24 介入者たち
ハワイ、オアフ島沖〈ノアズ・アーク〉艦長室内。イカルス博士は流南極星に殺された自分の遺体を片付け、悠々と椅子に腰掛ける。ジュダ・ランペイジは尋ねた。
「ドクター・イカルス。いったいどのような未来が見えたのですか?」
「まず、日本政府と合衆国亡命政権の間で戦争が起こるというのはわかるだろう? さて、どちらが勝つかね?」
生徒を試す教師のようにイカルス博士はジュダに訊く。ジュダは間を置かず答えた。
「それは合衆国亡命政権でしょう。〈エヴォルノーヴァ〉なら単機で東のグラヴィトンイーター二人を抑えられます。通常戦力同士なら死に物狂いの合衆国軍は、先制攻撃で日本軍に致命傷を与えられるのではないでしょうか」
戦力だけでいえば春の戦争で大ダメージを受けたアメリカ軍より日本軍の方が勝る。しかし戦力だけでは決まらないのが戦争だ。アメリカ軍が戦端を開くなら核を使うなり、気象条件を利用するなりして日本軍に緒戦で大打撃を与えるだろう。
アメリカ軍が筑波を攻め落とせるかは微妙なところだが、日本軍の西日本侵攻という悪夢を打ち砕く程度はできるはずだ。相手の領土を占領することだけが勝利ではないのである。アメリカ軍の目標は日本軍の戦力を削ることなので、関東を荒らして引き上げることができれば充分に戦略的勝利といえるだろう。
しかし戦争は二国間だけで行われるものではない。日米が戦争状態に突入すれば、当然周辺諸国も動く。
「ただ、中国やロシアがどう動くかはわかりません。もしもアメリカ亡命政権が日本と戦っている間に中露が日本に侵攻すれば、共倒れということも考えられます」
中国もロシアも、最近ようやく異世界人襲来に伴う経済混乱、小規模な内戦状態から脱出し、小康状態を取り戻していた。とはいえ両国とも安定にはほど遠く、国民の不満を逸らすための外征という選択肢は常に首脳陣の頭にちらついているだろう。
ジュダの答えを聞き、イカルス博士は満足そうにうなずく。
「なるほど。模範的な回答だ。しかし、残念ながら不正解だな。勝者となるのは日本だ」
「そうなのですか? 一体何が起きるのでしょう?」
ジュダは驚きつつもイカルス博士に答えを求めた。イカルス博士は楽しそうに笑みを浮かべる。
「戦争という極限状態はグラヴィトンイーターを進化させるのだよ……! 〈プロトノーヴァ〉に仕込んでおいたあれの最大稼働がようやく見られる……!」
イカルス博士がいわんとしていることを瞬時に理解し、ジュダも興奮する。
「ということは、我々が開発中の次世代型GDもようやく進展するのですね!」
ならばイカルス博士が進行中の計画は最終段階に入ったということになる。極限状態に置かれたグラヴィトンイーターが、あの機関にどういう影響を与えるのか。今までファウストを使って得ることができたわずかなデータしかなかったが、進の戦いにより実戦でしかとれないデータを〈スコンクワークス〉はまた入手できる。
「そういうことだ……。機は熟した。もう我々がなりを潜める必要もないだろう。ジュダ、君に任務を与える」
「ハッ!」
ジュダは直立不動でイカルス博士の命令を聞く。
「君はグラヴィトンイーターを四人ほど見繕って、今すぐ中国に向う準備をしてくれ。オファーが来ているのだよ。我々は技術者集団なのに、傭兵としてのオファーがね……」
「確かに拝命しました! 見ていてください、全てはドクター・イカルスの理想のために……!」
「頼んだぞ。私が出られない以上、君だけが頼りだ……!」
ジュダはイカルス博士の言葉に胸を昂ぶらせる。ジュダは牙を剥く獣のように唇を歪めて歯を見せ、笑った。
○
中国の首都、燕京。赤絨毯が敷き詰められた広い部屋に、巨大な円卓。正面には革命と団結を表す五星紅旗が掲げられている。中華人民共和国国家主席、劉凱征は大坂のアメリカ亡命政権に紛れ込ませていた間諜からの情報を聞き、大きくうなずいた。
「やはり美国は日本に仕掛けるか……!」
劉凱征はたっぷりと脂肪のついた大きな体を深く椅子に預け、ほくそ微笑む。予想通りの展開だ。
「さっそく、我々も台湾、沖縄に仕掛けましょう! 日本に使者を送り、美国を挟撃するのです!」
党幹部の一人が興奮のあまり立ち上がる。中台統一は中国の悲願だ。日米欧の帝国主義者どもに奪われた「戦略的辺疆」たる沖縄も解放し、中華民族の偉大なる復興を成し遂げなければならない。この千載一遇の好機を逃す手はなかった。
しかし劉凱征は首を横に振る。
「いや……日本の手は借りない。これを機に日本も徹底的に叩き潰す」
