17 箱根攻防戦
台風とともに襲来したアメリカ軍を稲葉がすみやかに迎撃できたのは、事前にアメリカ軍の動きを察知していたからだ。密偵からの情報によればアメリカ軍は静岡や山梨に集結していて、空軍の主力も名古屋まで出ていた。稲葉は本当に侵攻があるか懐疑的だったが、陸軍の一部を箱根峠の西に陣取らせて備えておいた。
先遣隊はわずかではあるが時間を稼ぎ、小田原に駐留していた陸軍主力が箱根峠に急行する。箱根峠は突破されたものの、日本陸軍主力は芦ノ湖に面する小さな平野でアメリカ軍を迎え撃った。
稲葉は指揮車両の中で陸軍同士の攻防は一進一退という報告を聞き、大きくうなずく。
「これでいい。みだりに仕掛けず、防御に徹するんだ」
この地区は元々観光地、住宅街だったので建物の残骸が数多く残っていた。地形を活かして持久戦を強いれば、敵は消耗する。そうして台風が通り過ぎるまで持ちこたえれば、稲葉たちの勝ちだ。空軍による空爆で敵勢を殲滅できる。
空軍の出身である稲葉だが南関東方面軍司令官として、陸海空軍の全てを束ねる立場にあった。稲葉は前大戦や特務飛行隊時代に人手不足から陸戦の指揮を執った経験も多いので、通信が通じない状況での陣頭指揮もそつなくこなせる。
まずは戦線を膠着状態に持ち込むという第一目標を達成する必要がある。だがただ守っているだけでは敵の勢いに押されてジリジリと後退させられるばかりだ。どうにか勢いを消さなければならない。稲葉は町を見下ろす山道の方に砲兵部隊を送り、支援砲撃を行わせることにした。
箱根を突破して小田原に至る経路は二つある。一つ目は今激しい戦いが行われている芦ノ湖畔の平野部を通るルートで、二つ目は箱根山中を貫く狭い車道を通過するルートだ。
山道通過ルートにもアメリカ軍は来ている。しかし軍が展開するには狭い道なので、バリケードや道路脇の山林に潜ませた歩兵による迎撃でアメリカ軍は攻めあぐねていた。稲葉はこちらに20式火力戦闘車を送り、平野部への砲撃を命じる。
20式火力戦闘車は155ミリ榴弾砲を装輪装甲車に乗せた簡易な自走砲だ。キャタピラ式自走砲のように戦車に追随することはできないが、トラックで牽引する榴弾砲よりは展開が早く、ちょっとした装甲も備えているので生残性が高い。中途半端な車両ではあるが山道ルートを進ませるには充分だ。山道ルートからであれば平野部のほぼ全てを狙うことができ、かつ反撃を受けづらいので一方的に敵を攻撃できる。
稲葉は火力戦闘車に敵砲兵と司令部を狙わせた。目論見通り敵の支援砲撃は滞り、味方戦車が敵戦車を圧倒するようになる。日本陸軍の主力である10式戦車はアメリカ陸軍のM1A3エイブラムスより一回り小さく、遮蔽物が多い地形なら有利に戦える。
前大戦において日本軍、アメリカ軍の主力戦車として活躍したのはそれぞれ90式戦車とM1A2である。当時アメリカ軍のM1A3は開発中だった。日本軍の10式戦車は財政的な問題で数が数が少なかった上に相模原工場が破壊されて生産不能に陥っていた。
M1A2の主砲は90式の正面装甲すら貫き、分厚い装甲は90式の砲撃を弾き返す。
同じ120ミリ滑腔砲を装備していて、自分の砲撃に耐えられる装甲を備えていても、使っている砲弾の違いでこうなるのだ。M1A2が採用している新型劣化ウラン弾は90式の旧式タングステン製砲弾よりずっと威力が高い。しかし60tを越える重量が災いし、M1A2は橋を渡れなかったり障害物に乗り上げたりで、戦えなくなることがしばしばあった。約60tの戦車が通れる橋は、日本列島において全体のおよそ四割しかないのである。
一方で90式はM1A2よりも10t以上軽く、自動装填装置を採用しているため機動性と速射性能では勝る。90式も50tはあるため重量による制限を受けることは多かったものの、M1A2に比べればずっと自由度は高い。障害物が多い日本の地形を活かし、90式はどうにかM1A2に対抗していたが、正面から殴り合えば90式は負ける。空からの支援なしに日本陸軍は攻勢に出られなかった。
さて、この九年で両軍とも次世代戦車を戦力化して今回の戦場に投入しているが、優勢なのは10式戦車だった。結局のところ両軍とも課題となっていたのは軽量化だったが、この分野に日本は太平洋戦争以来一貫して取り組んでいる。日本には一日の長があった。
M1A3はM1系列のフレームはいじらず、装甲を重い劣化ウラン材から軽量なセラミック材に変更している。自動装填装置を採用して乗員を一人減らし、新型軽量砲を採用するなど他にも涙ぐましいダイエットの努力はしているが、重量の大半を占める装甲に手をつけないわけにはいかない。
