20 ようやくの出撃
進がエレナとともに学校の車を借りて基地に着いた頃には、災害派遣どころではなくなっていた。アメリカ軍侵攻の報がようやく土浦基地に届いていたのである。台風で電波が通じない上、東京─筑波間は電話線も通じていない。電線を引いても電線泥棒の被害に遭い、途中で切断されてしまうのだ。
南関東方面軍司令官を務める稲葉さんは通信車を定期的にこちらに送り、戦闘の経過を報告していたが、リアルタイムにはならない。夜を徹して車を走らせ、小田原から土浦基地に辿り着いた伝令が伝えたのは、アメリカ軍が箱根に侵攻したという五時間遅れの情報だった。台風で崩落した道などを迂回していたため時間が掛かったのである。
これを皮切りに次々と続報が土浦基地に届けられた。
敵のGD地上投入による箱根山陥落。グラヴィトンイーター専用GDと思われる謎の機体が持つ常識外れの火力により、小田原防衛ラインも崩壊。小田原東部に広がる丘陵地帯でのゲリラ戦を試みるも、専用GDによる異様に精密な砲撃で戦闘不能に。これによりアメリカ軍は東京を占領し、千葉に向かっているという事実。
北極星は事実確認に追われ、進やエレナもGDの準備でてんやわんやになった。基地の混乱は相当なものである。エレナなどは木星級重力炉を守るため、土浦基地に着いて早々に筑波へと帰還命令が発せられた。こんな状態で戦えるのだろうか。
現在アメリカ軍は江戸川の渡河作戦を試みているが、守備隊は対空用のレールカノンを水平撃ちして対抗、何とか侵攻を食い止めているということだった。すぐに救援を送らなければならないが、台風のせいで部隊の移動がままならない。結局、進たちは台風が通り過ぎるのを待つことになった。
「いいのか? 今すぐ行かなくて」
進は〈プロトノーヴァ〉を歩かせてでも千葉に向かう腹積もりだった。南極星の専用GDに対抗できるのは、同じ専用GDだけだ。北極星と進が悠長に基地で待機していていいのだろうか。
北極星は動かない意図を説明する。
「アメリカ軍の動きが鈍っているのだ。弾薬や燃料が尽きたらしい。どうせ我々が今から動いても間に合わぬし、やつらもすぐには動けぬであろう。力を温存して台風が通過し次第、出発する」
アメリカ軍は補給が滞っていて、攻勢が止まっているようだった。おそらく台風の影響だ。気象条件は両軍に平等なのである。
台風は午前中で関東を通過してしまうという予報が出ていた。アメリカ軍が物資不足で止まっているとすれば、簡単に補給は終わらないだろう。台風の中、箱根を超えて補給物資を運ぶのは相当骨のはずだ。
ならばこちらはGDの徒歩移動で消耗することを避け、台風の通過と同時にアメリカ軍を襲撃するのが理に敵っている。
進はついでのように訊いた。
「稲葉さんはどうなったんだ?」
北極星は表情を変えずに答える。
「……行方不明だ。曽我丘陵で陣頭指揮を執っていたらしい」
情報によると、曽我丘陵の陣地はアメリカ軍の執拗な砲撃で壊滅していた。北極星は口にしなかったが、生存は絶望的である。
「そうか。さっさとアメリカ軍を追い出して、捜索しないとな」
「うむ。英気を養っておいてくれ」
進は必要以上に動揺せず、北極星もそっけなく稲葉さんについての話を打ち切る。美月に進の仕事が露見したこともすでに頭から吹き飛んでいた。今は敵に勝つ方法だけを考えなければならない。他の心配事は後回しだ。
こんな自分たちに誰かを守って戦う資格があるのかという疑問が一瞬浮かぶが、すぐに進は首を振って打ち消す。余計なことを考えないというのも、進の仕事に含まれている。でなければ、進は死ぬ。
しかしどうしても思案することを避けては通れない事柄もあった。これから戦う敵についてである。
「俺たちが成恵と戦うんだよな?」
進の問いに北極星は静かに首肯する。
「そうだ。グラヴィトンイーターである我々以外、もう一人の私──流南極星に対抗できる者はいない」
「……おまえはもう一人の自分と戦うことに抵抗はないのか?」
進は迷いを隠しきれず、苦悩を表情に浮かべながら北極星に尋ねた。北極星は答える。
「抵抗がないわけではない……。やつの気持ちもわかる。なにせ自分だからな。戦うことでしか、ファウストの無念は晴らせぬだろう。私でもそう思う」
