25 戦いの行方
アメリカ海軍航空隊と進、北極星の戦いは熾烈を極めた。相手には南極星の〈Aエヴォルノーヴァ〉もいるのだ。進と北極星が編隊を組めていたのは最初だけで、あっという間に二人は分断される。進はあらゆる武器を駆使して米海軍の〈バイパー〉と戦うが、いかんせん多勢に無勢だ。数機は撃墜したものの数発被弾し、機体のあらゆる部位から煙が上がっている。
『我々にはなぜ質量があるのか。なぜ質量に縛られているのか。我々の意識は遙か十一次元から投影されるホログラムに過ぎない……。本来我々はもっと自由なはずなのだ……。我々はその意味を考えなければならない……。我々が争う必要はない……』
オープンチャンネルが拾った〈スコンクワークス〉の反戦演説に耳を傾けている暇もない。必死で冷静さを保ちつつ、進は戦いを続ける。敵は次から次へと増援を送り込んできて、戦いが終わる気配はなかった。かれこれ二時間以上は空戦が続いている。北極星が米海軍航空隊だけでなく〈Aエヴォルノーヴァ〉まで引き受けてくれているため進はまだ戦えているが、一人ならとうの昔に撃墜されていただろう。
しかし、さすがに疲労で進の動きが鈍ってくる。まるで水の中を飛んでいるかのようだ。機体が重く感じ、敵の〈バイパー〉たちに後ろをとられそうになる回数が増えてきた。焦りを抑えられない。
そんな状況で進は無防備に背中を晒して飛んでいる敵機を見つける。チャンスは逃さず、着実に敵を減らしていかなければ。ぶら下げられたおいしそうなエサに、進はダボハゼのごとく飛びつく。
『馬鹿者! 囮だ!』
北極星の警告も虚しく、進は後ろから撃たれる。着弾の轟音とともに、グラヴィトンイーターの重力子分解でも消しきれない衝撃がコクピットを襲った。
計器類を覆うプラスチックの透明なカバーが砕け、内装を留めていたネジが弾け飛んだ。機体の異常を示すアラート音が鳴り響き、砲弾の衝撃波やら何やらと一緒に鼓膜を震わせる。
破滅的な混乱の中で進はサイドスティックを操り、低空に逃れる。目の端に映ったレーダーマップで、円形の陣を敷いてぐるぐると回るアメリカ海軍機たちが確認できた。
ワゴン・ホイールと呼ばれる古典的な戦術だ。ある一機の後ろをとっても、その後ろに敵機がいるという寸法である。敵との性能差をカバーできるため、ベトナム戦争で北ベトナム空軍が多用し、戦果をあげたことで知られる。
弾が当たったのは背部大型バーニアの上部だった。狙われやすいため、正面並みの装甲が施されている部位だ。貫通はしなかったものの四基のアークジェットスラスターのうち一基が衝撃で異常を起こしている。〈プロトノーヴァ〉は背部から黒煙を噴き上げていた。
また、コクピット内で跳ね回った部品が当たったのか、進は頬から出血していた。コクピット内は重力子が薄くなっているため破片が当たっても致命傷を受けることは少ないが、自分の血を見て進は動揺する。どうすればいい。このままではやられる。
『落ち着け、進! 敵の増援はもうない! もう少し粘るのだ!』
北極星から通信が入る。レーダーを見れば北極星の奮闘で敵機は数を減らしつつあるのがわかった。増援も打ち止めらしい。進は自分の中に広がっていた絶望感を振り払い、機体のコントロールに集中する。
進は海面スレスレを蛇行してなんとか敵の攻撃を躱し続ける。北極星は進の救援に向かおうとするが、南極星に道を阻まれ動けない。
「クソッ……! 俺に北極星くらいの腕があれば……!」
必死に機体を制御しながら、思わず進はつぶやく。こんな状況に追い込まれたのは、二対一だったときに南極星を撃墜できなかったからだ。なぜ南極星を撃墜できなかったかというと、進の腕が悪かったからだ。
せっかく北極星と編隊を組んでも、基本的な戦術しかとることができなかった。〈プロトノーヴァ〉の機体性能では〈ヴォルケノーヴァ〉の全力についていけないという事情はあるが、根本的に進の技量が低いのではないか。
