16 箱根への侵攻
愛知県、名古屋航空機製作所。この工場は太平洋戦争中に零戦を生産したことで知られ、戦後も戦闘機生産の拠点となっている日本の航空宇宙産業の聖地だ。西日本がアメリカ軍に占領された後も工場は稼働を続け、今はアメリカ軍のGDを生産していた。
今は台風とともに東へ進撃する予定のGDを最終チェックしている最中だ。ずらりと並んだ〈バイパー〉たちは準備ができ次第、自らの足で歩いて外へと出て行く。出撃時刻は迫っていた。
流南極星は工場の一角で改修中の〈エヴォルノーヴァ〉を見上げる。プラズマステルスで強硬侵入した筑波から戻ってきて三時間。揃えておいた装備を装着した〈エヴォルノーヴァ〉の外観は劇的に変化していた。
〈バイパー〉用の増加装甲を組み合わせて作った即席の真っ黒な鎧で〈エヴォルノーヴァ〉は覆われていた。本来の塗装である青紫色は隙間からわずかに覗くばかりだ。胴体はもちろん脚部まで黒の装甲は装着されていて、空いているのはアークジェットスラスターのプラズマ噴出口のみである。
両腕には機体正面をカバーできる大きさの巨大な盾がそれぞれ装備されており、質量で敵を圧倒する。かなり腕の動きは制限されるが、両太ももハードポイントの小型補助腕で補う予定だ。背中にはデルタ翼型の兵装ラックを増設し、翼の上部には艦載用の対空機関砲を二基据え付けている。
デルタ翼から釣り下げられた火器類は大口径のものばかりで、まるで人間がいくつもの土管を運んでいるかのようだ。GD相手にはオーバーキルの破壊力を誇るものばかりだが、こんな火薬式の大型砲はまず当たらないだろう。正気とは思えない武装構成である。
「……これでよかったのか? 俺にはクレイジーとしか思えないが」
南極星の隣にやってきた楠木トーマスは尋ねる。
ガッシリとしたマッチョな体型に、金髪を油で撫でつけた髪型。アメリカ海兵隊にでもいそうな外見のトーマスだが、彼は日本国籍を持っている。日本人女性と結婚していたのだ。トーマスは戦前東日本に家族と住んでいて、たまたま西日本を仕事で来訪していた最中に戦争が始まり、帰れなくなったのだった。
これだけの武装を世界中から集めてきたのはトーマスである。アメリカ軍の西日本占領前、日本製GDを売りさばく武器商人としてトーマスは名の知れた存在だった。トーマスはかつてのコネクションをフル活用して生産停止品や特注品を含む南極星のオーダーを実現した。
「ええ。これであなたの家族の敵討ちができるわ。さしずめこの機体の名前は〈アヴェンジャー・エヴォルノーヴァ〉ってところね」
アヴェンジャーは復讐者のことだ。この単語は九十年代に開発中止となったアメリカ海軍のデルタ翼型ステルス攻撃機のニックネームにも採用されている。背中に大型デルタ翼を取り付けられたこの機体には、形状からいってもピッタリだろう。
南極星の言葉にトーマスは鼻白む。
「俺は復讐なんて望んじゃいないさ。ただ、合衆国で商売しない理由がなくなった。それだけだ」
東に残っていたトーマスの家族が殺されたことが判明したのは、およそ一年前のことである。内偵活動のため東京に潜入していたファウストが、接触したゲリラからたまたま聞き出したのだ。
情報提供者は日本軍の特務飛行隊に襲撃されたテロリストの生き残りだった。彼の組織はファウストの支援を受けていて、高額な身代金と引き替えに東日本に取り残された在日米軍の家族を西に送る仕事を請け負っていた。
彼によると強盗に押し入ったときに母親と思しき日本人女性は殺してしまったが、トーマスの娘であるエレナは生きたまま捕縛していたという。ところが直後に特務飛行隊の攻撃を受けて拠点としていた館は炎上、おそらくエレナはそのときに死んだ。
すぐさまトーマスには悲報が伝えられる。頑としてアメリカ軍への協力を拒んでいたトーマスがアメリカ軍のために働くようになったのは、これがきっかけだった。
「そう……。私はあなたの娘さんの敵をとらせてもらうわ」