北極星は表情に苦悩を滲ませる。相手の気持ちがわかっても、相容れないのなら戦うしかない。
「私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなると決めたのだ……! 戦争の犠牲者を減らすため、立ち止まっているわけにはいかぬ。もう一人の私が立ちはだかるなら、薙ぎ倒すまでだ」
北極星は芯がぶれない。迷ってばかりの進とは正反対だ。進はさらに訊く。
「……成恵が筑波の木星級重力炉を使ったとして、こっちに被害を出さず過去に飛べる確率はどれくらいだ?」
もしも南極星が百パーセント過去に飛べるなら、進たちは南極星の時間遡行を阻止する必要はない。過去の北極星が敗れても、今の進が生きる世界軸に影響はないからである。「南極星が現れた世界」が分岐して、今の世界と併存するだけだ。気分はよくないが分岐平行世界ができても実質的な害はない。
この事実は一巡目の世界で〈スコンクワークス〉の指導者にして最初のグラヴィトンイーターであるイカルス博士が実証している。
イカルス博士は木星級重力炉を使って過去に発信器つきのマーカーをいくつも送り込むという実験を行った。そしてマーカーが全く現在で発見されないという事実をもって、過去改編の影響は現在に及ばないとしたのである。
過去といっても安全な時間遡行が可能な範囲なので、マーカーを送ったのは数分程度前でしかなかったようだが、この場合はかえって説得力を強める。
当時は本当にマーカーが過去に送られていたかわかったものではない、という批判もあったが、今となっては信じざるをえないだろう。同じ方法で一巡目の〈スコンクワークス〉は過去に移動したのだ。
よって南極星が何の被害も与えずにこの世界を去るなら素通りさせて、進たちはアメリカ軍との戦いに集中すればいいだけだ。
「八割といったところだな」
北極星の述べた答えで、進の希望は閉ざされる。進の表情は目に見えて曇り、北極星は淡々と言う。
「春のファウストに比べれば望みはあるが、失敗の確率が二割というのは許容できぬ。第一、うまく過去に転移できたとしても重力炉は稼働不能に追い込まれる」
春にファウストが時間遡行を強行した場合、成功率はおおよそ七割だったらしい。ファウストに比べれば分のいい賭けではあるが、失敗したときの被害を思えば進たちは阻止に回らざるをえない。
また、大規模な時間遡行は筑波の木星級重力炉に掛かる負担も大きすぎる。かつてファウストによって滅びた世界から過去に人々を逃がすため、時間遡行を敢行した〈スコンクワークス〉の空中戦艦〈ノアズ・アーク〉は、今も木星級重力炉の不調により航行不能だ。
また筑波の木星級重力炉も春の戦争で進と北極星が侵入したことで不調に陥り、しばらく市内への電力供給が減った。戦勝ムードのおかげで特に問題にはならなかったが、復興の足枷になったことも事実である。
南極星が長大な時間旅行を成功させても、その代償は大きいのだ。筑波の木星級重力炉が使えなくなれば、平時でも周辺地域の住人は電力不足で生活が立ち行かなくなる。
ましてや今は戦時なのだ。筑波を守る何重もの陣地に据え付けられている対空・対地レールカノンは、木星級重力炉からの電力で動いている。陣地のレールカノンが全て使えなくなれば、筑波は丸裸も同然だ。アメリカ軍は堀も城壁もなくなった筑波を数日で蹂躙するだろう。
「だよな……。成恵を倒すしかないよな……」
進は深刻な顔でうつむく。倒すしかないという言葉さえ充分ではない。進は彼女を殺すしかないのである。
果たして進は南極星を撃つことができるだろうか。できなければ、代償として何人もの味方を死なせることになる。そもそも昨日の夜に進が南極星を撃てていれば、すでに何千人もの死傷者を出しているであろうこの戦争は起きていなかった可能性さえあるのだ。進のためらいは人を殺す。
そもそも南極星の目的が本当に過去に飛ぶことかといえば、おそらく違う。多分進と北極星を筑波に釘付けにするための嘘っぱちだと考えるのが妥当だろう。しかし、たとえ真っ赤な嘘でも本人の口から聞いたのなら、進たちは対策せざるをえない。万が一南極星が本気だった場合の被害が大きすぎる。その「万が一」にすがろうとしていたのが今の進だった。