要はM1A3は、堅牢な劣化ウラン材の装甲をノウハウのないセラミック製複合装甲に入れ替えただけの代物なのである。防御力が落ちたわけではないが、上がってもいない。何とか現状維持できたという程度だ。車体は変更していないので日本軍の戦車よりも一回り大きいままで、重量も50tを超過している。既存のM1シリーズをM1A3に改修できるのでコスト面では有利だが、最適化はされていない。
対する10式戦車は車体まで新造して軽量化し、重量は40t台である。炭素繊維とセラミック材を組み合わせた新型複合装甲の防御力はM1A2を超える。車高もM1系列より70センチも低いのでそれだけ身を隠しやすく、弾も当たりにくい。多額の開発費を投じただけの性能を、10式戦車は備えている。
10式はちょっとした窪みや建物跡に身を隠して接近し、M1A3を狙い撃つ。台風による風雨で敵はこちらを発見できないのだ。M1A3の正面装甲は貫けなくても側面なら楽勝だし、当たり所が悪ければ正面でも撃破できる。
一方のM1A3はでかい図体が災いして身を隠しきれず、日本軍に追い立てられる。進撃してきているときは大きな脅威だったが、勢いをなくしてしまえばただの豚だ。
アメリカ軍は歩兵を送り込んで物陰からの奇襲で10式に対抗しようとするが、やはり戦車は陸戦の王様である。10式戦車は悠然と砲塔を動かして歩兵が隠れていそうな瓦礫に主砲を向け、空を切り裂く砲撃で強引に歩兵を掃討してしまう。
主砲の隣には機銃が据え付けられている。主砲の装填時間を利用して接近しようとしても弾幕の餌食となるだけだ。ほどよく遮蔽物があるこの地形では、10式戦車は無敵だった。
このままいけば勝てる。しばらくは悪天候が続くので、GDによる空襲で逆転される心配もない。
稲葉が追撃戦の段取りをとろうとしたとき、事態は急変した。山道ルートが突破されたのだ。
「稲葉少将! GDが……!」
「何だと……!」
報告を聞いて稲葉は思わず絶句する。アメリカ軍は、飛べないはずのGDを戦線に投入してきたのだ。二本の足を使った、徒歩で移動する戦力として。
稲葉が本営としている地点からでも、山道を歩くGDを辛うじて確認できた。GDたちは姿勢を低くして強風に耐え、平野部にレールカノンを撃ち込む。
GD用のレールカノンは対装甲弾しか撃てないが、威力が桁違いである。何せ初速はマッハ十を超え、弾体の一部が高熱でプラズマ化するほどなのだ。地上には高温プラズマの雨が降り注ぎ、衝撃波で大地が揺れる。直撃せずとも、装甲車両には耐えられない。広い場所で散開していれば被害は少なかったかもしれないが、山と湖に囲まれたこの場所にはスペースが足りなかった。
「すぐにこちらもGDを出そう。厚木に連絡を……! 伝令に四台通信車を出すんだ。全て別のルートを通らせてくれ。戦闘中は何があるかわからないから、念には念を入れなきゃならない」
GDに対抗できるのはGDだけである。戦車が接近できれば装甲が薄い部分を狙って撃破できるかもしれないが、山道の方に投入できる予備戦力はない。この近辺だと一番近いGD飛行隊は厚木飛行場の部隊だった。すぐに稲葉は厚木とコンタクトする算段をつける。幕僚は車を手配し、彼の仕事を見届けた稲葉は遅ればせながら付け加える。
「交戦中の陸軍に後退を命じてくれ。我々も撤収だ。小田原で防衛ラインを引き直す」
今、芦ノ湖畔で戦っている部隊の撤退は不可能だろう。見捨てる形になってしまうが、どうしようもない。司令部の安全すら危ういのだ。救出の手段はなかった。
GDを徒歩で地上戦に投入するなど、普通はありえない戦術だ。人型であるGDは全高が高くいい的になる上に、スラスターや間接など脆弱な部分を敵歩兵に狙われる。空を飛ばした方がずっと有用だ。稲葉からすれば素人の思いつきとしか思えない。
しかし今回のように通常戦力で前線を作った上で後方から支援させれば、飛べずともその火力を存分に活用できる。こちらがGDを随伴していれば全く意味のない戦術だったのだろうが、悪天候による通信障害と固定観念に稲葉は敗れた。天気が悪くて飛べないから歩かせるというのは単純な発想だが、稲葉のような空のプロからすれば盲点だったのである。
敵の戦術を見抜けなかった悔しさに唇を噛みつつ、司令車を発進させて稲葉は箱根を後にした。
この話に出てくるM1A3はほぼ創作です。実際のM1A3は現在開発中で、2017年に完成予定。いったいどうやって軽量化しているのか、興味深いところです。
ちなみにこのあたりの戦闘は、グーグルアースで現地の航空写真を見ながら執筆しました。写真を見ながらだとわかりやすいかも。




