14 真実
Dream world
夢の中で進はファウストと対峙していた。この空間は極端に重力が弱いのか、まるで宇宙空間に浮いているような感覚だ。進とファウストは闇色に鈍く光る空間で真正面からにらみ合う。
「どう言い訳しようが、おまえが成恵を捨てたのは事実だ。おまえが捨てた九年間は、もう戻ってこない……」
自分とそっくりな顔をした男に、進は怒りを露わにする。
「ふざけるなよ、北極星を捨てたのはおまえだろう! 死んだ美月のために世界を滅ぼしておいて、俺に何か言う権利があるとでも思ってるのか!?」
逆ギレもいいところだが、進は北極星の助けを借りてファウストとは違う選択をした。確かに成恵には辛い思いをさせたかもしれないが、少なくとも進は世界を滅ぼしたりはしていない。
ファウストは進の言葉に怒る様子もなく、余裕の笑みを浮かべて言う。
「俺は本当のことを言っているだけだ。俺が戦ってきた時間を、おまえは消すことができない……」
進の頭はその瞬間に沸騰した。
「今、おまえを消すことはできるんだぜ!」
いつも上着のポケットに隠し持っているマカロフを抜き、進はすぐさま発砲する。ファウストは煩わしそうにのそりと腕を前に突き出し、拳銃弾を止めた。
「俺は消えないぞ」
ファウストは泰然と進を見下ろす。
特務飛行隊時代から使っていて手に馴染んでいるという理由で持っていたマカロフでは、ファウストに傷一つつけられないようだった。ならば進の保有する最強の兵器を使うしかあるまい。
「きやがれ! 〈プロトノーヴァ〉!」
進の影は前に真っ直ぐ伸びて、白亜の巨人は体を起こす。ファウストも当然のように機体を呼び出す。
「来い、〈ノーヴァ・フィックス〉……!」
〈プロトノーヴァ〉の手足を一回り大きい〈バイパー〉のものと入れ替え、増加装甲を取り付けた不格好な機体がファウストの前に出現する。なぜファウストが指輪を持っているのかはわからないが、機体ごと潰すのみだ。
進とファウストはそれぞれの愛機に乗り込み、取っ組み合いを始める。進は自分に言い聞かせるように吠えた。
「俺だって成長したんだ……! そんな機体で勝てると思うなよ!」
正式に軍の一員となってから、進は存分に広い空を飛んだ。特務飛行隊に所属していた頃は予算や場所の都合で満足に訓練を受けられなかったが、正規軍のパイロットとなったことで進の状況は百八十度変わったのである。飛行時間は学校に通いながらでも昨年の三倍を超え、北極星を相手に模擬戦までこなした。正規軍パイロットとして恥ずかしくない程度の技量は身についたと自負している。
グラヴィトンイーターとしての力も増大した。半年という期間を経たことで進がようやく自分の体に慣れたのだ。〈プロトノーヴァ〉の出力は当初の1.2倍程度まで伸びている。長時間GDに乗れるようにもなった。
今の進なら一人でもファウストに勝てるはずだ。
進とファウストの戦いは戦闘開始距離が近すぎたため、プラズマレンチを抜くこともできず掴み合いになっていた。この距離だと跳弾が予測できないので気軽に火器を使えないのだ。〈プロトノーヴァ〉と〈ノーヴァ・フィックス〉は無重力に近い空間で、揉み合いながら上下左右の別なしに回転する。
機体性能なら〈スコンクワークス〉純正の専用GDである〈プロトノーヴァ〉が上だ。進は機体の握力だけで〈ノーヴァ・フィックス〉の手首を破壊する。まともに殴り合えば進の勝利は揺るぎない。
ファウストは苦し紛れに太ももにマウントされた30ミリハンドバルカンを放つが、進は体を反らして凌いだ。この距離だとハンドバルカンでも直撃を受ければ危ないが、装甲を斜めに向ければ弾を逸らして弾くことができる。
ファウストは〈プロトノーヴァ〉に蹴りを入れ、一旦距離をとった。進はバランスを崩し、すかさずファウストは72ミリショットカノンを乱射してくる。進は盾で辛うじて防御し、回避機動に移る。
中距離の射撃戦でも進が優位に立つ。〈ノーヴァ・フィックス〉のロケットエンジンでは〈プロトノーヴァ〉の加速力に追いつけないのだ。進は小刻みに進路を変えながらショットカノンでファウストを牽制し、時折レールカノンで重たい一撃を加える。
次々と〈ノーヴァ・フィックス〉の四肢が吹き飛んだ。胸部正面装甲はレールカノンでも簡単には貫けないので、進は間接を狙ったのである。ファウストは盾で耐えようとしたが、急加速と急停止、進路変更を繰り返す〈プロトノーヴァ〉の動きについていけない。〈ノーヴァ・フィックス〉は四肢を失ってダルマになり、戦闘力を失う。