進が考えていることを察して、北極星は言った。
「……我々パイロットの階級がなぜ高いか、知っているか?」
「そりゃあGDなんて危険なものを、一人で使うからだろ」
進は教本に載っていたことをあやふやながら思い出して回答する。重い責任を負う者ほど階級が高いという当たり前のことだ。
GD、あるいは戦闘機は強力な兵器である。強力であるが故に、行動一つ一つの影響が陸や海の兵器と比べて桁外れに大きい。武器を一切積まずとも墜落事故を起こせば地上に大きな被害をもたらすのだ。それこそ核兵器でも搭載すれば、一つの都市を焼き尽くすことさえできてしまう。
なのでパイロットには高度な判断力が求められ、背負っている責任も重い。基本的にGDパイロット、戦闘機パイロットは尉官以上、つまり士官だ。相応の教育を受け、試験をクリアした者しかなれない。
例えば進が特務飛行時代に任ぜられていた階級である大尉は、陸軍でいえば中隊長クラス──二百人程度を率いる指揮官である。一機のGDを操るということは、乱暴にいえば二百人の命を預かるのと同じだけの重みがあるのだ。
進の解を聞き、北極星は問い掛ける。
「では普通のGDよりずっと高性能なノーヴァシリーズを操る我々には、いかほどの責任があるのだろうな?」
進の今の階級は中佐。陸軍でいえば大隊長クラスで、六百~八百人を統率する。海軍なら駆逐艦やフリゲートの艦長クラスだ。
「私は最初、貴様を准将に任ずるつもりだった。だが、私は准将でも貴様には不足だと思っていた」
准将は陸軍なら旅団長、六千人を指揮する将官。海軍なら一つの艦隊の司令官だ。しかしそれほどの地位でも、世界さえ滅ぼす力を持つグラヴィトンイーターとは全く釣り合わない。
「私は何度も一人目の進──ファウストと戦っている。だから貴様の気持ちもわかる。だが、覚えておけ。負ければ貴様が死ぬだけでは済まぬのだ。我々はこの国、いや、この世界全体の命運を握っている」
北極星の言葉を受けて、進は身震いした。もうアメリカ軍は東京まで到達している。進たちの敗北は即、筑波への攻撃につながるのだ。
「……肝に銘じておくよ」
体の震えは止まらない。この震えは武者震いだ。俺は成恵が相手でも、引き金を引ける。進は自分に何度も言い聞かせた。
○
午前十一時を過ぎる頃には台風はすっかり過ぎ去り、嘘のように晴れ渡っていた。やっと出撃命令が下り、進は北極星の率いる第305飛行隊──今は近衛飛行隊とともに東京を目指す。
しかし空に上がってすぐ、作戦は軌道修正を余儀なくされた。天候がよくなったことで、米空母艦隊が動き出したのだ。
春の戦いで三隻保有していた空母のうち二隻を失ったアメリカ海軍だったが、まだ空母は一隻残っている。アメリカ海軍は最後に残った一隻を中心とする空母艦隊を、伊豆半島を越えて東京方面へ進出させたのだった。
明らかに陽動だったが、対応しないわけにはいかない。放置しておけば筑波が空襲を受けてしまう。今、筑波では台風通過でやっと電波が回復し、テレビやラジオでようやくアメリカ軍の侵攻が報道され始めたばかりだ。そんなときに空襲を受ければ、大パニックが起きてしまう。
北極星は苦渋の決断を下した。
『……仕方あるまい。305Sqはこのまま筑波で敵機の侵入を警戒。私と進だけで東京に向かう』
北極星は東京に行くはずだった第305飛行隊を筑波に残し、専用GDだけで東京を目指すことにする。
南極星が千葉方面にいる以上、北極星と進はそちらが優先だ。進だけが空母艦隊の撃沈に向かうという手もあるが、空母には護衛の駆逐艦、フリゲートも随行している。艦載機も六十機は積んでいるだろう。リスクが大きすぎる。南極星と〈エヴォルノーヴァ〉に確実に勝つためには進と北極星の連携しかない。千葉方面にはすでに一個飛行隊を展開しているので、量産型GDはそちらに任せることになりそうだ。
〈ヴォルケノーヴァ〉と〈プロトノーヴァ〉は二機だけで進路を南にとり、千葉を目指した。いよいよ、南極星と戦う。進はコクピットの中で身震いした。