そもそも確かな技量があるパイロットなら最初の段階で勝負を決めていたはずだ。あのとき、進を無視して北極星に集中していた南極星に進は側面から攻撃を仕掛けた。少なくとも北極星なら確実に急所に砲弾を当て、南極星を戦闘不能にしていただろう。唯一無二の好機を逃した自分の力の無さが悔しい。
南極星は進を嘲笑う。
『無様ね、進! どうしてあなたはそんなにも弱いの!? もう一人の進は、ものすごく強かったのに!』
ファウストのことを言われるとぐうの音も出ない。実際に手合わせをしたことがあるのでわかるが、ファウストは進より数段上の戦闘力を保持していた。伊達に何年も性能に劣る機体で北極星と渡り合っていたわけではないのだ。
『あなたが弱い理由、教えてあげようか?』
『進、攪乱だ! 耳を貸すな!』
通信機の向こうで敵機を何機も叩き落としながら、北極星が声を張り上げる。進は警告にも関わらず、南極星の言葉に耳を傾けてしまう。
『ファウスト──一周目の進はね、時間の許す限り厳しい訓練を受けていたの。あの人は一年365日、任務で出ているか、操縦訓練をしているかのどちらかだったわ。あなたみたいにのんびり学校に通って遊んでたりしてなかった!』
進はファウストの煤けた背中を思い出す。確かに進が才能の塊である北極星と張り合おうと思えば、それくらいはやらなければならないだろう。
『ねぇ、どうして進は学校なんかに通ってたの? 私は理由を知ってるよ』
『貴様、いい加減にしろ!』
思わせぶりな態度の南極星に北極星は怒る。北極星はほとんどアクロバットのようなハチャメチャな機動を繰り返し、とうとう〈ヴォルケノーヴァ〉にまとわりついていた〈バイパー〉を全機撃破してしまう。
進も南極星の言葉を聞きながら、〈プロトノーヴァ〉を追いかけていた機体を急上昇で振り切る。弱かろうが強かろうが、進はやりたいようにやるだけだ。苦戦はしても迷いはしない。
スラスターが一基だめになっても、〈プロトノーヴァ〉は元のパワーが量産機とは段違いだ。〈プロトノーヴァ〉のハイレートクライムに〈バイパー〉たちはついてこられず、どんどん離される。
進の尻に夢中になっていた〈バイパー〉たちは後ろから接近する〈ヴォルケノーヴァ〉に対応できない。南極星の救援も反転した進により阻止され、たちまち〈バイパー〉たちは北極星に蹴散らされる。
残るは南極星の〈Aエヴォルノーヴァ〉だけだ。進たちは少しでも米海軍航空隊に対して有利になるように、陸地に近づきながら戦っていた。房総半島が脇に見えるこの位置なら、筑波から増援を呼ぶこともできる。
完全に形勢は逆転した。再び進と北極星は編隊を組み、南極星に襲いかかる。
南極星は逃げ回りながら、進に話しかけるのをやめない。
『もう一人の私──焔北極星が命令したんでしょう? 学校に通えって』
進は否定した。
『違う! 俺の意思だ!』
そもそも進が学校に通い始めたのは、特務飛行隊時代に稲葉さんに勧められたからだ。ある日、稲葉さんは「君らぐらいの年代の子は、生き残ること以外に学ぶことがある」と高校のパンフレットを机の上に並べたのである。仕事のない日に何もしないのはもったいないので、進はその話を受けた。
その後、進が正規軍配属になっても高校に通い続けたのは、美月やエレナが喜ぶからというのが大きい。進としても同年代と一緒に血と硝煙の臭いがしないところでいられるのは非常に落ち着く。
北極星は進が正式に軍の一員となったことで、軍務への専念を命じてもよかったはずだ。進に高等教育を受けさせたいなら、元々進がいた軍の航空学校に転校させるという手もあった。しかし北極星は進の選択を尊重し、自身も教師として学校に残った。進は北極星のお墨付きを得て、普通の高校生のような顔をして学校に通えたのだ。
『でも、だったら焔北極星は退学を命令しなきゃおかしいでしょう? 軍人の進に学校なんて意味ないし。進の訓練時間が減れば、それだけ進が死ぬ確率が高くなるのよ? 焔北極星、あなたはどうして進を普通の学校に通わせたの?』