「とどめだ!」
もうファウストに反撃の手段はない。進は確実にファウストを葬るため、プラズマレンチを抜いて〈ノーヴァ・フィックス〉に接近する。
『おまえは俺だ……。自分は消せない……!』
通信機越しにファウストの声を聞いて、進は〈ノーヴァ・フィックス〉の前から飛び退いた。〈ノーヴァ・フィックス〉の増加装甲が崩れ落ち、どこから出現したのか真っ白で力強い手足が伸びる。〈ノーヴァ・フィックス〉は進の〈プロトノーヴァ〉とほぼ同じ姿になっていた。違いは荷電粒子ビームカノンの有無だけだ。
「だったら!」
進は〈プロトノーヴァ〉が右肩から下げている長砲身の主砲を取り外し、両腕で構える。何が起きたのかはわからないが、起こしたのはファウストだろう。ならば既存のGDでは防御不能のビームでファウストごと敵機を焼いてしまえばいい。
「喰らえ!」
進は左手に気合いを込め、機体にエネルギーを供給する。進のグラヴィトンシードは輝き、荷電粒子ビームカノンは破壊を振りまく光の束を吐き出す。
『俺が存在した時間、やってきたことは決して消えない……!』
ファウストの機体は生身で銃弾を止めたときと同じように前に手を突き出す。高速、高熱のビームがファウストに着弾する。自分が撃ったビームの光で、一瞬だけ進の視界が真っ白になった。
光が消えた後、ファウストの機体には全く損傷がなかった。進はコクピット内で思わず腰を浮かせ、愕然とする。
「何だと……!」
ファウストの前に、黒い空間のねじれが発生していた。ファウストはビームをブラックホールに吸引させ、進の攻撃を防御したのだ。
『認めろよ……。俺が生きた時間は無駄じゃなかった。俺がいたからおまえは……!』
ゆっくりと進に〈プロトノーヴァ〉が近づいてくる。いったいファウストは何が言いたいのか。わからない。進は恐怖のあまり叫び声を上げた。
○
Real world
「うわあああああっ!」
叫びながら進はベッドから転げ落ちる。進は体を起こし、ばくばくと破裂しそうに鼓動を早める心臓を抑えた。びっしょりとかいた汗で全身がじっとりと湿っている。進はようやく我に返った。
「夢を見ていたのか……?」
進は薄暗い部屋の中で独りつぶやく。あれだけ怖かったのに、どんな夢を見ていたのか全く思い出せなかった。ここのところ怖い夢を見ることが多い気がする。今さらシェル・ショックに掛かったわけでもあるまいし、どうしてだろう。
しばらく進は考えてみたが、何も思いつかなかった。まあいい。今の進には考えなければならない現実がある。
台風は勢力を増しながらいよいよ関東地方に接近していた。もう朝だというのに薄暗く、風で時折家が何かにおびえているかのように揺れる。機関銃弾のように大粒で強い雨はひっきりなしに窓を叩き、深いな音を響かせていた。弾幕を塹壕の中でやり過ごしているような気分だ。
学校は北極星に言われていたとおり、休校になった。電波の乱れでテレビは映らない。静かなダイニングキッチンで、進は一人お茶を飲む。寒々とした部屋の中で、お茶の温かさが身に染みた。
時刻はまだ六時。もう一度寝直してもいいが、とても眠れる気がしなかった。昨晩の出来事が頭の中でうずまき、進の胸を苛む。
美月が起きてくる気配はない。いつも朝に弱い美月だが、今日に限ってはわざとだと思う。いくら時間が早くても、進がダイニングキッチンでバタバタと動いていれば目が覚めるはずだ。
進は昨夜のことを思い出す。このダイニングキッチンでエレナに立ち会ってもらい、進は美月と話をした。
○
「……つまりお兄ちゃんはグラヴィトンイーターっていう不老不死の超人になってて、パイロットをやってるのね。あのとき出てた白いロボットがお兄ちゃんの機体。それで、北極星さんがお兄ちゃんの上司」
「ああ……そういうことだ」
一通り進が行った説明を、美月はちゃんと理解しているようだった。続けて美月は進の隣に座るエレナに尋ねる。
「エレナちゃんは全部知ってたの?」
「ええ……。私も進さんと同じ、軍の秘密部隊に所属しておりましたから」
エレナは神妙な顔でうなずいた。美月は何か言いたそうな顔をしていたが、それ以上追求することなく進に目を移す。
この場に北極星はいない。北極星は後始末のため、現場に残ったのだ。