劉凱征はさらに先を見据える。台湾? 沖縄? それだけではまるで足りない。狙うべきものはその先にある。劉凱征を国家主席の地位までのし上げたのは、この飽くなき欲望だった。
劉凱征は党員たちに力説する。
「美国の崩壊により、人民共和国は世界で唯一の超大国となるはずだった。しかし東夷、北狄、西戎、南蛮は我々に屈さず、中国は未だに東アジアの大国に留まっている! 我々の世界戦略には足りないものがあるのだ! それが何かわかるか?」
党員たちの答えを待たずに劉は言う。
「太平洋だ! 我々には太平洋の拠点がない! だから中華の威光は東アジアの狭い庭に閉じ込められてしまう!」
異世界人襲来以前、中国を圧迫していたのはアメリカ合衆国の脅威だ。世界の海空軍を全て敵に回しても圧勝できるだけの海空戦力がアメリカ合衆国にはあった。
中国はいざ有事となれば海上輸送路をアメリカとその同盟国により簡単に寸断されてしまう。十億を越える人口を国内の資源だけで支えるというのは白昼夢だ。中国はあっという間に自壊するだろう。
なので異世界人襲来以前の中国の戦略は、資源輸送路の保全に終始した。中央アジアの石油や天然ガスを輸入するため、強引にでもウイグルを確保する。パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマー等の港に投資して拠点化し、中東からの原油輸送ルートに「真珠の首飾り」を構築する。
周辺諸国を勝手に有事の作戦エリアに組み込んだことで悪名高い「第一列島線」も、アメリカへの恐怖の表れである。中国の海空軍力では日本列島をはじめとする島嶼群を防衛線として利用しなければ、とてもアメリカ海空軍に対抗できないのだ。
現在、アメリカ合衆国の脅威は「黒い渦」が北米大陸を覆ったことで消滅している。しかし「黒い渦」は世界の通信・交通網をズタズタに切り裂いてしまった。おまけに沿岸部にはアメリカ合衆国からの難民が少なからず流入し、軋轢を生み始める。中国は外敵に怯える必要はなくなったが、今度は物資不足や政情不安による内部崩壊を心配しなければならなくなったのである。
「我々が最終的に目指すべきは、北アメリカ大陸の征服だ! アメリカを押さえれば、世界は我らのものである!」
内部からの圧力は外に逃がすしかないが、周辺諸国から多少領土を切り取ったところで知れている。なので劉たちが考えるべきは「黒い渦」を消し去った後の世界についてだ。
〈スコンクワークス〉に潜り込ませているスパイからの情報で、「黒い渦」の消去に目処が立ちつつあることを劉は知っていた。劉は大中華の指導者として、世界が再び混乱に陥るそのときを見据えなければならない。
「黒い渦」が消えてしまえば、無人の地となっている北米大陸は最後のフロンティアとして姿を現す。十三億人を食わせるため、中国は是が非でも北米大陸の獲得競争に勝たなければならないのである。
幸い、太平洋方面を除く中国の周囲は安定している。アメリカに対抗するための「真珠の首飾り」は図らずも最大の敵であるインドをぐるりと包囲し、封じ込めた。ロシアはソ連時代の領土回復に熱中していて東欧、中央アジアに釘付けであり、中国に手を出す気配はない。冷戦時代に係争地帯となった珍宝島(ダマンスキー島)も、中国優位の線引きで国境協定が成立している。安心して中国は第一列島線の確保に励める。
「そのために、まずは日本列島を手に入れなければならない! 我らは日本列島を拠点に、北アメリカ大陸を目指す!」
会議室を拍手の洪水が埋め尽くす。アメリカ合衆国の後ろ盾がない日本など、角のない鹿のようなものだ。唯一の武器を失った草食獣には、肉食獣の爪や牙に抗する術はない。大人しく餌食となるしかないだろう。
中国にとって唯一の懸念材料は焔北極星をはじめとする日本側のグラヴィトンイーターだ。しかし〈スコンクワークス〉は劉の要請に応えて、グラヴィトンイーターの派遣を決定していた。劉は〈スコンクワークス〉に多額の献金をして、パイプを作っていたのだ。
イカルス博士は何を考えているか今一つわからないが、金の力には逆らえないだろう。今や〈スコンクワークス〉の研究開発に、中国の資金はなくてはならないものになっていた。
装備でも数でも勝る〈スコンクワークス〉のグラヴィトンイーターたちには焔北極星といえど勝ち目はない。仮に〈スコンクワークス〉が敗れたとしても物量で戦線を破壊し、目的を達成するだけである。
劉は作戦の成功を確信し、ご馳走を前にした子どものような笑みを浮かべた。