北極星は返答せず、黙ってショットカノンの嵐を見舞う。〈Aエヴォルノーヴァ〉の増加装甲は崩壊しながらも砲弾を弾く。
南極星は言った。
『答えは簡単だわ。進を大事にしているっていう自己満足のためよ! 戦場で弱いあなたを守って、ペット扱いするためよ! 進、あなたは玩具にされてるの! 一人目の進の代わりにね!』
「ふざけんな! 北極星はそんなやつじゃない! 俺は今の生活を大事にするって決めてるんだ! 北極星は、俺の意思を大事にしてくれているだけだ!」
北極星が反応するより先に、進が自分の思いを南極星にぶつける。進の主張に南極星は怒りを露わにした。
『何が今の生活よ! そうやって何もせずに堕落したのがあなたたちなのよ! 進、あの日の東京で、私たちは同じ経験をした! 住んでいた町を焼かれて、アメリカ軍に追い立てられて、そして死にかけた!』
九年前の戦争の記憶は、今も進の中に強く刻みつけられている。あの日の東京で進、成恵、美月は至近距離に連続して砲撃、爆撃を受けた。進はとっさに美月をかばい、成恵は重傷を負う。進は成恵を見捨てて、逃げ出した。
『あのとき進に、本当は行ってほしくなかった……! 助けてほしかった……! 怖くて、痛くて、苦しくて……どうしようもなかった!』
進は絶句する。本人の口から言われなくても、進は成恵の気持ちがわかっていた。わかっていながら、進は成恵を置き去りにして逃げた。
『進を責めるつもりはないわ。もしも進が残ってたら、美月ちゃんも巻き添えにしてみんなで死んでただけだもの。でも、進も私と同じ思いを抱いてくれているのだと、今まで私は信じていたわ』
南極星の、成恵の思いとは何なのか。
『進、あなたも私と同じように戦争を憎んでいるのだと思っていた』
「……」
進は沈黙する。果たして自分は戦争を憎んでいるだろうか。正直なところ、こうして南極星に言われるまで、考えたこともなかった。
進が当時から考え続けていたことは、もっと別なことだ。外敵に立ち向かう力さえあれば、成恵を助けられた。自分には、力が必要だ。進は外的な要因を憎むより、自分を呪う道を選んだのである。
進は自分なりに努力して、紆余曲折があったものの夢だったパイロットとなり、グラヴィトンイーターの力も手に入れた。そして今、進は自分の力不足を感じながらも、守るための戦いをしている。
本人に訊いたわけではないが、北極星も基本的には同じ思いだったはずだ。何せ北極星は圧倒的な暴力に打ちのめされた一巡目の進と同じ時を過ごしてきたのだから。自分の理想のためにまずは力を手に入れ、それを振るう。力がなければ、何もできない。
同じ思いだったからこそ、北極星は進にグラヴィトンシードを与えたのだろう。ファウストが何をしでかしたかを知りながら。北極星は一巡目の進を見ていたため、内向的なところのある進の性格をよくわかっていたのだ。
どうして南極星は北極星のように進を理解できず、戦争への憎しみを抱いたのか。もちろん進にそういった思いが全くないわけではないが、進の芯になる部分は構成していない。進にとって戦争は「起こってしまうもの」であって、根源を絶ち切って絶対になくそうとか、そんな発想は浮かばない。できればなくしたいと進も思うが、世界から争いをなくすなんて無理に決まっていると思う。
この問題は言い換えれば、北極星と南極星の違いとは何かということだ。そう考えれば答えは明白だ。北極星は東京で戦火に追われた後の九年を進とともに力を求めて過ごし、南極星はベッドの上で過ごしたのである。
進と一緒にいた時間の差だけが生んだ違いではない。南極星がベッドで伏せっていた間、北極星は「戦後」を生きることができたのだ。進がそうであったように、自然と憎しみ以外の感情が人生の指針となっていっただろう。