南極星はしれっと言うが、エレナが生きていることを知っていた。グラヴィトンイーター同士のリンクで、ファウストの記憶に触れて錯乱していた進から読み取ったのだ。しかしわざわざトーマスにエレナの生存をトーマスに教えてやる義理はない。せいぜいエレナの生存が判明するまで、南極星の手駒でいてもらおう。
「フン……。俺の仕事はもう終わっている。後はあんたがこいつをどう使うかだ」
トーマスはどこか投げやりで、吐き捨てるように言った。南極星はフッと微笑み、遠隔操作で〈Aエヴォルノーヴァ〉を外へと歩かせる。
南極星が〈Aエヴォルノーヴァ〉に乗ろうとしたところで、四名ほどの日本人がやってきて南極星に敬礼する。
「流大尉! 我ら第442飛行隊、準備完了しました!」
かつてファウストが指揮していた第442飛行隊の面々だった。日本を裏切って合衆国についている彼らは勝たなければ終わる。南極星は悲壮な顔で覚悟を決めている彼らに敬礼を返す。
「私も準備完了よ。これから戦場に出るわ……!」
「筑波を陥落させ、必ずやファウスト大尉の仇を討ってみせます!」
第442飛行隊の隊長は南極星に決意表明する。彼らにとって、南極星はファウストの後継者なのだ。南極星も日本を裏切ったグラヴィトンイーターだから。
第422飛行隊は春の戦争でGDの大半を失った後、戦力の補充がされていない。残っている四機のGDで台風が去った後、最前線で陸軍の直衛という危険な任務に付く予定だった。
「一緒には戦えないけど、健闘を祈るわ!」
負ければ裏切り者として処刑されるであろう彼らのためにも、勝たなければならない。南極星は南極星の役割を果たす。そうすれば世界から戦争を無くすことさえできるはずだ。
作戦開始はもうすぐである。南極星はこれから始まる戦いを思って昂ぶりを抑えられず、重力を操作して一っ飛びで〈Aエヴォルノーヴァ〉に乗り移った。
○
「カスター大将! いくら何でも前に出過ぎです! この位置では流れ弾を受けたときに司令部が壊滅してしまいます!」
「ファック! 弾が飛んでこないところで戦争ができるか!」
ストライカーCVの車内に、カスター大将の怒鳴り声が響いた。若い幕僚はヒィッと呻き、黙り込んでしまう。外の激しい風雨が車体を叩く音だけが、気まずい空気を震えさせる。
この九年間で、戦争のやり方を知らない玉なし野郎が増えた。「黒い渦」と台風でほぼ通信が通じないこの状況の中、司令部が後方で震えていては指揮もクソもない。司令部も軍と一緒にひたすら前進あるのみだ。カスターたちが乗り込んでいるストライカーCVは装輪装甲車を改造して作った指揮車両である。直撃ならともかく、砲弾の破片程度なら命中しても耐えられる。
「マリー、必ず勝って帰るからな……!」
カスターは懐から取り出した愛娘の写真に勝利を誓う。大坂のハイスクールに通うマリーは、母親に似た美しい娘に成長していた。カスター譲りの勇敢さも合わせ持つ、自慢の娘だ。戦争が終わったらハンティングに連れて行くと約束している。絶対、勝って帰らなければ。
そろそろ日本軍の襲撃がありそうだ。すでにカスターが率いる陸軍主力は沼津を抜けて日本軍勢力圏に侵入していた。
合衆国陸軍は戦車部隊を先頭に装甲車やトラックで歩兵部隊、砲兵部隊が続くという隊形だ。空をGDが我が物顔で飛び回るようになっても、陸軍は第二次世界大戦以来変わり映えのしない陣容である。異世界人の来訪後もグラヴィトンドライブを搭載した陸戦兵器は登場していないため、陸軍には大きな進歩がないのだった。
日本陸軍は韮山や足柄に駐留していて、簡素なものであるがトーチカも築城している。カスターは一隊を伊豆半島に回し、残りの全軍で芦ノ湖畔を掠めるルートを通り箱根を強行突破する予定だった。アメリカ軍はかつての国道を縦隊で進撃する。
と、坂道の途中で脳髄を揺さぶるような砲声が響き、ストライカーCVは揺れる。先頭の部隊が日本軍を発見し、発砲したのだ。
いてもたってもいられずカスターは車体上部のハッチを開け、身を乗り出す。たちまち車内は風雨に晒されるが、戦場の空気を肌で感じられない方が問題だ。身につけている軍用ポンチョが雨粒を弾き、乾いた音を立てた。
「撃て、撃て、撃て! 撃ちまくれ! 火力こそが正義だ! 黄色い猿どもを吹き飛ばせ!」
