27 刀折れ矢尽きる
とにかく、進と北極星のどちらかだけでも早急に筑波まで飛び、首都の守りにつかなければならない。進と北極星は示し合わせたように逆方向に飛び、南極星を振り切ろうと試みる。
しかし鎧を捨てて身軽になった〈エヴォルノーヴァ〉のスピードは進たちの想像を超えていた。〈エヴォルノーヴァ〉は大回りして進の前を横切り、すれ違いざまにショットカノンを雨あられと浴びせる。進は盾を構えてガードしつつ急降下して低空に逃れ、勢いを削がれる。
減速することなく南極星は〈ヴォルケノーヴァ〉に襲いかかった。〈ヴォルケノーヴァ〉は速度で負けているため逃げられない。北極星は旋回して〈エヴォルノーヴァ〉の後ろを狙う素振りを見せ、なんとか機動性勝負のドッグファイトに持ち込む。
北極星が〈エヴォルノーヴァ〉を引きつけているうちに、進だけでも南極星から逃れなければ。進は退避していた低空から再び上昇しようとするが、南極星は北極星と戦いながらも進の妨害も忘れない。進の進路を妨害するようにショットカノンが連射され、進は無駄な旋回を繰り返すことを強要される。進は筑波から遠ざかる方向に誘導されていた。
〈エヴォルノーヴァ〉のスピードが速すぎるのだ。機体性能の差に加え、グラヴィトンイーターとしての力も南極星は進と北極星を凌ぐ。まるで大人と子どもの鬼ごっこだ。為す術もなく進と北極星は現空域に釘付けにされる。
『進、私が速すぎると思ってるでしょう?』
見透かしたように南極星が話しかけてくる。進は突破口を捜そうと必死で、反応する余裕さえない。
『私が速いんじゃないわ。あなたが遅くなっているのよ』
「……ッ!」
進は強引に南極星から逃れようと加速したところで上から撃たれ、盾を持っていた左手の肘から先を吹き飛ばされた。進はバランスを崩して海面ギリギリまで降下し、着水寸前で機体を立て直す。
『流南極星! 私が相手だ!』
北極星は絶体絶命の進を助けるべく、南極星の後方に回り込む。南極星は旋回して北極星の射線をはずしつつ、北極星の側面、背面をうかがう。
進が遅くなっている。それは正しい指摘だろう。
〈プロトノーヴァ〉は背部大型バーニアへの着弾により、自慢のアークジェット推進器が一基停止している。他の推進器も効率が低下していて、機体の機動性はかなり落ちていた。
また〈プロトノーヴァ〉は未だに異常が出ていないのが不思議なくらい、本体にも被弾している。下手にスピードを出しすぎると、摩擦熱で装甲が剥がれた部分から発火する恐れがある。
重力子分解で空気との摩擦熱が軽減されているGDでも、最高速度近くになれば「熱の壁」が立ちはだかるのだ。もう〈プロトノーヴァ〉は最高速度を出すことができない。進は操縦に神経を使い、決して無理な加速をしないようにしていた。
そして何より、パイロットであり出力供給源である進の疲労が深刻である。もう三時間以上、集中力と体力を使うGDでの戦闘を続けているのだ。進が着ているパイロットスーツの内側は汗でぐっしょりと湿っていて、息も荒くなっている。頭は鉛でも流し込まれたかのように重く、明らかに思考が鈍くなっていた。
計器を見ると出力は通常時の半分以下まで落ち込んでいる。単にバーニアの推進力が落ちるというだけでなく、重力子の分解効率も低下し、機体の挙動が重くなった。つまり、重量が増えているのと同じである。今の〈プロトノーヴァ〉は量産機並みの動きをするので精一杯だ。
南極星の腕なら、今の〈プロトノーヴァ〉を撃墜するのはたやすいはずである。最初のように機敏には動けない〈プロトノーヴァ〉のスラスターや間接を難なく撃ち抜けるだろう。
あえて進を見逃している理由はただ一つ、北極星の足枷として進は利用できるからだ。対人用地雷に、踏んだ人間が即死するほどの爆薬が詰め込まれていないのと同じである。死んだら終わりで放置してもよいが、瀕死の怪我人を見捨てるわけにはいかない。
進が撃墜されそうになれば、北極星はフォローに動くことを余儀なくされる。南極星は放っておくわけにはいかない足手まといを用意して、北極星の動きを制限しているのだった。ただでさえスペックで負けているのに、これでは北極星といえど何もできない。
結局、春の戦争と同じ状況だ。進が北極星のお荷物になっている。グラヴィトンイーターになっただけで北極星の力になれると思い込んでいた進が馬鹿だったのだ。南極星の言う通り、進は学校に通っている場合ではなかった。進はファウストのように訓練を積み、強くなる必要があったのだ。
しかし今さら嘆いても仕方ない。今、やれるだけのことをやって筑波を救うのが進の仕事だ。諦めるのはまだ早い。北極星が間違っていなかったと南極星に認めさせてやる。
最後の力を振り絞り、進は機体を急上昇させる。いくらボロボロになっても、スラスターを背面に纏めた〈プロトノーヴァ〉の上昇力はあなどれない。あっという間に〈プロトノーヴァ〉は高度を回復する。
「うおおおおっ!」