一方の南極星はベッドから一歩たりとも動けなかった。頭に蘇るのは戦争で死にかけた記憶ばかり。話相手となったのも、戦争の被害者となり、加害者ともなって悪鬼羅刹の道を選んだファウストのみである。南極星が戦争への憎しみを問題とするのも、当然の流れだった。
別々の時間を過ごした九年間は進と南極星に、埋まることのない溝を作ってしまったのである。
南極星は悲しげな声で言う。
『違うのね。だったら私は、なおのことあなたたちを許せない。結局のところ、あなたたちは漫然と現状維持を望んでいただけなのよ。一巡目の進みたいに、どんな犠牲を払ってでも成し遂げたいことはなかった。そうでしょう?』
ここで北極星が発言する。
『グラヴィトンイーターの力で理想を実現したとして、それが何になる? 虚しいだけであろう。力で人を動かせたとしても、何も変わらぬ。力で抑え続けるしかなくなる。我々に永遠の独裁者をやれとでも言うのか? 全く馬鹿げている』
北極星に一刀両断されるが、南極星は考えを変えない。
『そんな理屈、クソ喰らえよ。所詮あなたたちはぬるま湯に浸かって、何もする気がないんだわ。私は戦って正義を勝ち取る! 世界を滅ぼしてでも戦争を無くすの! 戦争の根源を絶ち切る! そのために、あなたたちには礎になってもらうわ! 私に殺されることでね! 私はあなたたちを殺し、〈スコンクワークス〉も叩き潰す!』
南極星は狂ったように吠える。しかし、もう勝負はついているのではないだろうか。
「俺たちはおまえになんか負けない。俺と北極星は、世界最強のコンビだからな! 絶対にみんなのいる筑波を守りきって見せる!」
先程まで進の弱さのせいで敗れかけていたことも忘れ、進は堂々と言い放った。南極星は失笑する。
『やっぱり進はバカのままだね。あなたたちは、もう負けているのよ』
「どういうことだ?」
進が南極星に訊いたそのときに、土浦基地から通信が入る。
『焔元帥、煌中佐! すぐに筑波に戻ってきてください! 古河が陥落しました!』
「ハァ!? 嘘だろ、冗談はよしてくれよ!」
寝耳に水の出来事に、進は慌てふためく。古河は筑波の西部に位置し、利根川という天然の要害に守られた要衝だ。ここが陥落したということは、利根川の内側に足掛かりを作られたということである。
城に例えるなら本丸、天守閣はまだ無事だが二の丸を破られたという状況だ。いつ筑波の市街地にアメリカ軍が侵入してもおかしくない。今頃、筑波市街への空爆が始まっているのではないだろうか。
『進! 筑波に急行するぞ!』
北極星は即断する。ここで南極星に勝っても、筑波が落ちれば元も子もない。
しかし、南極星が見逃してくれるはずもない。
『逃がさないわ! 〈スコンクワークス〉打倒のために日本列島の安定は必須事項……! 西側主導で統一してもらわなきゃ困るのよ!』
〈スコンクワークス〉を倒すにはどうすればいいか。イカルス博士を暗殺するというならともかく、組織としての〈スコンクワークス〉を消滅させるなら、いくらグラヴィトンイーターでも一人では無理だ。多数のグラヴィトンイーターと渡り合えるだけの力、国家の軍事力が必要である。
ハワイの〈スコンクワークス〉を攻撃する拠点となるのは日本だ。南極星はアメリカ軍に日本を制圧させて足下を固め、さらにハワイ攻略にも参加させるという計画を描いているようだった。
『あなたたちはここで為す術もなく筑波が蹂躙されるのを見ていなさい!』
南極星は〈Aエヴォルノーヴァ〉の増加装甲とデルタ翼型兵装ラックをパージする。中から現れたのは無傷の〈エヴォルノーヴァ〉だ。あれほどの攻撃を仕掛けても、進たちは本体に一切ダメージを与えられていなかったのである。
最初から南極星は時間稼ぎが目的だったのだ。堅い装甲と弾幕で粘り、海軍航空隊まで投入して進と北極星を太平洋上に拘束する。その間にアメリカ陸海軍は筑波を落とす算段をつける。進たちは南極星の作戦にまんまと乗せられていたのだった。このままでは、美月もエレナも殺される。