興奮したカスターは命令が届かないのを承知でわめき立てる。カスターの位置からは戦車の主砲から放たれるオレンジ色の爆炎しか見えないが、とにかく戦車が戦っているのはわかった。この周囲は元々ゴルフ場だったが前大戦の砲爆撃でほぼ更地となっていて、上り坂ではあるが戦車が活躍する余地が大きい。戦車の火力と機動力で敵の防衛ラインを突破するのみだ。
地形は事前に偵察を使って探らせていて、頭に叩き込んである。カスターは部下に命じて敵歩兵が隠れていそうな場所にストライカー装甲車を急行させる。いくら砲火の晒された場所でも、日本の気候だとそれなりに植物は育っていて、即ち敵の隠れ場所はある。台風に乗じた奇襲であっても、敵軍が何の対応もしていないと考えるのは悠長すぎるだろう。敵の伏兵に戦車がやられるのを防がなければならない。
戦車は視界が悪く、キャタピラなど近づけば意外と弱点が多い。よって戦車は歩兵の接近を許せば簡単に撃破されてしまう。そのため戦車は歩兵の支援が不可欠である。装甲車で戦車についていく歩兵は敵歩兵を狩るためにいるのだ。
ストライカー装甲車には九名の歩兵が乗り合わせていて、目標地点に近づくと下車して戦闘する。歩兵たちは自らも茂みやら倒木やらのわずかな遮蔽物に身を隠しつつ、装甲車に搭載された機関銃の支援を受けて敵の気配がある地点に突っ込む。軽装の歩兵たちは対戦車ミサイルを持って潜んでいた敵歩兵をあっという間に蹴散らした。
やがて部隊は箱根峠を越えて芦ノ湖畔にあるかつての住宅街、今は瓦礫の山に差し掛かる。敵味方ともに瓦礫に身を隠しながらの戦車による撃ち合いが始まった。
こんなところに時間を掛けているわけにはいかない。カスターは無線で飛び込んでくる情報から味方部隊がどこにいるか必死に判別しつつ、どこに火力支援が必要か見極めていった。敵味方入り乱れた混戦の中で、少ない情報から同士討ちを避けて敵の弱点を突く。指揮官の腕の見せ所だ。
カスターはトラックで牽引させてきたM777 155ミリ榴弾砲を展開させ、味方が押されていると思われる地点に砲撃を命じた。大地を揺るがす砲音とともに火薬がたっぷり詰まった榴弾が砲身から吐き出され、敵の進出地点に炸裂する。砲火を映し、芦ノ湖がオレンジ色に染まった。
直撃でもしない限り戦車を破壊することはできないが、歩兵なら潰せるし地雷も誘爆する。敵が身を隠す瓦礫を吹き飛ばせば、それだけこちらが有利にもなる。カスターは入ってくる情報からどこを砲撃すべきか判断していき、砲兵たちに次から次へと命令を寄越す。
やがて、目に見えて味方が優勢になってきた。砲撃による支援が功を奏したのだ。もう少しでこの地点を突破できるというところで、カスターはキャビンのハッチを閉めて車内に頭を引っ込める。嫌な感じに空気が変わった。カスターは自分の肌で戦場の熱気を感じている。直感には従うべきだ。
直後、近くに敵の榴弾が着弾し、直撃を受けた装甲車一台が爆発炎上した。カスターはすぐに砲兵たちに反撃を命じるが、今度は展開中のM777目がけて榴弾が飛んでくる。敵が砲撃から砲兵の位置を把握してしまったのだ。砲撃を続けようとするあまり同じ場所に留まりすぎたようである。カスターは舌打ちして砲兵に撤収を命じる。まずは移動して、それから砲撃するしかあるまい。
敵はこちらの砲兵だけでなく、司令部も標的にしているようだった。カスターの乗るストライカーCVにも砲弾の破片が当たり、脳髄を揺さぶるような轟音が車内を震わせる。衝撃で通信機器を固定しているボルトがはずれ、車内を跳ね回る。
カスターは近づかないと通信が通じないので、通信車を前線と往復させて情報を得ていた。車両の動きから敵は司令部の位置を類推したのだ。敵の指揮官はかなり優秀らしい。
「ここが踏ん張り所だ! 前進するぞ!」
カスターは声を張り上げて味方を鼓舞しつつ、内心で焦る。こうなることは予測済みだった。作戦では砲兵が反撃を受ける前に新たなる戦力を投入して、この陣地を破るはずだったのである。
空軍のバカどもは何をモタモタしているのだ……!