「お兄ちゃんは、どうしてそのグラヴィトンイーターとかいう化け物になったの?」
「北極星を助けたくて……」
進の答えに美月は目を細める。
「どうせお兄ちゃんのことだから、北極星さんが危なくなっちゃって、その場のノリでグラヴィトンイーターになったんでしょう?」
「そ、そういう一面もあるけど……全部じゃない。俺は力が欲しかったんだ」
進がグラヴィトンイーターとして覚醒したのは、北極星を助けるために指輪を手に入れたときだ。しかしグラヴィトンシードを体に埋め込んだのは、それよりずっと前である。グラヴィトンイーターとなる決断をしたのは、そのときということになる。
「九年前に東京で俺は成恵を助けられなかった。何もできなかった。だから俺は……!」
拳を握りしめて力強く語る進に、美月は水を差す。
「でも成恵さん、生きてたじゃない。しかも、北極星さんを殺すって……」
「それはファウスト──一周目の俺のことがあるからな……。成恵は俺たちに復讐する気なんだろう」
九年前の東京で進が炎の中に置き去りにした南極星を救ったのはファウストだ。そのファウストを殺したのは進と北極星である。進と北極星は南極星に恨まれて、復讐の対象にされてもおかしくはない。
暗い顔をしてうなだれる進を見て、美月はため息をつく。
「復讐ね……。それだけじゃないと思うよ」
「じゃあ何だって言うんだよ」
少なくとも進には思いつかない。美月は自分の考えを説明し始める。
「『やっぱり進はあの女を選ぶんだ……! 私のことなんて、忘れちゃったんだ……!』。確か成恵さんはこう言ってたよね」
「……おまえどこから見てたんだよ」
「最初から」
思わず口を挟む進に、美月は面白くなさそうに答えた。言われてみればあの路地は進たちの通学路になっている。よく知っている場所だからこそ降りたのだが、美月たちが帰宅途中かもしれないということには留意すべきだった。進は自分の迂闊さが恥ずかしくてうなだれる。
「続けるね。つまり成恵さんは、お兄ちゃんが北極星さんの言いなりになって暴れてるのが気に入らないんだよ。成恵さんが自分で言ってるんだから、間違いないでしょ。まぁ、成恵さんはそれだけで行動を起こすような人じゃないから、他にも北極星さんと戦う理由はあるはずよ。でも、お兄ちゃんのことでわだかまってるのは確実だわ」
「俺は暴れてなんかいないぞ」
進は否定するが美月はジト目になる。
「絶対嘘でしょ。どうせ北極星さんと一緒に東京あたりで戦ってるんじゃないの? 四月からでもお兄ちゃんはたまに深夜のお仕事してたし」
美月はお見通しのようだった。
「そうだとして、何が悪いんだ」
開き直る進に、美月は大袈裟にため息をつく。
「そりゃあお兄ちゃんは気付かないよね。脳みその代わりに爆弾が詰まっているような人だもの。なんでお兄ちゃんくらいの大馬鹿が、大人しく軍人さんなんてやってるの? 本来のお兄ちゃんはもっと気が短くて無茶苦茶でしょう?」
「おまえは俺を何だと思ってるんだ……。俺に世界を滅ぼせとでもいうつもりか?」
進は顔をしかめるが、美月は大真面目にうなずく。
「お兄ちゃんが北極星さんに出会わなければ、それくらいやったんじゃない? それこそ、前の世界でのお兄ちゃん──ファウストさんみたいに」
「あいつには事情があったんだよ……」
進は遠い目をする。ファウストはエレナを自らの手で撃ち殺したことで自分の罪を自覚し、全てを犠牲にしてでも彼にとっての美月を救うことを目指した。結果ファウストは前の世界を滅ぼし、異世界人(と呼ばれる未来人)はこの世界に来ることになる。
確かに進が北極星に出会っていなければ、同じことをしたかもしれない。しかし進は北極星に出会い、過去に飛ばず成恵を西から取り戻すための道筋を見つけた。成恵の覚醒により事態は混沌としつつあるが、今のところ進に世界を危険に晒してでも過去へ行く予定はないし必要もない。
「そうだね。北極星さんとファウストさんのおかげで、お兄ちゃんには無茶をやる理由はなくなった。でも、本当だったらお兄ちゃんはファウストさんみたいに必死になって成恵さんを助けたでしょう? だから成恵さんは、お兄ちゃんを北極星さんに取られたみたいに感じちゃってるんだよ」
ここで美月は一呼吸置いてからはっきりと、重々しく言った。
「お兄ちゃんは、成恵さんじゃなくて北極星さんを選んじゃったの」