気合いの雄叫びとともに進は南極星に特攻をかける。とにかく、進が南極星を抑えなければならない。仮に進が撃墜されても北極星が自由になるだろう。一か八かの賭けだが、やらない手はない。
「こっちだ! 流南極星!」
〈プロトノーヴァ〉はプラズマレンチを振り上げ、下から強引に斬りかかる。南極星の対応は、進を馬鹿にしたものだった。
『私には、あなたなんて止まって見えるわ』
南極星は〈プロトノーヴァ〉の肩を軽く蹴って軌道を変え、北極星との格闘戦に戻る。〈プロトノーヴァ〉は態勢を立て直せず、進は明後日の方向に飛び去るに終わった。
「クッ……! このままじゃ……!」
進は焦りを抑えられない。こうしている間にも、筑波が危険に晒されているのだ。
通信機から伝えられた情報は、絶望的なものだった。すでに筑波の守りについていた近衛飛行隊は壊滅した。千葉、群馬方面の部隊はアメリカ軍と交戦中であるため動けない。東北の部隊は例によって日和見を決め込んでいる。今、筑波にはGDがほとんどないという状況なのだ。
筑波を守る対空陣地もGDとの連携がなければ機能しない。地上のレーダーサイトがカバーできる範囲はGDを追跡するには狭すぎる。おまけにレーダーサイトは電波を垂れ流している状態であるため簡単に発見され、破壊される。GDに積まれたレーダーとのデータリンクを使えなければ、地上配備の対空レールカノンが高速機動を行うGDに命中弾を出すのはほとんど不可能だ。
一応エレナたち試験飛行隊のパイロットは筑波で木星級重力炉の護衛についているはずだが、今彼女たちが乗っているのはデータリンク未搭載の初期型〈疾風〉である。試験機をいきなり実戦投入などできないので、予備機で残っていたものをあてがわれたのだ。
筑波に派遣されたGDはたったの四機と数も少ない。予備の機体もパイロットも、全く数に余裕がないのである。〈エヴォルノーヴァ〉が単機で強引に筑波へと侵入したとき、時間稼ぎするのが彼らの任務だ。これ以上の戦力は配置できなかった。
しかしノーヴァシリーズなら最新式の戦術データリンクシステムが搭載されているため、進か北極星のどちらかだけでも筑波に行ければ、状況は変わる。それができないのがもどかしくてたまらない。
進と北極星だけでは南極星から逃げられそうにない。いっそ、筑波にいるエレナたちをこちらに呼んでみるというのはどうだろうか。戦力的には当てにならないが、思わぬ増援に南極星の動きが乱れるかもしれない。
(あほらしい、俺は何考えてるんだ……)
エレナに縋ろうなど考えるのも馬鹿馬鹿しい。エレナは進に都合の良い人形ではないということを、進は肝に銘じていなければならない。きっとエレナは進のために何でもしてくれるが、だからといって彼女を危険に晒すのは間違っている。そもそもエレナも今、筑波で戦っているかもしれないのだ。
馬鹿なことを考えずにいられないほど、進は追い詰められていた。
進の左手にあるグラヴィトンシードは苦しげに黒い光を放っていて、限界が近いと訴えている。進は失速した〈プロトノーヴァ〉を再び上昇させようとするが、体が言うことを聞かない。体中に重しを縛り付けられているかのような感覚で、〈プロトノーヴァ〉はじりじりと下降を続ける。
『私はもう一人の私を倒して力を手に入れるの……! 〈スコンクワークス〉を倒せるだけの力を! 過去の焔北極星でもよかったらしいけど、強いあなたたちでないと倒す意味がない……!』
南極星にとって、北極星は乗り越えるべき壁だった。では進は?
『進、あなたも目を覚ましてもらわなきゃいけない。筑波が攻撃されて美月ちゃんが死ねば、きっと進も私の同志になって一緒に〈スコンクワークス〉と戦ってくれるはずだわ! だから筑波には犠牲になってもらう!』
「ふざけるなよ! そんな理由で、人を殺していいわけがない!」
進は叫ぶが、体がついていかない。〈プロトノーヴァ〉は死にかけた羽虫のように低空をフラフラと飛ぶのがやっとだ。上空で〈エヴォルノーヴァ〉と〈ヴォルケノーヴァ〉が激しい戦いを繰り広げているのを見上げるばかりである。
悔しさで噛み切った唇から、口の中に血の味が溢れる。このまま、低空でじっとしているのが一番いいかもしれない。
進がそう思った瞬間、〈プロトノーヴァ〉は推力を失い、重力に引かれ海面に落下する。
体に力が入らない。機体が動いてくれない。進はとっくの昔に限界を超えていたのだ。辛うじて機体を保たせていた気力が途切れた以上、〈プロトノーヴァ〉は墜落するのみである。
『しっかりしろ、進!』
通信機から北極星の声が響くが、進は意識が朦朧として反応できない。ここにきて連戦の疲労が噴出したのだ。進のグラヴィトンシードはすでに黒い光を発することで限界を訴えており、まともに重力子を分解できない。このまま水面に叩きつけられれば、進は乗機ともども粉々だ。
進は意識を保っていることができず、深い闇に落ちてゆく。




