駄にしない方法が一つだけあったな」
ファウストはグラヴィトンシードが埋め込まれた進の左手を握り、目を閉じて精神を集中する。進の左手は淡い光に包まれた。進の体に溜まっていた疲労は嘘のように消えて、体が軽くなる。ファウストは時間を巻き戻し、進のグラヴィトンシードを酷使される前の状態に戻したのだ。
「おまえは死なない。俺と違うルートを通っているからな」
「どういうことだ?」
ファウストは進の質問を無視して続ける。
「〈スコンクワークス〉は〈プロトノーヴァ〉に細工している。使い方は俺の記憶から引き出せるだろう。おまえはすでに勝利の鍵を掴んでいるんだ」
ファウストのグラヴィトンシードが黒く濁って砕けた。おそらく、ファウストのグラヴィトンシードは〈エヴォルノーヴァ〉を格納していた別次元に指輪を介して退避し、今の今まで残っていたのだろう。そして今この瞬間、最後の力を使い果たし消滅した。すぐに進はファウストの意識にアクセスできなくなるだろう。
「……おまえは俺が成恵を殺すことについて、何とも思わないのか?」
進はまだ健在なファウストに尋ねる。進が助かるということは、南極星が殺されるということだ。進を助けてくれるのはありがたいが、ファウストは南極星が死んでもいいのか。この九年間、南極星の面倒を見てきたのはファウストである。
ファウストは微塵も表情を変えずに答えた。
「成恵には、はっきり言って俺のために戦ってほしくない。美月を救えないなら、俺は成恵に〈スコンクワークス〉を倒してほしかった……。俺の願いはそれだけだ」
確かに南極星は「〈スコンクワークス〉を倒すために北極星を倒す」と言っていた。南極星の最終目的は一応〈スコンクワークス〉である。しかし南極星の頭に「ファウストの仇討ち」があるのもまた事実だ。
「俺たちは力があるからだめなんだろうな……。力があるから、何でもやれてしまう。間違っていても、望まれていなくても、殺されるまで止まれないんだ……」
ファウストは遠い目で虚空を見つめる。それは彼の後悔だった。
「力は呪いのようなものだ……。だが、力がなければ何もできない……。成恵の呪いを解いてくれるなら、俺は何も言わない」
「……ああ。そんな呪い、ぶち壊してやるよ」
強い力を、より強い力で破壊する。呪いも、罪も罰も、進は背負う。
「こっちもそう悪いところじゃない……。成恵がこっちに来るなら、頭でも撫でてやるさ……。やっと美月のところに行ける……。俺の成恵のことを頼むぞ、もう一人の俺……」
ファウストの姿が薄くなって消える。進は戦場へと戻った。
○
Real world
『進、目を覚ませ!』
意識を取り戻した進の耳に飛び込んできたのは、北極星の声だった。北極星は鋭い声の中に焦りを隠しきれておらず、状況がいかに深刻かわかる。進が乗る〈プロトノーヴァ〉は機能を停止しており、為す術もなく墜落している最中だ。上空からは南極星が進にとどめを刺そうとレールカノンの照準を合わせ、北極星はそれを必死に妨害している。
進はすぐさま推進器に火を入れ、墜落を免れようとする。間に合うだろうか。微妙なタイミングだ。
永遠とも思える一瞬。救いの手は思わぬ方向から現れた。
『進さんを、死なせはしません!』
いったいどうしてなのか、筑波を守っていたはずのエレナが駆けつけてきたのである。
低空を全速力で飛んできたエレナの〈疾風〉は〈プロトノーヴァ〉の手を掴んだ。落下の勢いを消しきれず、〈疾風〉もバランスを崩して海面へと引っ張られる。
しかしエレナのおかげで〈プロトノーヴァ〉はわずかに減速した。エレナが作ってくれた刹那の猶予。進は推進器をフルスロットルにして機体を立て直し、エレナの〈疾風〉を片腕だけで横抱きして上昇する。
ファウストの力で進の力は回復していた。全身に力が満ち溢れている。
進は南極星に宣言する。
「全て守りきってやるぜ、成恵」
○
「気付いたようだな……」
ハワイ沖、〈ノアズ・アーク〉の艦長室で椅子に掛け、イカルス博士はつぶやく。無意識下の行動なのだろうが、煌進は〈プロトノーヴァ〉が生み出す重力子を利用して一周目の自分にアクセスしていた。
一周目の進──ファウストも〈プロトノーヴァ〉に長く搭乗していた。自分の愛機に何が積まれていたか、あの男は気付いていたはずだ。ファウストがもう少し大人しい男であったなら、イカルス博士はファウストを援助して彼の〈プロトノーヴァ〉で存分に実戦データをとっただろう。
二周目の進は適任だ。焔北極星というストッパーがついているため、ファウストほどの危険性はない。彼が敵に立ち向かうため機体の能力を引き出すことで、イカルス博士の研究は階段を三段飛ばしで進展する。
イカルス博士は遠く太平洋の向こうを幻視し、興奮のあまり椅子から立ち上がる。
「いよいよ金星級重力炉を使うか、煌進……!」




